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アッチの世界に続く非常階段

作者: ミサワユキヒコ

福栄町は横浜のディープな夜の街だ。僕は福栄町で生まれ育ち、今もこの街に住み、この街で夜の仕事をしている。


ディープな街だけに、普通じゃない人が多く、危ない話、面白い話、イカレた話を聞くことはしょっちゅうある。


その中から、ちょっと奇妙な話をしたい。


その日、俺とクラブのボーイ仲間のタイジは深夜の3時過ぎに仕事を終え、店を片付けてから、近くのラーメン屋に立ち寄って、餃子とザーサイをつつきながらビールを飲んでいた。

シメにタンメンでも頼もうかとメニューを眺めていると、タイジが茶色に染めた長髪を掻きながら、ボソッと「なあ、人の消えるビルって聞いたことあるか」と聞いてきたのだ。


人の消えるビル。


確かに聞いたことはある。福栄町にはクラブや小さなスナックがテナントで入ったビルがいくつもあるが、そのうちのある1つのビルで、時々人が行方不明になる、という話だった。

が、そのほとんどが伝聞で、ビルがそもそもどのビルかも正確に伝わっておらず、消えたという人も「知り合いの知り合いの知り合い」とかで、正直、本当の話とは到底思えないものばかりだった。


「知ってるっちゃあ知ってるけど、都市伝説だろ」

「そう思うだろ。でも、俺、この間、たぶんそのビルに行ったんだよ」

「まさか」僕は笑ってから、店員を呼び、タンメンを注文した。


タイジは店員に「タンメンもう一個」と言ってから、俺の方に向き直り「マジだって、ちょっとヤバかったんだよ」と真剣な目で俺を見て来た。


「〇〇〇ってビルなんだけど、ほら、なんかよくあるだろ、特定の状況が揃った時、この世界とアッチの世界が繋がってしまって、うっかりアッチの世界に足を踏み入れたら、戻って来られないってやつ。たぶんアレだよ」






タイジによると、それは曇ってすごく風の強い日だったそうだ。


仕事に行くのが億劫な天気だったが、そんな理由で仕事を休むわけにも行かないので、タイジは店に向かった。


その日、天候が悪いワリに店はそれなりに忙しく、タイジは忙しく立ち働いていた。そして、夜11時を少し過ぎたころに、タイジのことを可愛がっている不動産屋の社長が店にやって来た。


社長はすでに少し飲んでいて、お気に入りの女の子を指名すると、タイジも自分の席に呼んだ。なんでも大きな商談が上手く行ったとかで、社長は上機嫌だった。ビールを3本ほど飲むと「うまいウィスキーを飲ませてくれる店があるんだが、一緒に行かないか」とタイジを誘った。


めんどくさい。


それがタイジの本音だったが、上客の機嫌を損ねるわけにはいかない。タイジは社長と女の子と3人で、店を出て、いくつかの角を曲がり、何本か路地を抜けて、〇〇〇ビルの5階にあるバーに入った。そのバーは店全体がブラウンの内装で統一され、40後半くらいの整った顔立ちの黒髪の女性がママをやっていた。


社長は「この店はとっておきの店だから」と言って、タイジに珍しい銘柄のウィスキーを次々に飲ませた。一杯、また一杯と飲むうちに、タイジの意識はぼんやりとして、5~6杯ほど飲んだところで、タイジは空いていたボックスに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。




目を覚ますと店には誰もいなかった。タイジたちが飲んでいたテーブルの上にあったコップやボトルなんかは全て片付けられていた。スマートフォンを取り出してみると、時刻は深夜3時で、電波は圏外だった。


タイジは店の奥に向かって「社長」や「ママさん」と呼びかけてみたが、返事は無かった。不用心だなと思いながら、カウンターに並んでいるミネラルウォーターを1本取って飲んだ。もしかしたら、誰か帰ってくるかもしれないと思い15分ほど、座って待ったが帰ってくる気配はなかった。


まだ、酔いは醒めていなかったが、このままこの場に居ても仕方無いので、タイジは家に帰ることにして、店の扉を開けた。廊下は薄暗く、奥にエレベーターがあるのが見えた。タイジはふらつく足で、廊下を歩き、エレベーターのボタンを押すが反応が無い。「マジかよ」何度がボタンを叩いてみるが、エレベーターが動く気配がなかった。


すぐ脇を見ると、非常階段のドアが少し空いていた。ドアを開けると真っ暗な中に階段が見えた。手すりから下を除くと、おそらく1階部分の扉が開いているようで、ほんのりと明かりが見えた。


タイジは足元に注意しながら、暗闇の中、少しずつ階段を下って行った。2階ほどゆっくり階段を降りたところで、タイジは奇妙なことに気がついた。


タイジの立てる音以外に、何の音も聞こえないのだ。


深夜の3時とはいえ、この街は、横浜イチの歓楽街だ。酔っ払いが騒ぐ声、店から漏れるカラオケの歌声、往来を行き来するタクシーの音なんかが、うっすらとは聞こえるはずだ。それが何もしなかった。


タイジは階段を下ることをやめ、耳を澄ませた。


やはり何も聞こえない。手すりから下を除くと、1階部分の明かりが見えた。でも奇妙なことに、さっきいた5階から2階は下ったはずなのに、1階の明かりとあまり距離が変わっていないように見えたのだ。酔っぱらっているのか。そう思って目をこすった瞬間、何かが階段をゆっくりと上がって来ているのが見えた。


ヤバイ。


タイジはほとんど直感でそう思って、その「何か」から逃げようと、階段を上がろうとしたが、体全体が重く、下る時のように動かなかった。


そうしている間にも、「何か」が下から迫って来る。タイジは冷や汗でびっしょりになり、声にならならい声を上げながら這うようにして、必死に階段を上がった。


1階登ったところで、後ろを振り返ると、その「何か」はすぐ数メートルの距離にまで迫っていた。


終わった。タイジは「何か」を見つめながら、観念した。


しかし、「何か」が移動する速度はゆっくりになっていた。


その時、タイジはジャケットの胸ポケットの中が熱くなっていることに気が付いた。スマートフォンが熱を持っているようだったので取り出してみると、熱を持っているのは、スマートフォンケースだった。


正確には、スマートフォンケースの中に入れていた狼の護符が熱を持っていた。


その狼の護符は、タイジの実家がある地方に伝わる魔除けの護符で、何かのおりに祖母からもらい、それをタイジがスマートフォンケースに入れて持ち歩いていたのだ。


「何か」が自分に近付けないのは、この護符のおかげかもしれないと考えたタイジは、護符を何かのほうに向けた。


ぬぉぉぉんと低い音がして、「何か」との距離が離れたことが分かった。護符の熱が下がり、心無しか体の重みもやわらいだようだった。だか、まだ「何か」は階下いた。


下に逃げることはできない。


タイジは、階段を5階まで駆け上がり、もといたバーの中に逃げ込んだ。扉を閉め、鍵をかけると、そのまま扉を背にしてへたりこんだ。10分ほど呼吸を整えたところで、護符が少しずつ熱を持ち始めていることに気がついた。


「何か」が近付いて来ている。そう感じたタイジはカウンターの中にあったセロテープで護符をドアに貼りつけた。


あとはもう祈るしかない。タイジは特に信仰心が篤いわけではなかったが、故郷の山々と狼の護符を思い浮かべながら、「助けてください、助けてください」と祈り続けたらしい。


時間をかけて「何か」は扉の前までやって来たが、やはり扉の中には入って来れなかった。

ただ、「何か」が近づいたことで、護符は端のほうからほんの少しずつ黒く焦げていった。


護符が焼けて灰になったら終わる。タイジは扉の前でうずくまり祈った。タイジが祈ると、心無しか護符が焼ける速度が遅くなるように見えた。タイジはただ必死に祈り続けた。


どれくらいの時間、そうしていたか、タイジは「何か」の気配がうすらぎ、少しずつ遠ざかって行くのを感じて顔を上げた。見ると護符は4分の1ほどを残して灰になっていた。


スマートフォンの時計を見ると、5時を回っていた。店の窓を開けると、空は薄っすらと明るくなっていて、遠くのビルの隙間から陽光が見えた。


「朝だ。助かった」

タイジはそのままボックスシートに崩れ落ち、朝日を浴びながら眠った。


以上がタイジが経験した奇妙な話のあらましだ。




「んで、その話、信じろってのか」運ばれてきたタンメンをすすりながら俺が言うと、タイジはポケットから、一枚の紙片を取り出してテーブルの上に置いた。


紙片は何かの護符の一部で、端が黒く焦げていた。


「マジだって。俺、これのおかげで助かった。今度、お礼参り行くよ」タイジはそう言って、餃子を1つ口に運んだ。

俺は護符を見ながら「ああ、そうしたほうがいいな」と返した。


もちろん、俺はその話を聞いてから、〇〇〇ビルの店には近付いていない。

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