行方不明と国外追放
「レイモンド様! ……やっぱりそうだ! 間違いない!」
赤髪の騎士は叫びつつ、レイとヘレナに向かって走り出した。レイはヘレナを隠すようにして前に立ち、キッと騎士のことを睨みつける。
「良かった……やっぱり生きていらっしゃったんですね!」
人懐っこい笑みを浮かべ、騎士は手足をバタつかせる。レイは小さく首を傾げながら、キラキラしい余所行きの笑顔を浮かべた。
「申し訳ございませんが、人違いでしょう。私は『レイモンド』という名前ではございませんし、あなたのことも存じ上げませんから。
さぁ、お嬢様。そろそろお屋敷に帰りましょうか。今晩はお嬢様が好きなシチューをご用意しております」
そう言ってレイは、ヘレナに向かって微笑みかける。あっという間に執事スイッチが入ったらしい。先程までヘレナの名前を呼んでいた癖に、もう『お嬢様』呼びに切り替わっている。
(何か、わたしの名前を聞かせたくない事情でもあるのかしら?)
普段、街では敢えてラフな印象を醸し出しているレイなのに、今の彼はきちきちっとした執事っぷりを見せつけている。
けれど、赤髪の騎士は「そりゃ無いですよ~~!」と口にして、ひしとレイに縋りついた。
「僕がレイモンド様を見間違えるわけがないじゃありませんか? そんな人並み外れたやっばい容姿しといて『別人です』が通るわけないでしょう? それに――――」
ほら、と言って男性は、レイの前髪をぐいっと掻き上げる。右目を隠している方の前髪だ。中から現れたのはエメラルドみたいに綺麗なレイの瞳――――ではなく、アンバーのような色合いをした、左目とはまた別の美しさを誇る瞳だった。
「これで言い逃れはできませんよ? こんな珍しい瞳しといて、別人なわけがないじゃないですか! いい加減認めてくださいよ~~」
嬉しそうな男性とは対照的に、レイは何だか面倒くさそうな表情をしている。最早返事をするのも煩わしいといった雰囲気だ。
(だけどこの人、このままいくとずっとこの調子だろうし)
「ねぇ、レイ。お屋敷にお招きして、お茶でも飲んでいただいたら? 事情はよく分からないけど、久しぶりにお会いしたんでしょう? 出来たらわたしも、レイのことを教えていただきたいし」
レイにだけ聞こえるような小声でヘレナがそう提案すると、男性は「是非是非!」と言いつつ
飛び上がる。どうやら相当耳が良いらしい。
「――――――お嬢様がそう仰るなら」
そう口にしつつ、レイは小さくため息を吐いた。
***
「ここがレイモンド様のお屋敷ですか~~~~まさか国内にお屋敷を構えていらっしゃるとは思いませんでしたよ! どうして連絡してくださらなかったんですか?」
屋敷に入るなり、男性は一気にそう捲し立てる。
「私の屋敷ではございません。こちらにいるお嬢様のお屋敷です。それに、ストラスベストには先月越してきたばかりですから」
「そうなんですか。それにしても、レイモンド様が『お嬢様』って……似合わないけど似合うなぁ~~!
で、どうして執事ごっこなんてしてるんですか? っていうか、今まで一体どこに――――」
「ごっこではなく、私はお嬢様の執事です。十年間、お嬢様の執事として暮らしてきました。
ですから、あなたの知る『レイモンド』はもう、この世には存在しません。
さぁ……こちらを飲んだら、お引き取りください」
そう言ってレイは、男性へ湯気の立ったティーカップを手渡す。ずっと会話を続けていた上、いつ、どこで、どうやって準備したのかも分からない、流れるような動作だった。応接室へ案内する気はないらしく、玄関で立ったまま応対を続けている。
「えぇーーーー⁉ そりゃぁないでしょう! 十年ぶりの再会ですよ? 聞きたいことが色々あるのに」
「残念ながら、私の方は話したいことがありません」
「待ってよ、レイ。わたしは聞きたいな、レイの話」
そう口にしたのはヘレナだった。レイのことを見上げつつ、ほんのりと首を傾げている。
「お嬢様……」
どこか甘えるような仕草。しばらく逡巡したものの、レイがヘレナのお願いに抗えるはずもない。男性を応接室へ案内し、渋々といった様子で自分もソファに腰掛ける。ヘレナもレイの隣に座りつつ、ドキドキと胸を高鳴らせた。
(まさかレイの昔話が聞ける日が来るなんて、思わなかったわ)
なるべく表情には出さないようにしていたものの、ヘレナはひどく浮かれていた。ヘレナはこの十年間、執事になる前のレイの生活について何度も尋ねた。けれど、いつも巧妙にはぐらかされ、フワフワしたことしか教えてもらえなかった。
彼が何処で生まれ、どんな幼少期を過ごしたのか。家族は何人いるのか、どうして帰る場所が無くなってしまったのか――――知りたくても叶わなかったレイの過去が、今明らかになろうとしているのだ。浮かれるなという方が無理があった。
「では、改めて自己紹介から。僕はニック。レイモンド様の近衛騎士をしていました。
十年前にレイモンド様が行方不明になってからは、お兄様であるイーサン様の指揮下で、あれこれ仕事をしています」
「そう……! レイにはお兄様がいらっしゃるのね」
「……まぁ、腹違いではありますけどね」
レイはそう口にして小さなため息を吐く。ヘレナが首を傾げていると、ニックがずいと身を乗り出した。
「イーサン様のご生母は正妃様、レイモンド様のご生母は側室でいらっしゃるんです」
「……? 正妃、様?」
ヘレナは今しがた聞いた情報を頭の中を整理しつつ、いよいよ首を大きく傾げる。
(近衛騎士がいて、腹違いのお兄様の母親はお妃様で、レイのお母様は側室で……)
「はい! お嬢様はご存じないようなのでお伝えしますと、レイモンド様はなんと! 我が国が誇る第二王子でいらっしゃるのです!」
ニックはそう言ってキラキラと瞳を輝かせた。ヘレナは目を見開きつつ、レイのことをまじまじと見つめる。
「そう……レイが…………」
(ずっとただものじゃないって思っていたけれど)
なるほど、色んなことに合点がいった。
帰る場所を失ったという話なのに、屋敷に引き取られた頃から、誰よりも礼儀作法が完璧だったこと。そんじょそこらの家庭教師より、余程色んな知識をヘレナに教えることができたこと。人間離れした家事、人事、領地管理能力に、隠しきれない高貴なオーラ。全ては彼が幼少期に王子として培ったものだったのだろう。
「驚かないのですか?」
恐る恐るといった様子でレイが尋ねる。彼にとって一番怖いのは、ヘレナの反応だった。ヘレナは首を小さく横に振ると、穏やかに目を細めた。
「驚いていないわけじゃないけど、元々レイは王子様っぽいなぁって思うことも多かったし。納得したというか、感心したというか」
「……そうですか」
レイはそう口にしつつ、ホッと胸を撫でおろす。
「それにしても、どうして突然居なくなってしまったんですか? レイモンド様が行方不明になって、僕達がどれ程心配したことか! 国を挙げて捜索が行われたのに……」
「国を挙げて捜索ですか。……私を行方不明にしたのは正妃様なんですけどね」
「正妃様が?」
そう言ってニックは目を丸くする。ヘレナもレイの手を握りつつ、そっと顔を覗き込んだ。
「ええ。私がいると、息子であるイーサン様の玉座が危ぶまれると思ったのでしょう。
ある日突然馬車に乗せられ、『二度と帰ってくるな』との伝言付きで隣国に置き去りにされました。まぁ、そうなるだろうと分かっていて、私も抵抗しなかったのですが」
レイは平然とそう口にし、クイっと紅茶を飲む。
「そんな……ひどいわ! レイは何も悪いことをしていないのに!」
言いながら、ヘレナの瞳に涙が浮かぶ。レイの気持ちを考えると、胸がズキズキと痛み、苦しくなった。レイは小さく笑いつつ、ヘレナの手を握り返す。
「追放とはそういうものですよ。けれど、ありがとうございます。お嬢様にそう言っていただけるだけで、心が救われます」
レイはそう言って笑うが、ヘレナは未だ納得がいかない。
ヘレナはストラスベストに追放された時、途方もない気持ちに陥った。行く当てもなく、頼れる人もおらず、どうやって生きて行こうと――――これから生きて行けるのだろうかと、そう思った。
そんな時、ヘレナの前にレイが現れた。レイが居たからヘレナは救われた。もしも彼があそこに居なかったら、ヘレナは絶望に呑み込まれていただろう。
「そんなに泣かないでください。お嬢様の顔が腫れてしまいますよ?
第一、私は正妃様に感謝しているのです」
レイはヘレナの涙を拭いつつ、穏やかに微笑む。
「感謝? 一体、どうして?」
「あの頃は、兄との王太子争いが激化していて、すごく居心地が悪かったのです。私自身に王位を継ぐ意思は無くとも、周りはそうじゃありませんでしたから。下手をすれば、本格的な内紛に陥る可能性だってありました。ですから、そうなる前に争いの火種を取り除いてくださった――――そう考えれば、正妃様の行いは正当化されても良いと思うのです」
「だけど……だけどレイは行く当てもなく、一人っきりで国外に置き去りにされたんでしょう? やっぱりわたしは納得できないわ。レイが……レイがあまりにも気の毒で――――――」
「いいえ、お嬢様。彼女のお陰で、私はお嬢様に出会えました」
レイはそう言って笑みを浮かべた。今にも涙が零れ落ちそうな、幸せそうな笑みだった。ヘレナの心が大きく震える。レイはヘレナの背を撫でつつ、更に目を細めた。
「お嬢様が私を見つけて下さった。居場所を与えてくださいましたから、私は辛くも悲しくもありませんでした。お嬢様の笑顔を見る度に幸せで、もっと笑顔が見たいと――――あなたのために生きて行きたいと、心から思ったのです」
ヘレナの目からボロボロと涙が零れ落ちる。レイはそっと、ヘレナのことを抱き締めた。互いの温もりが心を優しく包み込む。
どのぐらい経っただろうか、
「あ……あの~~~~~~」
と躊躇いがちな声が応接室に響く。見れば、赤面したニックが目を逸らしつつ、小さく手を挙げていた。
「あぁ、まだいらっしゃったのですか?」
レイはそう口にして、呆れたように笑うのだった。




