神の怒りとヘレナの居場所
煌びやかな王宮を闊歩しつつ、一人の男性がため息を吐く。
(全く……酷い状況だな)
ここに来るまでの間、馬車に揺られながら見た王都は、惨憺たる有様だった。
数日前、王都を襲った巨大地震により、多くの人が怪我を負った。宮廷に雇われた医師たちが治療に当たっているものの、対応が全く追い付いていない。
それに加え、国内ではこれまでにないぐらい、病人が急増していた。元々病を抱えていた人々の症状が、何故かこのタイミングで一気に悪化したらしい。しかも、一つの病気が流行っているわけではなく、病名も症状も、居住地すらも皆バラバラで、因果関係が全く掴めないのだという。
(こういう時、ヘレナがいてくれたら――――)
考えながら、男性は唇をグッと噛む。
聖女ヘレナ――――彼の妹は数日前に、国外へ追放されてしまった。事前に何の前触れもなく、男性は別れの挨拶すらさせてもらえなかった。事実を告げに来た騎士の表情は暗く、酷く申し訳なさそうだったことを覚えている。
「マクレガー侯爵! 来てくれたのか!」
謁見の間に通され、男性――マクレガー侯爵はゆっくりと頭を下げる。豪奢な部屋には国王と、彼の息子であるカルロスがいた。
(あいつがヘレナのことを……)
侯爵は唇を噛みつつ、ふつふつと燃え滾る怒りを腹の中で押し殺す。カルロスこそ、ヘレナに無実の罪を着せ、国外へ追放した張本人だった。
(よくもまあ、のうのうと顔を出せたものだ)
今にも飛び掛かりたい気持ちを必死で押さえ、侯爵はギュッと拳を握った。
「マクレガー……君の妹――ヘレナの件はすまなかった。私がいないタイミングで、まさか息子がこのようなことをしでかそうとは――――――」
国王はそう口にし、真っ青な顔をして項垂れる。カルロスはカッと目を見開き、唇を真一文字に引き結んでいた。直立不動――――瞬き一つしない彼を、侯爵は憎々し気に睨みつける。
「カルロス」
身体の芯まで震えそうな冷たい声音で、国王がカルロスを呼ぶ。カルロスは数秒間、如何にも不服そうな表情で侯爵を見つめていたが、父親の剣幕を目にし、ややしてゆっくりと頭を下げた。形ばかりの謝罪。侯爵はキッと目尻を吊り上げる。
「カルロス!」
国王はカルロスの頭をグイッと押さえつけると、至極苦し気な表情を浮かべた。
「本当に申し訳ない。すぐにでもカルロスを処罰したいところだが、今は有事だ。必ず相応の罰を与えるから、今だけは容赦してほしい」
「――――――承知しました」
「うむ。それで、君を呼び出した理由なんだが……他でもない。マグレガー侯爵、君は妹の――――ヘレナの居場所を知らないだろうか?」
国王はそう尋ねつつ、身を乗り出す。切実な表情だった。侯爵はゴクリと唾を呑み込みつつ、小さく首を横に振る。
「いえ……妹は屋敷に立ち寄ることも許されず、着の身着のまま隣国へと連れていかれました。私が事実を知らされたのも全てが終わった後でしたし、あれ以降、妹の消息は分かりません」
言葉に棘を含ませつつ、マクレガー侯爵はそう告げる。
「そうか」
そう言って国王は大きなため息を吐き、両手で顔を覆った。先程よりもなお、顔色が悪い。
「妹が、何か?」
侯爵は尋ねつつ、窓の外を眺めた。文官や騎士達が病人への対応に追われている。バタバタと城と王都を行ったり来たりしている様子に、胸が痛んだ。
「――――――此度の地震や病人の多発―――――――私はこれを、神の怒りだと考えている。罪のないヘレナを追い出したから……彼女がいなくなったから、こんな事態が巻き起こった」
そう言って国王は、懐から小さな小瓶を取り出す。中には濁った色の液体が入っていた。
「マクレガー侯爵……これが何か分かるかね?」
「……いえ」
侯爵が首を横に振ると、国王はまた、大きなため息を吐いた。
「これはヘレナが清めてくれていた泉の水だ。彼女が生まれて以降、この泉には不思議な力が宿るようになった。病を癒したり、人々の心を穏やかにしたり――――この泉で育てられた植物は皆、育ちも良かった。
しかし、彼女が居なくなってから、泉の水は濁った。時を同じくして地震が起き、沢山の人々が病んだ。
じきに、泉の水で育てられた植物にも影響が生じるだろう。このままでは大規模な飢饉が起こり、事態は今の比ではなくなってしまう」
国王の言葉に、カルロスは眉間に皺を寄せる。
「今以上……ですか」
そう言ったきり、侯爵は言葉を失った。
(今だって十分、酷い惨状だというのに)
心臓がドッドッと嫌な音を立てて鳴る。
全ての元凶であるカルロスは、未だ不遜な表情を浮かべていた。そのことがマクレガー侯爵の神経を逆撫でする。
(こいつ――――自分がしでかしたことの重大さを分かっていないのか?)
罵倒してやりたい気持ちを必死で押し隠し、侯爵は小さく息を吐いた。
「ヘレナは隣国――――ストラスベストの王宮に保護されているのではないでしょうか? 聖女は貴重な存在です。手厚く持て成されているかもしれません。妹は行く当てもありませんでしたし……」
「そう思って、隣国には私から既に遣いを出した。けれど、ヘレナのこと等知らないと――――そう言われてしまってね」
国王の言葉に、侯爵はカルロスを軽く睨む。カルロスはムスッと唇を尖らせ、偉そうに腕組みをしていた。
「どんなに小さなことでも良い。他に何か……ヘレナが行きそうな場所に心当たりはないだろうか?」
藁にもすがるような表情の国王に、侯爵は静かに目を伏せる。
「――――妹の居場所は分かりませんが、無事であることは確かです。我が家の執事が一人、ヘレナの国外追放と同時に居なくなりましたから。ヘレナのことは、彼が間違いなく保護しているでしょう。
けれど、二人の居場所に関しては全く見当がつきません。ストラスベストは広大な国土を誇る国ですし、見つけることは相当困難だと思います」
そう口にすると、国王は小さく口を開き、それからガックリと項垂れる。
(そう……ヘレナは間違いなく無事だ)
ヘレナには誰よりも心強い守護神がついている。身の安全は元より、きっと幸せに暮らしているに違いない。それが分かっていたから、侯爵はヘレナが受けた仕打ちに憤りはすれど、そこまで心配をしていなかったのだ。
「何か……何とかしてヘレナを探し出す手立ては無いだろうか…………」
悪夢に魘されるが如く、国王が呟く。そんな父親のことを、カルロスが険しい表情で睨みつけていた。