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お待ちしておりました、お嬢様

(ここが隣国との国境なのね……)



 自身をここまで運んできた馬車を見送りながら、ヘレナはそんなことを考える。家へ戻ることは許されなかった。王宮からそのまま馬車に乗せられて今に至る。

 辺りには人っ子一人見当たらず、民家や砦といったものも見当たらない。ちっとも整備されていない獣道に、木々が鬱蒼と生い茂っている。本当にここは国境なのだろうか――――そう疑いたくなる有様だった。



(こうしていても仕方がありません)



 ヘレナはゆっくりと、前に向かって歩き始める。すると、何処からともなく光が射し込み、道なき道を照らし出した。光はずっと先の方――――出口の方まで続いている。ヘレナは大きく息を吸うと、光の指し示す方へと向かう。

 どのぐらい歩いただろうか。ヘレナは迷うことなく獣道を抜けた。眩い光がヘレナを優しく包み込む。



「お待ちしておりました、お嬢様」



 けれどその瞬間、ヘレナは自分の目を疑った。

 目の前には恭しく頭を垂れた男性が一人、黒い燕尾服をきっちりと着こなして上品に佇んでいる。彼の後ろには見慣れた馬車が一台停まっていた。



「レイ……?」



 ヘレナが尋ねれば、男はゆっくりと顔を上げた。エメラルドのような美しい色合いの瞳が揺れ、形の良い唇が弧を描く。彫りが深く、絶世の美女と見紛うほどに美しい顔立ち。陶器のように白く滑らかな肌には、漆黒の髪がよく映える。彼の右目は長い前髪に隠れて見えないが、それがミステリアスな彼の印象に良く似合っていた。



「はい、お嬢様。あなたのレイでございます」



 そう言ってレイは穏やかに微笑んだ。ヘレナは目を見開き、その場に呆然と立ち尽くす。



「なんで? どうしてレイがここにいるの?」



 言いながら、ヘレナは戸惑いを隠せない。

 彼女が追放されたのは、ほんの二日前のこと。その間ヘレナは休みなく馬車に揺られ、ようやくここまで辿り着いたのだ。ヘレナの国外追放が侯爵家の面々に伝えられたにしても、レイが先回りしているのは物理的におかしい。



「当然、お嬢様をお迎えに上がるためでございます」



 レイはそう言ってヘレナを馬車へとエスコートした。質問の意図から外れているが、こういう時の彼が多くを語ることは無い。ヘレナは小さく息を吐き、促されるまま馬車へと乗り込む。やがてゆっくりとヘレナを乗せた馬車が動き始めた。



(レイはわたしを迎えに来たって言ったけれど)



 ヘレナには当然、行く当てが無かった。隣国に縁者はおらず、財産を持ち出すだけの時間も与えられていない。身に着けている宝飾品を売れば幾らか金にはなろうが、生きて行くに十分な金額とは思えなかった。



(住む所も無ければ着るものも、食べるものも無いというのに)



 レイは一体何処に向かっているのだろう。ぼんやりと車窓を眺めつつ、ヘレナはそんなことを考える。

 二人を乗せた馬車は、流れるように道を走り続けた。自然豊かな土地を抜け、やがて家々の立ち並んだ小さな町へと辿り着く。レイは町の郊外に位置する大きな屋敷の前で、ゆっくりと馬車を停めた。



「どうぞ、お嬢様」



 そう言ってレイは、ヘレナの手を恭しく握る。馬車を降りれば、真新しい木材と塗りたてのペンキの香りが風に乗って届いた。ヘレナの住んでいた屋敷よりは一回り小さいものの、上品でどこか洗練された佇まいの屋敷だ。



(レイの知り合いの方のお屋敷かしら?)



 そう思いつつ、何とも言えない違和感がヘレナを襲う。

 レイがヘレナの屋敷で執事を始めて以降、外出している様子を殆ど見たことがない。知り合いらしい知り合いが彼に居るとは、到底思えなかった。



「こちらでございます」



 レイはそう言って、我が物顔で敷地を突き進んだ。ヘレナは首を傾げつつ、レイの後に続く。それからレイは何処からともなく鍵を取り出し、屋敷の扉に手を掛けた。



「ちょっ……ダメよ、レイ!」



 余所様のお家に勝手に入るという行為は、とても褒められたことではない。焦るヘレナに、レイは平然と笑った。



「ご安心ください。こちらはお嬢様のお屋敷ですから」


「……へ?」



 重厚な扉が音もなく開き、屋敷の全貌が明らかになる。ヘレナは思わず息を呑んだ。

 傷一つない真新しい大理石の床。落ち着いた色合いの壁紙や可愛らしい調度品類。大きな花瓶にはヘレナの髪色によく似た色合いの美しい花々が飾られている。



(全部全部、わたしの好きなものばかり……)



 壁紙や扉、床の色合いや階段の手すりといった細部に至るまで、全てがヘレナ好みに作られている。ヘレナのためのお屋敷――――レイのその言葉に、嘘偽りが無いように思えてくる。



「だけど、わたしのお屋敷って……そんな、まさか」



 他国に屋敷を構えるような伝手は、ヘレナにも、亡き両親にも、現侯爵である兄にも無い。聖女としての活動は慈善事業のようなものだから、殆ど給金は貰っていなかったし、ここまで立派な屋敷を建てるような財産はヘレナには無かった筈だ。



(第一、どうしてこんなところにわたしのお屋敷があるのかしら?)



 ヘレナは二日前、初めて追放の事実を知らされた。事前にそういう匂わせがあったわけではなく、本当に寝耳に水の出来事だった。

 それなのに、この屋敷はまるで彼女が『追放される』ことを予見していたかのように存在している。ヘレナはそっと、レイのことを覗き見た。



(さっきの出迎えもそうだけれど)



 レイにはこうなる未来が見えていたのだろうか?そう思うと、何とも言えない気持ちに苛まれる。



「こちらは正真正銘、お嬢様のお屋敷でございますよ」



 そう言って優雅に微笑むレイに、ヘレナは唇を尖らせた。

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