Be my guest
ダイニングルームに行くと、ヘレナの好物がテーブル一杯に並べられていた。
ふわふわのオムレツに瑞々しいサラダ。パンはソフトとハードの二種類が用意されていて、どちらも当然のように焼き立てだ。ジャムやバター、チーズも豊富に取り揃えられており、ヘレナの食欲をそそる。
「こんなにたくさん、食べきれないわ」
言いながらヘレナは瞳を輝かせた。すると、レイが更なるプレートを手にキッチンから現れる。皿の上にはバジルの練りこまれたソーセージが載っていた。食べきれないと言ったそばから、お腹がぐぅと盛大に鳴る。あまりの恥ずかしさにヘレナの頬が紅く染まった。
「大丈夫です。お嬢様なら全て食べきれますよ」
そう言うレイの表情は、確信に満ちている。どことなくバツが悪くなって、ヘレナは小さく咳ばらいをした。
レイはそのまま恭しく椅子を引き、ヘレナを席へ案内する。目の前に並べられた真っ新なナフキンに、美しく磨き上げられた銀食器、白磁の皿にヘレナの胸が躍る。
「どうぞ、お召し上がりください」
レイの言葉を合図に、ヘレナは最初の一口を口に運んだ。
「……! 美味しい……美味しいわ、レイ」
感嘆の声を漏らしつつ、ヘレナはレイを振り返る。
本来、小柄なヘレナは食が細い方だ。侯爵家でも、王家の晩餐に招待された時も、食事は気持ち少なめに用意してもらう様にしていた。
けれど、今日のヘレナは違っていた。二日間食事を抜いたせいもあるかもしれないが、自分でも驚くほどに食が進む。食べても食べても、もっと食べたいと思うのだ。
「当然です。お嬢様のためにお作りしたものですから」
レイはニコリと微笑みつつ、満足そうにヘレナを見つめる。その途端、何故だか胸がキュンと高鳴り、ヘレナはそっと目を逸らした。
「知らなかったわ……レイってこんなにお料理が上手だったのね」
「お褒めに与り、光栄です」
そう言ってレイは目を細める。ヘレナも何だか嬉しくなった。
(こんなに上手なら、もっと早くに知りたかったわ)
侯爵家には専任の料理人がいたため、レイの料理の腕前を知るのは、今日が初めてだ。
食事をしながら、口いっぱいに幸せが広がる。レイの食事は、国内最高の料理人が作ったであろう王宮のものよりも、ずっとずっと美味しく感じられた。美しく洗練された見た目もさることながら、味付けが絶妙にヘレナ好みで、いくらでも食べられてしまう。あんなにたくさん料理が並べられていたというのに、プレートは既に半分以上空になっていた。
「レイのお料理、お父様やお母様、お兄様にも食べてもらいたかったわ。わたしだけがこんなに美味しい思いをして、何だか申し訳ないもの」
ヘレナはそう言って目を細める。もう二度と会うことのできない家族の面影に、胸が小さく軋んだ。
「お嬢様、それは無理なご相談です」
「――――知ってるわ。お父様達は既に他界してしまったし、わたしは国には帰れない。お兄様にももう二度と会えないんだもの……」
「いえ、そういうことではございません。私の料理は、お嬢様のためだけに存在しますので」
ですから、無理な相談なのです、と言って、レイはヘレナの前に跪いた。その途端、ヘレナの頬が真っ赤に染まる。
(なんで……なんでドキドキしているの? 相手はあのレイなのに)
心の中で叫びつつ、ヘレナはそっと目を伏せる。
レイはヘレナにとって、実の兄よりも近しい存在だった。侯爵家の令嬢として必要な知識も、礼儀作法も、ダンスや社交術を教えてくれたのもレイだった。彼が事前に色んなことを教えてくれたおかげで、厳しいと噂の妃教育もちっとも苦に感じ無かった。寧ろ容易に思えるほどだった。
そんな彼に、ヘレナは山ほど恥ずかしい場面を見せている。転んで泣き叫んでいる姿も、上手くいかずに思い悩んでいる所もバッチリ見られたし、我儘を言って困らせたこともあった。その度にレイはヘレナの手を取り、優しく導いてくれる。跪かれるなんて日常茶飯事だった。今更ドキドキする理由なんて、一つもないというのに――――。
「お嬢様? 如何なさいましたか?」
そう言ってレイは、ヘレナの顔を覗き込む。
神の造形と呼ぶべき、美しく整ったレイの顔が至近距離に迫る。眼福――――そんな称賛の言葉がピッタリな美しさだった。平凡な容姿の王太子カルロスより、レイの方が余程王子らしい。彼が王子になれば、国中の乙女が熱狂するだろうとヘレナは思った。
「――――ねぇ、レイも一緒に食べましょうよ。一人で食べると寂しいわ」
何を考えていたか気取られぬよう、ヘレナは必死で話題を変える。とはいえそれは、紛れもないヘレナの本心だった。
(どうせなら、レイと一緒に食事をしたい)
けれどレイはキョトンと目を丸くし、すぐに首を横に振った。
「いえ、私はお嬢様の執事でございます。一緒に食事を摂ることは出来ません」
「だけど……だけどわたしはもう、侯爵家の娘でも、王太子の婚約者でもないのよ? 一緒に食事をするぐらい構わないでしょう?」
「駄目です。私にとってお嬢様はお嬢様でございますから。
さぁ、お食事の後はデザートもご用意しております。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
レイはそう言ってニコリと微笑む。
(何よ……レイの馬鹿)
目には見えない線を引かれたような心地に唇を尖らせつつ、ヘレナは食事を口に運ぶのだった。