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勿体ない

 それから数日間、ヘレナはとても穏やかな日々を送った。


 王太子の婚約者としての務めも、聖女の務めも無い生活は新鮮だった。日がな一日、のんびりとお茶をしたり、庭を眺めたり、レイを相手にお喋りをしたりする。


 レイはヘレナがダラダラ過ごしても、一切文句を言わない。寧ろ彼女が驚く程、ベタベタに甘やかしてくれた。

 毛織のブランケットや可愛らしいクッション――レイによって持ち込まれた真新しいお部屋グッズが、日毎にどんどん増えていく。ヘレナが心地よく過ごせるよう尽力してくれるため、とてもありがたかった。



(だけど、することが無いっていうのも案外つまらないのねぇ)



 レイの用意してくれたティーセットを前に、ヘレナは小さくため息を吐く。


 これまでヘレナは数日おきに登城をし、カルロスと交流したり、妃教育を受ける生活を送っていた。聖女として王都を回ることも多い。

 ヘレナの聖女としての一番の仕事は、王都の中央に存在する泉を清めることだった。貴族たちは自分専用の貯水庫を持っているが、市民はそういったものを持っていない。泉には毎日、大勢の人々が訪れ、飲み水や身体を清めるための水を求めた。彼等が安全に水を利用できるよう、泉の水を浄化するのだ。



(私のお祈りに、どのぐらいの効果があったかは分からないけど)



 あの水は、今でも安全なままだろうか。そんな不安がヘレナの頭を過る。



「こちらをどうぞ、お嬢様」



 その時、背後からレイの声が聞こえてきた。彼は腕に数冊本を抱え、にこやかに微笑んでいる。



「最近若者の間で人気の小説です。没入感が強く、日常を忘れられるのだとか。お嬢様にもきっと、お楽しみいただけるかと」



 レイの言葉にヘレナは目を丸くした。どうやら、ヘレナがこの生活に飽き始めていると彼には既にバレているらしい。



「――――本当、嫌になるくらい有能ね」


「お褒めに預かり、光栄です」



 レイはそう言って目を細める。

 ヘレナが褒める度に、レイは至極嬉しそうな表情を浮かべた。まるで幼子が親に褒められるような――――はたまた勇者が国王から功績を讃えられるような、そんな表情だ。あんまり嬉しそうにするので、褒めた側のヘレナの方が、胸がむず痒くなってくる。



(だけど……)



 ヘレナはレイから本を受け取りながら、そっと彼を覗き見た。



「私ね――――あなたを執事にしておくのは勿体ないと思うのよ」



 分厚い表紙を開きつつ、ヘレナがそう口にすると、レイはほんのりと目を丸くした。


 実家に居る間は、屋敷も大きければ使用人も多いため、レイの能力を活かす機会が多かった。彼の統率力無くして、侯爵家は成り立たない――――父が何度もそう口にしていたことを知っているし、その度にヘレナは誇らしく思っていた。領地の管理に携わっていたこともあって、適材適所と言えなくもない。


 けれど、今のレイは完全にヘレナのためだけに働いている。

 ヘレナのために食事を作り、屋敷中の掃除をし、買い物や庭仕事、ヘレナの話し相手迄、全てを一人でこなしているのだ。



(本当に勿体ない)



 唇を尖らせつつ、ヘレナは心の中でそう呟く。


 当然、それらは誰にでも出来る仕事ではない。寧ろ、レイだからここまで出来るのだと分かっている。

 けれど、レイにはもっと、日の当たる場所に出て欲しいと思ってしまう。皆にもレイの良さやすごさを分かって欲しいのだ。



(文官とか、騎士とか……レイにあった就職先は幾らでもあるんだけどな)



 優秀な彼のことだ。上官や国王の目に留まり、出世することは間違いない。ヘレナが王太子妃になったら、口添えをしてレイに転職を促そうと思っていたぐらいだ。



「勿体ない……ですか。

しかし、困りましたね。私はお嬢様のお側に居たいのです。お嬢様が出て行けと仰った所で、お側を離れるつもりはございません。私は何があっても一生、お嬢様だけのレイで居続けますから」



 そう言ってレイは穏やかに目を細める。ヘレナの心臓がドクンと跳ねた。



(そういう言い方は心臓に悪いと思うわ……!)



 ヘレナの頬が真っ赤に染まる。けれど、当の本人は屈託のない笑みを浮かべているのだから始末が悪い。

 つい先日まで婚約者がいたヘレナだが、カルロスからは『好き』だとか『可愛い』と言った言葉を貰ったことは一切ない。このため、好意や想いをぶつけられることへの耐性は殆ど無かった。



(だけど……きっとこれが、レイの本心なのね)



 邪念の混ざっていない純粋な願いだからこそ、こんなセリフが平気で吐ける。これではまるで、照れるヘレナの方が間違っているかのようだ。



(だけど、わたしだけのレイって……)



 彼の心や身体、全てを預けられたような心地に胸が高鳴る。主従だからこそ言える言葉だろうが、そこに恋慕の情や情愛を見出してしまいそうになる。



(いえ、レイのことだし、そういう意味は無いんでしょうけど)



 ふぅ、とため息を吐きつつレイを振り返れば、彼は未だ、熱心にヘレナのことを見つめていた。



「――――出て行けなんて絶対言わないけれど」


「それは良かった。本当に安心致しました」



 そう言ってレイはヘレナの手を握る。あまりにも嬉しそうな彼の表情に、ヘレナは苦笑を漏らした。



(……本当はレイの他にも人を雇えれば良いんだけどね)



 そうすれば自ずとレイの負担は減る。外に出たり、交友関係を持ったり、自分の時間を楽しめるようになる。きっと、ヘレナ以外のことにも目を向けられるようになるだろう。


 けれど、レイ以外の人間を雇うようなお金、ヘレナには無い。第一、ヘレナが今読んでいる本も、飲んでいるお茶も、資金の出所が何処かも分からないのだ。おいそれとそんな提案をすることは出来なかった。



(ううん……待って)



 ヘレナはハタと目を丸くし、レイのことをまじまじと見つめる。



「如何しましたか、お嬢様?」



 レイは首を傾げつつ、ヘレナの手をギュッと握りなおした。大きくて従順な犬のような表情に、ヘレナはふふ、と笑い声をあげる。



「いた……見つけたのよ、レイ」


「何を、でございますか?」



 レイの表情は困惑していた。ヘレナはそっと身を乗り出し、笑みを浮かべる。



「レイと一緒に屋敷のことをする人間……わたしが居るじゃない!」


「……へ?」



 その瞬間、レイが目を丸くして固まる。彼らしくない間の抜けた声に、ヘレナの唇は弧を描いた。

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