朝寝坊
カーテンの隙間から朝日が射し込む。柔らかく温かな光だった。ヘレナは微睡ながら、布団を頭上へ引き上げる。
(もう少し……もう少しだけ…………)
お日様の光をたくさん浴びたふかふかのお布団は最高に気持ちが良く、いつまでも眠っていられそうな気がした。昨日までの疲れが身体から一気に溶け出していく。ヘレナはふふ、と笑いつつ布団を力いっぱい抱き締めた。
(……って、あれ?)
ふと違和感を覚え、ヘレナは勢いよく起き上がる。
「おはようございます、お嬢様」
その瞬間、まるでヘレナの起床時間を予想していたかの如く、レイが部屋へとやって来た。
朝も早いというのに、レイの髪はきっちりと整えられ、シャツやズボンには皺ひとつ見当たらない。普通朝は何処かしら綻びがあるものだが、彼には一分の隙も見当たらなかった。
(なんというか……さすがレイね)
いつ、何処に居ようと、彼がブレることは無い。そんなことを思いつつ、ヘレナの背筋がピンと伸びる。
「おはよう、レイ」
ヘレナが笑うと、レイも穏やかに目を細めた。心臓に悪い、煌びやかな笑みだ。ドッドッと鳴り響く胸を押さえつつ、ヘレナはシーツで口元を覆い隠した。
「新しい寝台は如何でしょう? よく眠れましたか?」
「ええ、とても。もしかして寝すぎてしまったのでは、と思うぐらいには……」
言いながらヘレナは小さく首を傾げる。レイはクスリと笑いつつ、流れるような所作でグラスに水を注いだ。
「そうですね……お嬢様はあれから丸二日、お休みになられていました。余程疲れが溜まっていらっしゃったのでしょう」
「……やっぱりそうなのね」
ヘレナはそう言って頭を抱える。
先程感じた違和感――――その理由がこれだった。狂った体内時計が一周回り、元に戻っていく様を自覚しつつ、ヘレナはふぅとため息を吐いた。
「あーーあ、ついにお祈りをサボっちゃったわ……まったく、ダメな聖女よね」
自嘲的な笑みを漏らしつつ、ヘレナはそっと天を仰ぐ。
幼い頃から、ヘレナは朝のお祈りを欠かしたことはなかった。毎朝、神への感謝と平和への祈りを捧げる――――それは国から聖女として扱われていたヘレナにとって、己の存在理由のそのものだった。
(こんなだから、国を追い出されちゃったのよね、わたし)
心の中でそう呟きつつ、ヘレナの胸に鈍い痛みが走る。カルロスが『偽物』と疑うのも納得だ――――そう思っていると、レイがゆっくりと首を横に振った。
「お嬢様は決してダメな聖女ではございません。
――――良いではございませんか。これでお嬢様も朝寝坊の幸せを味わうことが出来ます。十七年もの間、毎日お祈りを捧げてこられたのです。少しぐらいお休みしたところで罰は当たりません」
レイの言葉は力強く、とても温かい。ヘレナは胸に手を当てつつ、ゆっくりとレイを見上げた。
「――――ありがとう、レイ。そう言って貰えて、とても嬉しいわ。
だけど……レイに言われても、何だかちっとも説得力が無いわね」
ヘレナはそう言ってクスリと笑う。
本来、ヘレナの朝は早い。追放されるまでの間、着替えや洗面、手水の準備や、身支度に至るまで、ヘレナの世話は侍女達がしていた。侍女達は当然、主人であるヘレナよりも早起きをし、ヘレナのために働いてくれる。けれど、屋敷の中の誰よりも早く活動を始めるのが、他ならぬレイだった。
侍女たちの話によると、レイは毎朝、使用人たちの詰め所に一番最初に現れ、夜遅く一番最後に去っていくのだという。その間隔は、彼が人間生活を維持できているのが不思議な程、極短時間のことらしく、ヘレナは密かにレイのことを心配していたのだ。
「レイの方こそ、少しはお寝坊した方が良いんじゃない?」
言いながら、ヘレナはそっと首を傾げる。彼の瞳の下に隈は見当たらないし、疲れも見えない。どんな時だってレイは涼しげな顔をして微笑んでくれる。
しかし、彼とて唯の人間だ。睡眠が不足すれば身体に支障が生じるし、単純に辛いだろう。
けれど、レイはもう一度首を横に振ると、至極穏やかに目を細めた。
「私のことは良いのです。全て己の意思――――好きでやっていることですから。
さぁ、こちらをどうぞ、お嬢様」
そう言ってレイは、水の入ったグラスを差し出す。二日も眠っていたため、胃の中が空っぽで、喉がカラカラに渇いていた。促されるまま、ヘレナは水を口に含む。その途端、渇いた心と身体に、水が染み入る心地がした。
「朝食もすぐにご準備できます。その前に朝のお召し替えをしましょう」
「ええ」
頷きつつ、ヘレナはハタと目を見開く。
(……って、んん?)
レイは真新しいドレスを手に、朗らかに微笑んでいた。ヘレナ好みの可愛らしいデザインのドレスだ。
「待って、レイ」
「はい、何でしょう?」
答えながら、レイは今にもヘレナの背中のホックに手を掛けそうな雰囲気を醸し出している。気恥ずかしさに、ヘレナの体温が急上昇した。
「着替えは……自分でできるわ。というか、さすがにレイに任せられないもの」
レイはヘレナが7歳の頃から屋敷に仕えてくれている。恐らく、彼にとってヘレナはあの頃の――――幼い子供のままなのだろう。
けれどヘレナとて、あと一年もすれば結婚が可能な立派な淑女だ。侯爵令嬢と聖女の地位を失ったとはいえ、おいそれと男性に着替えを任せるわけにはいかない。
「――――本当に、お一人でできるのですか?」
レイはそう言ってそっと目を細めた。揶揄するような眼差し。心臓をやわやわと握られる感覚に、ヘレナは唇を尖らせる。
「できるわよ」
多分――心の中でそう付け加え、ヘレナは大きく息を吸う。
そんなヘレナの様子に、レイはクスクスと声を上げて笑った。