気絶、その後
目を開く。
立っていた。
右手には剣。
周りには、燃えた民家。
人は逃げ惑い、立ちはだかる俺の横を押し退けるように逃げていく。
――何から?
前を見る。
答えはそこにあった。
森の。
木々の間から現れる、巨大な影。
見たことがある。
あれは、猪だ。
巨大な。
見覚えがある。
血走った目。
鼻息荒く、口も開いている。
口から生えた巨大な牙は、鹿の角めいた異質な伸び方をしている。
まるで突進の際に刺せるように。
より攻撃的に変貌した猪――魔獣は、作物を食い漁る。
伸びた牙が食べづらそうに、周りの民家をなぎ倒す。
悲鳴。
魔獣が声の方に向く。
狙いを定めるかのように、前足を何度か蹴り始める。
突進の合図。
――やめろ!
声は出なかった。
間に立ちはだかる。
魔獣の突進。
受け止めようと剣の腹に手を添え、待ち構える。
激突するであろう瞬間。
「――――はぁっ!?」
目を開く。
白い天井。
……魔獣は!?
立ち上がろうとして、自分が動けないことに気付く。
自分の姿を改めて見ると、ベッドに横になっていた。
……夢?
というよりは、過去の出来事か。
あれは、実際に起きたこと。
間に立ちはだかって魔獣の突進を受け止める勇気は、当時なかったけれど。
崩れる家を、薙ぎ倒される家を眺めていたのをよく覚えている。
「――アルク?」
声の方を見る。
茶色の髪で、セミロングの女性が。
俺を心配そうに見ていた。
あれは……。
「エル?」
「目が覚めたんだ!」
飛びつく。
慌てて抱きとめるような形に。
「……おはよう?」
「良かった。本当に良かった……!」
そういえば、なんでここに?
いや、そもそも。
ここは何処だ?
「え、エル……。何があったの?」
「何があったのって……試験中に壁に投げ飛ばされて、気を失ったんだよ?」
試験中?
壁に……?
頭がズキズキする。
「もう、二日も寝てたんだよ……?」
心配そうな顔。
というか。
「エル……近い……」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! 心配したんだから!」
怒られてしまった。
「って、こんな事してる場合じゃない、先生呼んでこないと!」
「先生?」
「先生!! 先生ー!! アルクがー!!」
ドタバタドタバタ。
忙しなく部屋を出ていった。
改めて、部屋を眺めて見る。
白いベッド。
いくつもある。
その隙間に、それぞれ白い布がある。
なるほど、それでベッドとの間を布で遮るのか。
清潔そうな雰囲気。
……医務室か。
じゃあ、呼びに行ったのは医者なのだろうか。
恐らく医者なのだろう。
徐々に記憶が蘇る。
試験中。
ゴルドリア様との勝負中に。
「…………負けたのかあ」
思わず言葉が漏れた。
あんなに意気込んで来たのに。
気を失って、しかも数日も。
そんな体たらく。
「……はあ~…………」
大きな溜息が漏れる。
扉が勢いよく開く。
「こりゃ! 静かに開けんかい!」
叱咤する初老の声。
「それよりも先生! アルクを!」
「急がんくても死にゃせんわ!」
「縁起でもないこと言わないで!!」
言い合いになりながら、エルと白衣を羽織ったお爺さんが入ってきた。
「おお、本当に目覚めておるわ」
上体を起こす。
「ふむ、動けるようにはなっておるようだのう」
右目を開かれる。
眼前に指を一本立て。
「追いかけてみい」
指が左へ。
追いかける。
指が右へ。
追いかける。
次は斜めに。
「大丈夫じゃろ。恐らく、今日一日は寝過ぎて体がダルいはずじゃけど」
「本当ですか!?」
「嘘言ってどうするんじゃい」
「え、エル……試験は?」
「…………私とガイは合格したけど…………アルクは……」
表情が沈むエル。
……やっぱり。
「アルク!!」
バアン! と。
扉が先程より勢いよく開かれる。
「なんじゃどいつもこいつも!!」
医者の叱咤する声を誰も聞かない。
ガイの隣にいる人は……。
「ゴルドリア様!?」
慌ててベッドから立ち上がろうとするが、体が思うように動かない。
「ああ、動くな。まだ安静にしておけ」
手で制され、上体を起こすだけに留める。
「……アルク、と言ったな」
「は、はい……」
ゴルドリア様は、膝に手を当て。
「本当に、すまなかった!!」
深々と、頭を下げた。
「え? や、やめてください……っ」
「いや、加減をせずにやってしまい。本当に申し訳ない!」
「…………いえ、俺が弱いからいけないんです」
「…………む?」
落ち込む。
「もっと強かったら、こんなことには」
「い、いやアルク。あのな?」
ガイが何か言っていたが、俺の耳には入らない。
「俺だけ二日も寝込むなんて……」
「――アルク!!」
「はいぃ!?」
突然の大声に、裏返った声で応じる。
見ると、ゴルドリア様が険しい顔つきをしていた。
「アルク。お前の実技は合格だ」
「え……?」
俺が、合格?
寝込んだのに?
「お前の実力は、今回の挑戦者の中でずば抜けていた」
ガイを見る。
頷いていた。
「だからこそ、本気を少し出してしまってな。そしてこんな事になってしまったんだ」
「でも、実技で合格したとしても、筆記が……?」
「それも、私の裁量で合格扱いにしておいた」
エルを見る。
頷いていた。
「この茶髪の小僧に一般教養を教えていたそうだな」
「ガイですけど」
ガイの静かな自己紹介は無視されていた。
「そして、この茶髪の娘にも剣術を教えていたそうだな」
「エルですけど」
同様に無視されていた。
「我々騎士団は人を護り、導く立場にある。騎士になる前から人のために何かを行える者が、騎士になれない訳がないだろう?」
でも、いいのだろうか。
一人だけ受けていないという事実が、なんだか居た堪れない気持ちにさせられた。
「いいじゃねえかアルク! やっと夢が叶ったんだから!」
「ほう、夢と?」
「ええ、アルクは昔騎士様に助けられたことがあって、それで騎士を志したらしいんです」
「……それは良いな! とても良い!」
自分が喋ること無く、自分の夢を語られる。
少し気恥ずかしい。
「そういえばあの剣術にも、何やら見覚えがあったな……」
「大怪我をして、療養していた頃に教えていただいたんです」
「……大怪我?」
「ええ、魔獣を討伐して頂いた時に、全治数ヶ月の大怪我をされてしまって」
「それは、何年前の話だ?」
「五年前です」
「………………名前は?」
「オリヴィア様……ですけど……?」
徐々に険しくなっていく顔つきに、たじろいでしまう。
「あの……どうかしたんですか?」
「そのオリヴィアという少女は……一人だったか?」
「ええ、一人でしたけど……」
どんどん。
ゴルドリア様の表情は怒りに染まっていく。
何か、言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか?
「……詳しく、聞かせてくれ」
大きく息を吐く。
まるで怒りを吐き出すかのように。
「え、ええ……少し長くなりますけど」
「構わん」
俺は語り始める。
五年前、俺が十歳の頃だ。
巨大な魔獣が作物狙いで村を襲っていたこと。
人的被害が無かった為、人材の派遣が後回しにされていたらしい。
そんな時、一人の騎士が助けに来てくれた。
長い金髪に、綺麗な鎧。
一振りの剣を腰に携え、やってきた。
彼女は苦戦の末、魔獣の討伐に成功。
しかし、全治数ヶ月という大怪我。
体中に巻かれた包帯。
当時立ち寄っていた薬師の話によると、後遺症で剣が握れないかもしれない、と。
その話を聞いた騎士様は、心ここにあらずといった感じで。
療養していた民家の窓から、いつもぼんやりと外を眺めていた。
ベッドから立ち上がれず、上体だけ起こして外を眺めるその様は。
俺にある決意をさせた。
木の棒を持って、頼みに行った。
「稽古を、つけてください!!」
一蹴。
しかし俺はめげなかった。
眺める窓の向こう側で、形だけの素振り。
雨の日も、朝から夜まで、ずっと。
手の皮が剥けようとも、構わなかった。
何日か、騎士様の姿が見えないこともあった。
構わず、振り続けた。
数日後。
よろよろと、ふらつきながら騎士様が家から出てきた。
慌てて支えに行くが、代わりに渡されたのは。
手製の木剣であった。
不格好ですけれど、と微笑みながら言う彼女に。
俺は満面の笑顔でお礼を言った。
そこからだ。
彼女に師事したのは。
手解きを受け、いくつかの技も教えてもらい。
やがて完治し、彼女が村を去る時も。
毎日やる訓練メニューを教えてもらって、可能な限り毎日続けていた。
そして最後に一言だけ。
「貴方の剣は、護るためにある」
真面目な顔で。
「何のために剣を振るのか。それを考えなさい」
でも最後には笑顔で。
「それを知った時、貴方はもっと強くなる」
それから五年経ち。
今に至る。
「――だから、俺はあの時の騎士様に恩返しがしたいんです」
長く言葉を喋り、少し息を吐いた。
エルが持ってきてくれた水を飲み干し、礼を言う。
「その騎士の名前はオリヴィア。間違いないな?」
「はい」
忘れようがない。
顔は少しおぼろげになったけれど。
名前と長い髪は、忘れることはないだろう。
「そうか。…………少し休め、良くなったら宿に戻るといい」
「は、はい…………あの……」
「行くぞ、ガイ、エル。休ませてやれ」
二人の首根っこを掴み、文字通り引きずっていく。
「アルク」
最後に一言だけ言い残して。
「お前の望み、叶えるのに私も手伝おう」
それだけ言って、立ち去った。
「………………」
静かになる。
息を吐く。
「……騒がしかったのー」
ビクリと肩を跳ねさせる。
唐突な声は、医者の人のものだった。
「ええのう、若者には夢があって」
「は、はあ……」
それだけ言った後、鼻歌を口ずさみ始めた。
医務室に、お爺さんの鼻歌が響き渡る。
…………妙に居心地が悪い。
まだ少しふらつくが、宿屋に戻ろう。
「じゃ、じゃあ……俺行きます」
「気をつけてのう」
ありがとうございました、と礼を告げ、医務室を出る。
出た所で気付いた。
ここは何処だ。
また部屋に入って聞くのも憚られる。
……まあ、適当にうろついていれば出れるか。
………………。
城内だと言うのに人が少ない。
少ないどころか、ほとんど見ない。
出口は、何処だ……?
その時。
ガチャガチャと金属が擦れ合う音。
人がいる!
出口を聞こう!
早足で音の出処まで向かう。
それは、庭先の、小さな倉庫。
誰かが、カゴに入った剣をしまっている。
「あの……」
声をかける。
作業を止め、こちらを見る。
「――――」
息を呑んだ。
長い金色の髪。
整った顔。
綺麗な鎧。
青いロングスカート。
その姿は。
五年前、村に来た彼女と。
同じ姿だったのだ。
今、眼の前にいる彼女こそ。
村を救ってくれたオリヴィア様、その人だった――。
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