1.かかとの記憶
ある作家のように生まれた時のことは覚えていないし、またある作家のように紅茶に浸した菓子が記憶を呼び起こしてくれたなんていう経験もまだない。また別のある作家が自伝で言ったように、人生が二つの闇の間を走る光芒だとすれば、僕に見通せるのは、その端から結構な距離を隔てたところからでしかなく、しかも空白だらけだった。
一つの記憶が周囲から浮き出たように妙にくっきりとしているのは、たぶん、その痕跡が明確に体に残っていて、見たり意識したりするたびに思い出し、色を塗り直しているからなのだろう。
それは僕が五歳くらいのことらしい。家の近くの公園で、黄土色の地面には、点々とくすんだ緑の雑草が生え、空に敷き詰められたうっすらとした雲には、ほんのりと夕焼けの色がついていた。短いズボンにサンダルという格好だったから夏頃だったのだろうと思うけれど、空気の温度については何も覚えていない。そこにあった痛みも。『痛いと感じた』ということは、覚えているけれど。
補助輪を卒業するために自転車の練習中だったらしい僕は、足を踏み外した挙げ句に滑らせ、勢いよく回転したペダルを、足にぶつけた。よくそんな器用なことができたと思うけれど、十二年経った今でも、その証拠はくっきりと、細く腫れ上がったような痕として、踵に残っている。たぶんこれからも、僕を見分けるはっきりした目印になるんだろう。
踵の衝撃のせいか、何かが途切れたように運動が止まってしまい、視線の向こうにあった公園の生け垣が斜めに傾いて、地面が迫ってきたかと思うと、頭に鈍い衝撃を受けた。
何が起こったのか僕には分からず、頬と肘と足が片方だけ痛んで、ザラザラした砂の感触が、口の中にまで達している気がした。
車輪が空回りするカリカリという音が、妙にくっきりと耳に届いていた。のしかかっていた自転車の重みが取りのけられるまで、僕は一つの身動きも取れなかった。時間の感覚が抜け落ちていて、何か、場面を飛ばしてしまっているかのように思える。後からついてきていた父が、あまりにも心配そうにしながら僕を抱き起こし、体を点検している間も、僕はただ呆然としていた。
やがて僕を見つめていた父の顔は駆け寄ってきた母に引き剥がされ、さらに念入りに僕の体を確かめた母は、凄まじい剣幕を父に向けた。そこまで来て、やっと僕は、何かひどいことが起きたのだと理解した。
これが僕にとって一番古い記憶だった。そして、そんな争いを目にし、その間に自分の身が置かれたという、初めての記憶でもあった。