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商業化作品(予定も含む)と関連作品

【コミカライズ】運良く成り上がった令嬢と繰り上げで英雄となった騎士

『訳あり令嬢でしたが、溺愛されて今では幸せです アンソロジーコミック 5巻』にてコミカライズしていただきました!

「俺はガキを抱く趣味はねぇ。一人が寂しきゃぬいぐるみでも抱いて寝な」

「これを私に?」


 突き出すように渡されたのは黒うさぎのぬいぐるみ。

 それも両腕をいっぱい広げて受け取らねば落としてしまいそうなほど大きい。


 幼い頃に憧れた、ショーウィンドウに飾られていたウサギとよく似ている。


 あの頃は貧乏で買えなかった。

 その後もぬいぐるみが欲しいなんて言いだせなかった。


 十五年越しに叶った夢に思わず頬が緩んだ。


「ありがとうございます。毎晩一緒に寝ますね!」

「……お貴族様には嫌味も通じねぇのかよ」


 サウロス様は呆れたようにポリポリと頭を掻いて寝室へと向かった。彼の大きな背中が見えなくなるまで見送ると、私も寝室へと向かう。


 私とサウロス様は新婚だが、望んで結んだ婚姻ではない。

 学園を卒業したばかりの私と、少し前まで魔物を相手に最前線で戦っていたサウロス様とでは年が13も離れている。

 成人しているとはいえ、彼からみれば私なんてまだ子どもなのだろう。


 私を抱く気はないらしく、寝室は別々。

 それも階段を中心として正反対の方向に作られている。


 先の戦いで功績を挙げ、爵位を与えられたサウロス様だが、一代限りと割り切っているようだ。


 婚姻を結ぶ際、私やお義父様の前で世継ぎを作るつもりはないと宣言された。同時に愛人を迎えるつもりもないと付け加えるあたり、悪い人ではないのだろう。それが彼の第一印象だった。


 お義父様も彼のことをある程度理解していたから陛下から勧められた婚姻に納得したのだろう。私も彼との婚姻を納得して、嫁いできた。


 まさか初日にこんな素敵なプレゼントをもらうことになるとは思わなかったけれど。


 うさぎをベッドに置き、ネグリジェに着替える。

 アルスリッド家から付いてきてくれた二人のメイドは着替えを手伝いながら何か言いたげだが、私は満足している。


 二人が下がった後、家から持ってきたバッグを開く。

 この中にはお義姉様やお義父様からもらった大切なものが詰まっている。中でもお気に入りの真っ赤なリボンを取り出し、黒うさぎの首につけた。


 このリボンは私がアルスリッド公爵家の子どもになった日にお義姉様がくれたものだ。


 アルスリッド公爵家は私が九歳の頃に出来た二つ目の家族。

 私が生まれたのは没落しかけの伯爵家だった。


 私が生まれる前から傾いていた家は、四つ年下の弟が生まれた頃には没落寸前になっていた。両親は私達のためにどうにか立て直そうと努めたが、私が九歳の夏に爵位と領地を返還することとなった。


 貴金属やドレス、家財のほとんどを売り払い、家族みんなで平民として生きていく予定だった。


 だがちょうどその頃、アルスリッド公爵家はとある理由で九歳の女の子を探していた。そして我が家に九歳の女の子がいることを突き止めたらしい。いかにも高そうな服を身にまとった男性が我が家を訪れた。


「その子をアルスリッド家の養子に頂けませんか?」


 アルスリッド家といえば名家の中の名家。親戚といってもかなりの遠縁である。そんな家が年齢と性別が合致するというだけで私を養子にしたいと言い出したのだ。


 しかも衣食住の保証だけではなく、実の娘と同等に育てるというのだ。その上で伯爵家には報酬をくれるらしい。


 思わず耳を疑った。

 そして両親は悩んだ。


 実の子を金で売るようなことをしていいのだろうかーーと。


 悩みに悩みに悩み抜いた上、選択は私へと委ねられた。選んだのは公爵家の養子となる道だった。


 家族のことを愛しているからこそ、これはチャンスだと思えたのだ。


 生まれた時から貧乏だった。

 公爵家の真意は分からずとも、生きていくのにはお金がかかることをよく知っている。


 少しくらい辛くあたられても我慢するつもりだった。




 だがいざアルスリッド家の養子となってみれば、彼らの提示した条件に偽りはなかった。あまりの好待遇に、騙されているのではないかと疑いもした。


 なにせ公爵家の養子となってすぐ、第三王子の婚約者になったのだから。疑わない方がどうかしている。


 お茶会に参加すれば『シンデレラ』と呼ばれるようになった。お義姉様はそれを耳にするといつも怒ってくれたが、私は嫌味だとは思えなかった。


 シンデレラは幼い頃に祖父からもらった絵本で、公爵家の養子になる時も持ってくるほど好きだったのだから。

 もしアルスリッド公爵家の人達を意地悪な継母のように話していたら私も怒っていたことだろう。けれど言われているのは私だけ。ならばシンデレラのラストのように立派なレディになればいい。


『どんなに苦労しても諦めなければいつか報われる』


 祖父はそう教えてくれた。

 私はもう幸せにさせてもらったのだから、後は努力するだけ。先払いされているので苦労も辛くはない。

 そして私が一人前のレディとなったら、今度はアルスリッド公爵家の人達が報われる番だ。


 童話の中の魔法使いはたった一度しか登場しなかった。だが私はもっと賞賛されてしかるべきだと思うのだ。


 だってどんなに素質があっても、機会やドレス、招待状がなければ何の意味もないのだから。


 魔法使いはシンデレラに、アルスリッド公爵家の人達は私にそれらを与えてくれた。


 突然引き取られて第三王子の婚約者になった私だが、その第三王子こそが私が公爵家に引き取られる大きな要因であったことを知ったのは三年が経った頃のこと。


 偶然、お義姉様の背中にある大きな傷を見てしまった時に教えてもらった。

 その傷も、私が引き取られた理由もずっと隠しておくつもりだったらしい。お義姉様はごめんなさいと泣き崩れた。


 話を聞けば背中の傷は王子を庇った際に出来た傷で、王家はその責任を取る形で婚約を結ぶつもりだったらしい。アルスリッド家としても悪い話ではないと受けるつもりで話を進めていた。


 けれど目を覚ましたお義姉様がそれを拒否した。

 王子を庇った経緯までは教えてくれなかったが、この時、お義姉様は男性不信に陥っていたようだ。精神的に不安定で、とても婚約話を進められるような状態ではなかった。


 そこで婚約話が流れるかと思えばそんなことはない。


 このチャンスを逃したくないアルスリッド家はお義姉様以外の子どもと婚約を結ばせることにした。王家としても責任が取れるなら構わぬという姿勢のようで、当人が納得しているならそれでいいとのことだった。


 そこで近しい子どもを養子に迎える予定だったのだが、お義姉様が『同じ年齢の女の子』と条件を出したそうだ。それを満たす子どもが見つからず、遠縁の伯爵家まで話が来た。


 それが私が公爵家に引き取られた理由だった。

 お義姉様は王子のことが苦手のようで、何度も何度も謝ってくれた。


 私が養子に来てからずっと優しかったのも罪滅ぼしみたいなものだったのだとも打ち明けてくれた。だが当の私は得しかしていない。


 王子のことは好きではないが、嫌いでもない。

 だがアルスリッド公爵家の人達は大好きだ。

 そう話すとお義姉様は複雑そうな表情で笑った。



 その数年後、私は学園に入学し、お義姉様は男性不信と体調不良を理由に入学を拒否した。


 きっと王子の顔を見ると怪我をしたあの日のことを思い出してしまうのだろう。


 学園の話を聞きたがるお義姉様にその日の出来事を聞かせることが私の日課となった。


 一年生の時は楽しそうに聞いてくれるのが嬉しくて。けれど二年生に上がった頃からお義姉様は表情を曇らせることが増えた。


「パーミラ様には気をつけて。なるべく接点を持たないように。どうしても避けられないようなら、複数の人を連れ添うのよ。出来れば毎回同じ人ではなくて……」


 パーミラ様は光の魔法という、類稀なる力を持った方で、光の聖女と呼ばれていた。お義姉様の表情が曇るようになったのは、彼女が転入してくる少し前から。


 お義姉様はたまに未来が見えるようで、初めて話に出した時なんて「何もされてないわよね!?」と心配してきたほど。


 何か嫌なことでも見てしまったのかと聞けば、お義姉様は何でもないのよと首を振った。


 けれどお義姉様は警戒しなさいという。

 私はその言葉に従い、パーミラ様とはなるべく距離を置き続けた。


 といっても彼女は光の魔法の使い手として各地に足を運んでいたので、接点を持とうと思わなければ関わりようのない相手ではある。


 それでも時たま、校舎内を歩いていると聞こえる彼女の独り言にはゾッとさせられた。『悪役令嬢』『攻略』『シナリオ』などどれも聞き覚えのないワードだったが、まるで呪詛を吐くかのごとく繰り返しているのである。

 魔物との戦いによるストレスだけとは思えないほど、おどろおどろしい何かに見えた。



 そして卒業式の日に事件が起きた。


「レイラ、君との婚約を破棄する!」

 王子はパーミラ様の腰を抱き、壇上で宣言した。


 卒業式が終わった直後。

 国内外の貴族や来賓がまだ多く残っている場所での突然の婚約破棄ーーそれは二ヶ月ほど前からお義姉様が予言していたことだった。


 お義姉様がその予言をした頃、すでに王子はパーミラ様にかなり入れ込んでいた。

 婚約者がありながら、二人きりで出かけているという話も耳にすることが何度もあった。


 それでもパーミラ様は光の魔法を使っていくつもの戦いを勝利に導いている。

 きっと光の聖女と王子として会っているのだろうと自分を納得させていた。だから予言を聞いた時は驚いたし、王子から実際に言われるまで半信半疑だった。


 それでもこの二ヶ月、お義姉様から毎日のように「あなたは何もやっていないのだから、何があっても毅然とした態度を取るのよ。大丈夫、あなたなら絶対に突破できるわ」と言われたおかげでスルスルと言葉が出てくる。


「理由をお聞かせ願えますでしょうか」

「白々しい。だがいいだろう。君は光の聖女であるパーミラ嬢へ度重なる嫌がらせを行った。暴言に暴力、器物損壊に至るまで多くの生徒の目撃情報があがっている!」

「なるほど。それでその多くの生徒達はどこに?」

「彼らだ!」


 王子の掛け声で壇上へ上がってきた生徒は光の聖女信者の方々である。毎日ぞろぞろ引き連れている人の中でも、特にパーミラ様に入れ込んでいる。

 おそらく私以外の生徒達も彼らの顔を覚えていることだろう。


 正義を確信している王子に、学内の様子を知る者たちは呆れた表情を浮かべている。


「お言葉ですが王子。彼らだけの目撃証言だけでは証言として薄いかと。……証拠の品はありませんの?」

「ない!」


 なぜ婚約破棄されている側の私がフォローしなければならないのか。頭が痛い。だがこうでもしなければ話が進まない。話が進まなければこの場から解放されることもない。


 パーミラ様が現れるまで、王子のことは好きでも嫌いでもなかった。

 だがこの一年ほどで嫌な面が次々と見えるようになってきた。


 喉元までせり上がったため息を堪え、続きの問いかけを投げかける。


「私は器物損壊の容疑をかけられているのですよね?」

「ああ、そう聞いている」

「王子は私が彼女に暴言を吐いたり、暴力を振るったり、物を壊したりした現場に居合わせたことは」

「忌々しいことに君は隠すのが上手いらしい」

「……集団で嘘をついている可能性は疑わなかったのですか?」


 証拠はない。

 中立の証言もない。


 そんな状態で信じるのは婚約者ではなく、婚約者のいる男性に色目を使う女性とは……。


 お義姉様は王子と婚約なんて結ばなくて正解だ。

 こんな茶番に付き合わされるのは成り上がりの養子で十分。


「そ、そんなレイラ様は私を疑っていらっしゃるのですか。……ひどいっ」

「私は身に覚えのない罪で問い詰められている。その材料を貴方達が用意した、となれば疑うのは当然ではないでしょうか? もしも私が他に疑うべき人がいるのなら、是非教えていただきたいものですわ」

「きゃっ、怖い」

「パーミラを虐めるな!」


 虐めるも何も、私は事実を告げているだけ。

 壇上の彼らと私とでは距離もあるので手が出せるはずもない。睨んですらいない。何を怖がる必要があるのか。


 王子の腕に引っ付く理由に使わないで頂きたい。


「ここでは堂々巡りになるだけだと思いませんか? ですからこの一件、魔術師協会の方々にお任せするというのはいかがでしょう?」


 魔術師協会を頼るというのはお義姉様の提案である。


 王宮魔術師では隠蔽されるかもしれないから、と。


 だが中立の彼らなら事実を曲げるような真似はしない。それを王子も知っているからこそ、大きく頷いた。


「完全なる中立機関の彼らなら君も不正はできまい」

「ええ。全てを明るみにしてくださることでしょう」


 自分の集めた証言こそが事実を指し示しているのだと疑いもせずに。


 結果、私は無罪。

 当然だ。何もしていないのだから。


 お義姉様はもちろん、アルスリッド家の人達は誰一人として私を疑ってはいなかった。卒業生及び在校生のほとんどもそうだ。


『恋に盲目になった王子のやらかし』

 周りはそう認識していたし、それで終わるはずだった。


 けれど事態は想像以上に深刻だった。


 パーミラ様が取り巻き達に魅了魔法や幻覚魔法をかけていることが発覚したのである。私の悪事を証言した彼らだけではなく、信者と思われていた生徒の大半に魔法が使われていたらしい。


 また王子には禁忌魔法の一つである『洗脳』の魔法が使われていた。

 魔法に耐性を持つ王族に、他の生徒にかけたような魔法は効かなかったのだろう。洗脳魔法も何重にもかけられ、王宮魔術師でも完全に解くには時間がかかるそうだ。


 念のため調べられた校内にも大量に魔法の痕跡が残っていたそうで、これらの多くは王子の洗脳を確たるものにするために使われたのだとか。


 パーミラ様は自分のものではないと否定したが、光の魔法は珍しい。だからこそ彼女は光の聖女ともてはやされていた。裏を返せば彼女の魔法は目立つのだ。

 ほかの属性なら誤魔化しがきくところでも照合が容易い。言い逃れは出来なかった。


 結果、パーミラ様は終身刑、王子は長期療養することが決まった。


 私と王子の婚約は破棄され、アルスリッド家には多額の慰謝料が贈られた。



 王子との婚約がなくなったことで、私の役目は終わったも同然。

 今度こそ平民として生きる覚悟を決めた。だがアルスリッド家の人達は優しかった。


「王子よりもいい相手を見つけてみせるから!」


 あの日の言葉通り、彼らにとって私はもうアルスリッド家の娘になっていた。家族総出で私の婚約者を探してくれた。


 また、今回の一件で王子が社交界から退場されたということもあり、お義姉様の婚約者も探すこととなった。


 アルスリッド公爵家が二人の娘の婚約者を探しているとの噂は社交界に瞬く間に広がった。


 だが近い年齢で条件の良い男性は軒並み婚約者か奥さんがいる。

 王家からもらった慰謝料狙いでくる男はいるが信頼は出来ない。


 私の相手はともかく、お義姉様の相手となると公爵家を継ぐ人になるのだ。

 簡単には決められない。いざとなったら従兄弟に跡を継がせればいいとお姉様は笑うが、跡を継がずとも幸せになってほしい。


「お義姉様に良い人が現れますように……」

 星に願い続けて数十日ーーお義姉様は一人の男性と恋に落ちた。


 相手は隣国の王子様。

 私達姉妹が婚約者探しに繰り出していた夜会でお義姉様を見初めたらしい。バルコニーで会話を弾ませる二人の姿に私は静かに涙した。


 恥ずかしそうに顔を赤らめながら話すお義姉様は完全に恋する乙女だったのだ。後で聞けばお義姉様も一目惚れをしたらしい。


 話はトントン拍子に進んだ。


 夜会からわずか三ヶ月。

 お義姉様は背中の傷ごと愛してくれる人の元へと嫁いでいった。


 公爵家は従兄弟が継ぐこととなり、公爵達はますます私の婚約者探しに熱を上げるようになった。


 新たにやってきた従兄弟もまた良い人で、真剣に相手を探してくれる。とても『平民になって恋人を見つけるわ』なんて言い出せず、けれど婚約者は見つからない。


 どうしたものかと毎日頭を悩ませた。


 そんな時、王家から呼び出しがかかった。

 先の戦いで功績を挙げた男性に爵位を与えるとのことになったらしい。


 先の戦いとは光の聖女が活躍した戦いで、その功績を称えてパーミラ様は卒業後に爵位と役職を賜る予定だった。だが罪を犯した相手に爵位は与えられない。


 だから代わりに二番目の功労者を英雄とし、褒賞を与えることになったらしい。


 それが平民出身の騎士のサウロス様だった。

 陛下は私とサウロス様の結婚の話を持ちかけた。


 王子の元婚約者を英雄の褒賞として与えるのはどうなのだろう……と思ったが、お義父様にとっては悪い話ではなかったらしい。


 私もお義父様が認めるなら、と結婚を承諾することとなった。


 ーーこれが私とサウロス様が結婚した経緯である。


 お義姉様とは違い、望まれた結婚ではない。愛されないのは承知の上だった。


 プレゼントのうさぎを抱きしめながら、妻は無理でも家族にはなれるといいなと願った。




「いつまで寝てんだ。起きろ、飯だぞ」

「もう朝!?」


 ユッサユッサと揺られ、ハッと飛び起きる。

 やけに雑な起こし方だなと思えば、起こしに来たのはサウロス様だった。


 思わず目を疑った。けれど何度瞬きをしても目の前にいるのは彼のまま。

 起こしてくれる予定だったであろう二人は部屋の端で待機している。


 王子妃になっていたら絶対にあり得なかった光景である。


「疲れているのは分かるが、朝飯は食え。眠かったら昼寝しろ」

「着替えてから行きますので、サウロス様は先に降りていてください」

「……あんた、本当にそのうさぎ抱いて寝たんだな」

「この子のおかげでグッスリです」

「……そうか、良かったな」

「はい!」


 着替えてから食事に向かうとすでに食事が用意されていた。


 ちなみに新しい屋敷の使用人は全員で六人。

 アルスリッド公爵家から連れてきた家令と二人のメイド、陛下から推薦された元王宮勤めのコック、サウロス様が採用した使用人が二人。


 最後の二人は先の戦いで負傷した元騎士である。

 前線に立つことはできないが、用心棒くらいにはなり、力仕事は得意だとのこと。二人とも馬の扱いは得意らしく、御者も兼ねている。


 上級貴族の使用人としては数が少ないが、屋敷はさほど広くない。

 家を繁栄させるつもりもなく、家族が増える予定もないので今のままで十分である。必要な時は新たに採用すればいいだろうということで話はまとまっている。


「早く席につけ。飯が冷める」

「あ、はい!」


 そう言いつつも私が来るのを待っていてくれたらしい。サウロス様は私が席につくのを確認してから食事を開始した。


「夜は帰りが何時になるか分からないから、先に飯を食って寝ろ。だが朝は毎日この時間に起きて飯を食え。起きてこなかったら起こしに行く。体調が悪かったらメイドに伝えろ。それから豪遊するな。貴族のあんたにこんなことを言うのは酷だとは思うが、金は有限だ。欲しいものがあったら言え。可能な限り買ってやる」


 元々宝石やアクセサリーへの興味が薄いので豪遊するつもりはない。

 王子の婚約者だった頃と比べれば社交界の招待は減るし、身につける物の質は下がる。


 ただそれも豪遊と言われればそれまで。

 結婚したばかりなので今はないが、一ヶ月もすれば夜会とお茶会の招待状が大量に届くことだろう。


「社交界の参加はどうされますか?」

「最低限でいい。行きたいなら止めないが」

「わかりました」


 子どもだけではなく、一般的な貴族の妻としての役割も期待していない、と。


 アルスリッド公爵家の娘兼王子の婚約者として社交界に頻繁に参加していたが、社交は得意ではなかったのでありがたい。


 友人は皆、私より早く嫁いでいった。

 私を気遣ってくれた彼女達のほとんどが今は身重の状態。社交界には参加していない。


 親しい相手がいない場所に足を向けるのは億劫だった。

 それに婚約破棄をされた私と、報酬として貴族の娘をもらった騎士なんて格好のネタである。


 サウロス様にとっては公爵家の後ろ盾を得るためでしかなくとも、楽しみに飢えている貴族達は他にあるのでは? と詮索してくることだろう。


 今の私には彼らの相手をする体力はない。

 婚約者探しで社交界に参加し続けて疲れているのだ。サウロス様のお言葉に甘えて休ませてもらおう。


 しばらく社交界を欠席するならドレスやアクセサリーはいらない。

 レターセットはいつもより多く消費するかもしれないけれど、貴族である以上避けられぬ出費である。


 その他に欲しいものといったら、暇つぶしに編み物をしたいので毛糸とーーと考えていると、ある存在が頭をよぎった。


「サウロス様。早速、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

「犬が飼いたいです」


 幼い頃、犬を飼っていた。

 私よりも年上で、弟が生まれる前に亡くなってしまった。その後は新しい犬をもらってくる余裕なんてなく、公爵家に来てからそんなワガママを言い出せなかった。


 だがうさぎのぬいぐるみを与えてくれたサウロス様なら、子どもの願いと受け入れてくれるのではないか。


 そんな淡い願いを込めて、結婚二日目で図々しいお願いをしてみた。すると彼は顎を撫でながら「犬か……」と小さく溢した。


「どんな犬が欲しいんだ?」


 どうやら犬を飼うことに抵抗はないらしい。

 嬉しくて、思わず立ち上がってしまう。


「一緒に遊べる子ならどんな子でも! 生まれた子犬の引き取り先を探しているお知り合いがいらっしゃったら、もらってきてくれると嬉しいです!」


 前のめりで犬を求める私に、サウロス様は驚いたように瞬きをする。けれどふっと吹き出して「わかった」と了承してくれた。



 待望の子犬がやってきたのはそれから半月後のことだった。

 仕事から帰ってきたサウロス様が真っ白な子犬を抱いていたのだ。


 すでに彼に懐いているようで、床に降ろされた後も彼の周りをくるくると回っていた。


 もこもこもふもふのポメラニアンはお城で見た子とよく似ている。

 確か先代の陛下のお姉様の愛犬だったはずだが、さすがに王家から子犬をもらってくるようなことはないだろう。


 どこでもらった子でもいい。

 本当に連れてきてくれたことが嬉しかった。

 それから私はその犬をクレイスと名付け、子どものように可愛がった。


 社交界にもほとんど顔を見せず、子を産む役目もない。

 以前、私をシンデレラと呼んだ彼らから見れば私は再び灰被りに戻ってしまったように見えるかもしれない。


 けれど私は幸せだ。

 手紙のやり取りをしているお義姉様にも、たまに顔を見に来てくれるお父様にも胸を張ってそう言える。




「なぁ、あんたはこれで良いのか?」

「いえ、階段ダッシュはやめてもらいたいです。サウロス様のことが大好きなのは分かるのですが、見てるこちらはヒヤヒヤしてしまって」

「クレイスもそろそろ三歳になるんだから落ち着いて欲しいよな……ってそうじゃない。あんたのことだ! 豪遊するなといったのは俺だが、それにしたって物を欲しがらなさすぎだ。欲しいものはないのか」


 子犬だったクレイスも今年で三歳。

 結婚生活は今年で四年目を迎える。


 私達の間にある約束事は結婚二日目の朝に提示された『豪遊しないこと』『朝食は一緒に食べること』の二つだけ。あとは夜遅くまで明かりをつけていると早く寝ろと言われるくらいか。


 たったこれだけ。

 四年経ってもサウロス様からの子ども扱いは変わらず、たまの休みには花畑に連れて行ってくれたり、ショッピングに連れて行ってくれる。その度に欲しいものはないのかとの質問が飛んでくる。


「そろそろボールがボロボロになってきたので、補修する布が欲しいです!」

「……またクレイス関連か」

「ダメ、ですか?」

「ボールくらい新しいものを買ってやる」

「いえ、匂いがついてるので今のものがいいのです」

「……わかった。それであんたは?」

「へ?」

「あんた自身のもので欲しいものはないのか、と聞いている」

「今のところ思い当たりません。欲しいものができたら相談しますね」

「そう言ってもう三年が経つぞ」


 その三年でクレイス関連のものや生活必需品も頼んだのだが、それは私の欲しいものには含まれないらしい。


 といっても私の物欲が薄いわけではない。

 王都で流行りのお菓子や綺麗な花は私が欲するよりも前にサウロス様が贈ってくれるのだ。その上で何か欲しいものはないのかと問われる。


 初めはそれに合うお茶や花瓶が欲しいとワガママを言ってみたものの、なぜか欲しいものカウントはされていない。


 悲しいが、彼の中で私はお茶会デビュー前の幼子と同等なのだろう。物を欲しがり続けるのが普通であると思われている。


「そろそろ社交界に本格復帰したいとかは思わないのか」

「復帰したほうがいいと言うならしますが」

「いや、行きたくないならそれでいい。公爵も納得しているならそれでいいとおっしゃっている。無理に参加するようなものでもないだろう。……余計な男が寄り付くかもしれんしな」

「ならしばらくはこのままで。この子を一人にはしておけませんし!」

「クレイスももう子どもじゃない。使用人にだって懐いている。あんたがつきっきりになる必要はないだろう。それに子どもができた時のためにも離れる練習はするべきで」

「子どもを引き取ってくるのですか? いつ頃のご予定で?」


 初めは繁栄させるつもりがないと言っていた彼も、この数年で考えが変わったのだろう。


 跡継ぎとなる子どもを引き取ってくるのなら、家に引きこもってばかりはいられない。子どもに肩身の狭い思いはさせないためにも人脈を広げておかねばならない。


 ドレスやアクセサリーが欲しくないかと聞いたのはこのためだったのか。

 部屋の準備もさせなければ、と慌てれば目の前で大きなため息を吐かれた。


「養子じゃなくて、俺とあんたの子だ」

「へ?」

「……いてもおかしくないだろう」


 サウロス様は恥ずかしそうに頬を掻く。

 耳は仄かに赤らんでいる。


 誰かに子作りしないのかとでも聞かれたのかもしれない。

 この手の話題を振られるのは通常、妻の方である。だが私が長らく社交界を不在にしているため、サウロス様に話が回ってしまった、と。


 こんな話、切り出すのには相当勇気が必要だったに違いない。


 だが私は、彼が初めから私を抱くつもりがないことを理解している。

 子どもにしか見えないなら仕方ない。


「サウロス様が貴族の娘の血を引いた子どもが欲しいなら頑張りますが、そうでないなら無理に作るものでもないでしょう? 私は養子でも愛人の子どもでも実の子どものように可愛がりますよ」


 養子だろうが愛人の子だろうが関係ない。

 我が家に来たらそれはもう家族である。


 アルスリッド公爵家の人がお義姉様と同じくらい私を愛してくれたように、私も子どもにはたくさんの愛情を注ぐつもりだ。


 任せてくださいと胸を張ると、サウロス様の表情が歪んでいく。


「愛人なんていない!」


 そう怒らなくてもいいのに……。

 彼は真面目な人だ。初めに自分で作ったルールを破ったと思われるのが心外なのだろう。


 洗脳されていたとはいえ、婚約者が他の女に乗り換えたことを私が未だに気にしていると思われているのかもしれない。


 サウロス様の性格からして後者なのだろう。

 口は悪いが優しい人なのだ。


 私は気にしないと伝えれば火に油を注ぎそうなので、余計な言葉は省く。


「例えば、の話ですよ」

「……例えば、な。なら例えば俺があんたを愛していて、あんたとの子どもを欲したとしたらどう思う?」

「家族が増えますね!」

「そうじゃない。いや、それはそうなんだが、気持ちの問題は」

「サウロス様も子どもが欲しくなったんだな〜と思います」

「前半は無視か!」

「前半?」

「俺があんたを愛したとして、のところだ」

「家族の情が湧いてくれて嬉しいです!」


 大事にしてくれているのは知っている。

 だが子どもにしか見えない相手を抱いてまで家族のことを思ってくれたのだと思うと、胸が温かくなる。


 もちろん無理強いをするつもりはない。

 なにより、彼が私が養子であることを知らずに、アルスリッド公爵家の血を取り入れようとしているのなら申し訳がない。


 養子とはいえ、アルスリッド家の一員であることには違いないし、サウロス様もそれが理由で離縁するような人ではない。だが血ばかりはどうしようもない。


 後ろ盾や縁を作るだけなら問題なかったが、血を求められるなら話は別。

 そろそろ打ち明けるべきなのだろうか、と遠くを見つめる。


「……女として愛されているとは考えないのか」

「それはあんまりしっくりこないので」

「なぜだ!」

「私とサウロス様の年齢差はいくつになっても変わりませんから」

「年齢差? そうか、年が離れているのがいけないのか」

「十三歳年下の子どもを抱くに至る、何かしらの意識の変化があれば別ですが」

「……俺の問題か」


 私個人を欲してくれたのなら良いが、そんな都合のいい未来は訪れないだろう。


 私は今のままで十分幸せだ。

 愛されたいだなんて欲深い言葉を口にすればきっとこの魔法は解けてしまう。


 私には城にガラスの靴を残す余裕はない。

 もらったものを大事に抱きかかえるので精一杯なのだ。


「そんなもしもがあったら私は協力しますよ。家族ですから」

 ニコリと笑えば、サウロス様は大きく肩を落とした。


 けれど話はそこで終わらなかった。

 彼はガシガシと頭を掻きながら言葉を探し、よし! と手を叩いた。


「俺の言い方が悪かった。……愛している。俺の子を生んでくれ」

「あいして、る?」

「勘違いすんなよ。家族としてだけじゃなくて、一人の女としてあんたに惚れた」

「でもガキだって……」

「そんなこと思っていたのは初めのうちだけだ。確かに子どもっぽいし、他で会うお貴族様と全然違う変わった奴だが、そこが愛おしい。年も身分も差があるのに出会えたことは奇跡だと思っている」

「…………私、サウロス様にずっと隠していることがあるんです」

「なんだ?」


 失望されるかもしれない。

 彼の想いを知る前よりずっと、嫌われるのが怖くてたまらない。


 聞かなければよかったとさえ思う。

 それでも黙ったままなのはフェアじゃない。


 与えられたものを守るだけでは、きっと私はこのままダメになる。

 緊張で張り付いた喉を動かし、秘密を打ち明けた。


「私の生まれは公爵家じゃないんです。九歳の時、養子としてもらわれた遠縁の子どもで」

「結婚前から知っている」

「え!?」

「アルスリッド公爵家から全部聞いた。王子の婚約者にするために養子にもらったと。そのせいでいろんなものを我慢させてしまったと話していた」

「お義父様にもバレていたなんて……」

「馬車で王都を走っている時、たまにショーウィンドウを羨ましそうに見ていることも、花が好きなことも、絵本を大事にしていることも、全部アルスリッド公爵が教えてくれた。その上で、あんたが言い出せなかったことを叶えて欲しいと言われた。それが結婚の条件だった。俺もそれが年上の元平民に嫁がされた可哀想な令嬢に出来る唯一のことだと思ってた」

「可哀想じゃないです! サウロス様は口は悪いけど優しくて。毎日必ずお話する時間を取ってくれるし、私が大事にしているものを一緒に大事にしてくれて……。朝起こす時、うさぎのぬいぐるみが落ちないように避けてくれてるのだって知ってるんですから!」

「なんでそんなどうでもいいことばかり気付くんだ……」

「どうでもよくないです! 私はサウロス様のそういうところが大好きで……あ」


 ずっと隠そうと思っていたのに。

 なぜよりによって勢いで言ってしまったのか。


 恥ずかしくて消えてなくなりたい。

 両手で顔を覆ったのに、意地悪な彼は私の手を外してしまう。


「それはあんたも俺が好きだってことでいいか?」


 下から覗き込まれ、必死で視線を外す。

 視線を合わせれば嘘なんて言えなくなる。


 私は苦労も知らず、養子にもらわれる理由となった王子との結婚も叶わなかった。


 ただただ運が良かっただけで、ここまで来てしまったのだ。

 自らの力で登ってきた彼とは違う。


 妻になったから。

 それだけの理由で優しい彼からの愛を受ける資格などあるのだろうか。


「……私はまだ、子どもです」

 本当に何も知らない子どもなら、純粋に幸運を受け入れられたあの頃のままなら良かったのに。


 今は転げ落ちてしまうことが怖くてたまらない。

 ぐらぐらと揺らぐ足元から目を背けるだけで、自らの足では進むことさえできずにいる。


「酒が飲める年になったら十分大人だろ。それにあんたは俺の妻だ。妻を愛して何が悪い」

 サウロス様はそんな私の腕を引き、胸元に抱き寄せた。


「私もサウロス様を愛してもいいんですか?」

「当然だ。むしろ俺以外の男を愛すな。俺もレイラだけを見てる」

「今、名前……」


 結婚してから名前なんて一度も呼んでもらえなかった。

 きっと彼なりに気を使ってくれていたのだろう。そう分かっていても、欲をかき消すことはできなかった。クレイスに嫉妬した日もあったほど。


「嫌だったか?」

「嬉しいです。ずっと呼ばれたかった」


 ああ、こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

 ボロボロと涙が溢れ出す。


「これから先、何度でも呼んでやる。レイラ、愛してる」


 その日、新たな寝室が出来た。

 サウロス様の帰りが早い日だけ二人で夜を共にする。作った当初は週に一度あればいいと思っていたが、次第にその部屋を使う頻度が増えていった。


 新たな家族が増える日も、そう遠くない。

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