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かざす花  作者: ななえ
番外編
62/68

ハート症候群

 壮司はその時期かなりいっぱいいっぱいだった。

 まずは推薦入試に向けての小論文と面接対策。これが一番重要だ。おおげさに言えば一生がかかっている。引退した剣道部でも昇段審査を受ける後輩のために剣道形を教えにいっていたし、まだ発足して間もない新生徒会に仕事の引き継ぎがてら指導もしていた。

 そこに来週の定期テストの勉強が加わり、忙殺されていた。

 目のまわるような忙しさの中、めずらしく巴からメールが届いた。

『明日一緒に図書館で勉強しないか』

 相変わらず用件のみの簡素な文面に、壮司は思わず小さく笑った。

 巴とは生徒会の任期を終えて以来、会える頻度が減っている。一番はそれまでの特別寮から男子・女子寮に隔てられてしまったせいだ。その上この忙しさで話はおろか顔すら見れていない。

 今までこんなに長く巴と接しなかった期間はない。壮司にとって巴の誘いは素直にうれしかった。

 壮司は『わかった、明日の放課後な』と、巴に負けず劣らずそっけない文章で返信した。めったにメールなど打たないので、ボタンが打ちにくくてしかたなかった。

 自分たちは恋人らしい素直な気持ちを伝えるのが苦手だ。〝会いたい〟とその一言がなかなか言えない。

 しかしこんなに長く離れていればそう悠長なことなど言ってられない。めったにしないメールを使ってでも会う約束をとりつけたかった。

 とりあえず壮司はその日も徹夜して明日の分まで勉強した。巴に会ったら間違えなく勉強どころではなくなるとわかっていた。

 目の下に濃い隈をこしらえて翌朝登校したため、授業中も何度か意識が飛びそうになった。そもそも今週何回まともに布団で寝ただろう。

 壮司はこらえた。来るべき放課後に備えて小テストをクリアし、課題を提出し、授業中に当てられたら予習してあるノートを見て答えた。

 問題なく放課後の清掃までこなし、後は巴の待つ図書館に行くばかりになった。

 今日も一日乗りきった、という感慨とともに、教室を出ようとしてクラスメイトに呼びかけられる。彼女は数少ない推薦入試組で、よく同じグループで面接練習をしている女子だった。

 不動くん、という呼びかけで、嫌な予感がした。

 今日、放課後面接対策だって、と彼女は続けた。

 壮司の希望は打ち砕かれた。

 

  ―◆―◆―◆―◆―

 

 巴は勉強をする気にはなれなくて、図書館の書架から目についた本をとり、読んでいた。

 必死にページに並ぶ文字を追おうとしても、文章は頭の中を通りすぎていくだけだ。気を抜くとどうしても落胆が首をもたげる。

 巴はさっさと掃除を終わらせて、早めに図書館へ来ていた。

 一緒に勉強しよう、なんて口実に過ぎなかった。壮司と会えれば何でもよかった。

 なかなか彼のクラスまで行く勇気が持てなくて、巴は悶々とした日々を過ごしたが、昨日ついにメールを送った。すぐに壮司から了承の返事が返ってきてうれしさを隠せなかった。

 なのに――……。

 今、ひとりだ。壮司といるはずだった時間に自分はひとり本を読んでいる。

 今日のためにアイロンまでかけた制服も、念入りにブローした髪も、ほんのりつけた香水も、たまらなく滑稽に感じた。

 壮司から『行けなくなった、すまん』というメールが来たのはつい先程のことだった。

 壮司はいつもいそがしい。彼は何に対しても全力で取り組む。なのでいつもせわしく立ち回っていた。

 今日も面接の練習が入ったとのことだった。本当に彼には暇がない。

 本当は自分と会ってくれ、と言うよりも一日ぐらいゆっくり休めというべきだった。

 そんな反省もふまえて、『そうか、わかった。いろいろとお疲れさま』と送った。大奮発して文末にハートマークの絵文字までつけた。

 あまりにメールを使わないため、絵文字をここでこのように使っていいのかわからなかったが、とりあえず送った。

 返事は返ってこない。もっとも文字でのやりとりなど味気なくて仕方ない。自分は壮司の実体がいいのだ。

 考えれば考えるほどむなしくなってきた。この様子では実際に会えるのはいつになるかわからない。

 まったく読書に集中できなくて、本をもう棚に戻そうと閉じる。そうして本を持ちつつ、巴の身長ほどある段に戻そうと手を伸ばす――。

「なにのんきに本なんか読んでんだよ」

 背後から低い声にささやかれる。耳朶に吐息が触れた。

 そのまま視界が反転する。なにがなんだかわからないうちに顔の向きを変えられる。大きな熱い手に腰を抱きよせられた。

 本が落ちる、とそちらに向けた視線をからめとられ、言葉を発する暇もなく口づけられる。余裕のない動きだった。

 深く唇を重ね合わせられ、息ができない。混乱すら呑み込まれる。

 久しぶりのキスの感覚に流されそうになって拳を固めた。そろそろ息が続かない。抗議の意味をこめ、向こうの胸を叩いた。

 やっと唇が離れる。息を吸いながら傍らの人物を見上げた。

「壮司、なんでここにいる……!」

 熱烈なキスをされ照れ隠しやらなんやらで壮司をにらみつける。

 確かに壮司の存在を望んではいたが、いったい面接練習はどうしたのかという疑問と、来るや否やせっぱつまった様子でキスをされ、なにがなんだかわからない。

 誰か来たらと気が気でなくて、巴は身を離そうとするが、壮司はそれを許してくれない。彼の腕は巴の腕に回ったままだ。

「……お前が誘ったんだろうが」

 心の奥に潜んでくるような低い声でささやかれ、ぞくりとする。壮司の本性を見せつけられたかのような気になる。

「誘ってなんか――」

 いない、と続く言葉はまた口づけに吸い込まれた。

 後ろの書架に押しつけられ、身動きがとれない。遠慮のないキスに思考が働かなくなる。目の前の壮司のことしか考えられなくなる。

 頭に酸素が回らなくなって、代わりに熱に冒される。

 夢の中にいるような感覚にひたりながら、やっと壮司の唇が離れていったことをぼんやりと察知した。

「たくっ、ハートマークなんかつけやがって。こっちは徹夜明けで頭弱くなってんだよ。刺激が強すぎだ」

 壮司が何事かを忌々しげにつぶやいていたが、巴は体に力が入らなくて書架によりかかりながらずるずると床にへたりこんだ。

 壮司はそれすら予想通りというように自身も座りこみ、それからこちらの体を抱きよせられた。

 天井まで本が並べられた、書架の奥深くは密室のような雰囲気が漂っていた。人の気配は遠く、壮司の存在感だけが色濃く満ちている。

「面接は……?」

 壮司の胸に寄りかかりながら、巴はうわごとを言うような稀薄さで尋ねた。

「病欠だ」

 いけしゃあしゃあと壮司は嘘をつく。

 壮司にしては驚きの嘘だった。彼は責任感が強く、するべきことを絶対に後回しにしない。

 その壮司が病欠という名のサボりでここにやって来たのだ。考えられないことだった。

「ハートマークひとつで盛って……お前は犬か」

 翻弄されっぱなしで悔しくて、憎まれ口をたたく。

「どこが病気だ。元気すぎてこっちは迷惑だ」

 彼は何に対しても全力で取り組むが――まさか全力で愛をぶつけられる日が来るとは思っていなかった。

 無言のままで壮司の手が降ってきた。その手が巴のあごをつかみ、上に向かせる。

「涙目でそんなこと言われても説得力ねえな」

 冷徹ともいえる表情と声音で言われ、巴は本能的に恐れに壮司から離れようと後ずさる。

 巴が後ずさったわずかな距離を壮司は詰めてくる。逃がさないというように後頭部をやわらかくつかまれ固定され、そのまま目尻にたまった涙に唇をよせられた。

 不安定な姿勢に、体勢を崩す。壮司にのしかかられ、巴は仰向けに崩れた。

 巨大な本棚の影になり、部屋の底には闇がたまっていた。その中に沈む。髪が広がった。

 まだ照明がついていない薄暗い天井が見える。壁の上部につけられた細い窓から射し込む夕陽は、今は別世界の光のように思えた。

 茜色の西日を背中から浴びながら、壮司は薄く笑っているように見えた。

「お前のせいで俺は病気だ」

 無防備に床へ投げ出した手に、壮司の指が上からからめられる。

「まだ足りない」

 お前が、とほとんど唇の動きだけで言われ、壮司の顔が迫ってくる。

 責任とれよ、と言われたのを最後に、巴の視界は黒く染まった。

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