愛しい女主人
今思えば、あれこそが私の人生の転換点だったのかもしれません。
私はある貴族の家に仕えておりました。
その貴族の名はハンク様と言いまして、代々続く名家でした。
私は名前の通り、東の果ての島国の出身です。
祖国は当時飢饉に見廻れ、食べるものもありませんでした。
偶々村を訪れた異国の神父様の言葉に惹かれた大人たちと幼子の私は、共に大陸を渡ったのです。
そして、様々な苦労の末に辿り着いた国ーーファインブルク王国で、私はオリヴィエ様に拾われました。
言葉も拙い私のようなものに、根気よく読み書きを教えてくださったのです。オリヴィエ様自身左腕と足が悪いのに、異国の新参者のために自ら学びの時間を開いてくださいました。そうして私たち家族が仕事にありつけたことは幸いでした。
オリヴィエ様は使用人である私にとても優しく接して下さいました。
ーーええ、そうです。
ファインブルク王国魔女狩り推進派・貴族連合皆殺しのオリヴィエ・ハンクは、とても親切で優しい淑女でしたよ。
当時、私たちは王都にある小さな屋敷に住んでいました。
そこに居たのはオリヴィエ様と旦那様にご子息。
そして代々彼らに仕える使用人たちがいました。
オリヴィエ様はとてもお忙しくて、いつも朝早くに出かけて夜遅くに帰られる日々を送っていたのです。
旦那様は…物心ついたばかりの私でも分かるほど、お酒に溺れていました。時折、オリヴィエ様やご子息に当たることもあったのです。
しかし、オリヴィエ様は決して怒ることもせず、旦那様を宥めていたものです。
そして息子さん。
彼はご両親よりも、定期的に訪れるハンク家の分家である親族と親しい様子でした。その方たちは口々に「あれが死ねば問題はない」とご子息に言っておりましたね。
この暴言はオリヴィエ様に向けられたものでした。
その度に私は耳を塞いで何も聞こえないふりをしたのです。
一度だけ感情のままに飛び出そうとしましたら、オリヴィエ様に止められたのです。
「分家とはいえ彼らも貴族。あなた達が追い出されたら困るの。どうか我慢してちょうだいね?」
その時のオリヴィエ様の顔を、私は忘れられません。
諦めたような顔で、笑っていたのですから。
ええ、私はオリヴィエ様が大好きでしたよ。
彼女のためなら何でもできると思っておりました。
オリヴィエ様のお陰で、私は文字を覚えられましたもの。
それを報告した時のあの方の笑顔は今も忘れられません。