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かざす花  作者: ななえ
番外編
61/68

彼に捧げるコンプレックス

終章前、高三の夏休みです。

「海行こう、海!」

 毎度おなじみの突拍子のなさで、芙美花から誘いをかけられたのは一学期の終業式後のことだった。

 グレーの薄い生地になったとはいえ、セーラー服は暑い。芙美花の在籍する家政科の制服はワイシャツ一枚だ。巴はうらやましくその涼しげな姿を見ていた。

「海?」

 巴は思わず聞き返してしまった。巴は現在受験生のまっただ中にある。正念場である夏休みに出かけるといったことは考えたことすらなかったのだ。

「うん、海」

 芙美花は満面の笑みで答える。その笑みを見ると一日ぐらい息抜きもいいか、と思ってしまう。正式な解散は夏休み明けといっても巴たち生徒会は事実上任期を終えている。もう四人で集まることもなくなるのだ。

「夏休みに入っても課外授業がしばらくあるけど、それが終わったら行きたいな」

 無理にとは言わないけど、と芙美花は言ったが、ほがらかに提案する彼女と四人で行く海は魅力的だった。巴は「そうだな、行こう」と返事をした。

「やった! じゃあ今度水着買いに行こ!」

 隣を歩く彼女が腕を巻きつかせて誘ってきた瞬間、巴は凍りついた。

 水着。迂闊にも自分はその可能性を考えていなかった。暑さで頭がやられているのかもしれない。海といったら水着。その当たり前のことをすっかり失念していた。

 とっさにやはり海へ行くことを断ろうかと迷ったが、芙美花がにこにこしているのを見て、何も言えなくなってしまった。

 楽しみだね、という芙美花の言葉にああ、と答えるしかなかった。

 日焼けよりも余裕のない受験勉強よりも水着。それが巴にとって最大で唯一の問題だった。

 巴の沈んだ気持ちとは裏腹に、芙美花はその日の内に壮司と健一郎から了承の返事をもらってきていた。

 壮司は普通の推薦で、健一郎はスポーツ推薦で大学入試に臨む。教師から合格のお墨つきまでもらっている彼らは比較的他の受験生より余裕があるのだろう。

 談話室でも彼女は勉強そっちのけで芙美花はファッション誌をめくり、この水着は巴に似合いそうだの何だの言ってくる。巴は笑顔を作り答えたが、心中浮かなかった。

 誌面を飾るモデルたちは細いながらも凹凸のある体をしている。その張りのある肢体がまぶしかった。

 数日後の休日には芙美花に手を引かれ、さっそく水着を買いにいった。

 ここまで来ても巴は往生際悪く、やっぱり海には行かない、と言いたくなる。売り場で水着を見た瞬間尻込みした。作り物の豊かな胸を持ったマネキンにすら自分は負けている。

「あー、かわいい!」

 芙美花がはしゃいでディスプレイされている水着に駆け寄る。小花柄にフリルのあしらわれたそれは甘く、芙美花にピッタリだった。

「巴にはこれがいいんじゃないかな」

 次いで芙美花が持ってきたのは黒のホルダーネックのビキニだった。装飾が少なくシンプルなデザインゆえに体のラインがくっきりわかりそうだった。

 巴はあいまいに返事をして受けとるが、ビキニを直視したくなかった。

 芙美花が「着てみるね」と言い残して試着室に消えた。巴は居心地の悪い思いを抱えながら、手元のビキニを見た。

 当たり前のようにビキニを勧められてとまどった。巴としてはタンクトップ型やワンピース型で少しでも体を隠したい。だけれども自分と同じくらいの少女たちは皆一様にビキニを楽しそうに選んでいる。

 後ろで水着を選んでいた女子高生が「彼氏がビキニ見たいって言うんだよねー」と嬉しそうに話している。思わずビキニを持つ手に力がこもる。

 壮司が喜ぶかもしれない。でも逆に壮司はがっかりしてしまうかもしれない。

 とめどなく思考は回り、巴をさらに悩ませる。あまりに頭がいっぱいになっていたので、芙美花が試着室から帰ってきたことに気づかなかった。

「買わないのか?」

 肩を落とし、見るからにがっかりしている芙美花に、巴は問いかけた。

「うん。サイズがちょっと……」

「サイズ?」

 水着のサイズなんてどうにでもなるものではないのか、と怪訝に思い、巴は聞き返してしまった。芙美花は少し逡巡する様子を見せたが、やがてためらいがちに口を開く。

「あのね、胸がその、きつくて……」

 やや恥ずかしそうに話す芙美花の言葉に、巴は鈍器で後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

 芙美花の豊かな胸は巴のコンプレックスをいたく刺激した。ビキニを着ようかという少しの勇気でさえしぼんでいく。

「巴も着てみなよ! きっと似合うよ」

「や、私は……」

 いい、という前に芙美花の邪気のない強引さによって試着室に押し込められていた。

 芙美花のにぎやかさが去ると、ビキニとともに狭い個室に取り残され、巴は途方にくれた。しばらくはビキニを見つめるだけだったが、彼氏が――と言っていた先ほどの女子高生の言葉がよみがえる。意を決して着てみることにした。

 学校のスクール水着に比べると布に覆われている部分が少なすぎて落ち着かない。お祖母さまに知れたら間違えなくお説教ものだ。

 おそるおそる目の前の鏡に写る自分を見る。血色の悪い肌は青ざめてすら見える。そして肉づきの悪い体は女性らしい円かな曲線とは無縁だった。

 ため息しか出てこない。貧相な体はみっともなさ過ぎた。

「巴ー、着れたぁ?」

 試着室の外から芙美花に呼びかけられ、あわてて水着を脱いだ。

 着替えて外に出ると、芙美花は脱いじゃったのー、と不満げな声を上げてくる。

「着たところ見せて欲しかったのにな」

「別に見せるもほどのものでもないだろう」

 そっけなく言い放ち、巴はレジへ水着を持って行く。一刻も早く芙美花にあれこれ聞かれないうちにここから出たかった。

 結局、芙美花は白いフリルのついた甘めのビキニを買い、ふたりで店を後にした。

 帰り道、日焼け止めを買うためにドラッグストアに寄った。

 ふと日焼け止めなどの基礎化粧品の横に並んだサプリメントが目に入る。

 『バストアップサプリメント』と書かれたボトルに目が自然と吸い寄せられる――。

「巴ー?」

 商品を持ってレジに向かう芙美花に呼ばれてハッとする。自分は何をしてるのか。

「……今、行く」

 芙美花に答えながら馬鹿か私は、と自分に呆れ返る。こんな薬に頼ろうとは。

 サプリメントを一瞥し、唇を噛む。わき上がる気持ちを振りきるように足早にその場を離れた。

 ビキニを着ないことでも着ることでも自分はただ、壮司にがっかりされるのがこわいだけなのだ。

 彼の歓心を引こうとばかりしている自分がたまらなく恥ずかしかった。

  

  ―◆―◆―◆―◆―

 

「お前、芙美花のことじろじろ見んなよ」

「うるせえ、お前もな」

 暑い砂浜に座りつつ、自分と健一郎は手持ちぶさたな時間を過ごしていた。

 芙美花に誘われて、夏真っ盛りの海にやって来た。夏休み中なだけあってビーチは人で埋めつくされている。強い日差しに負けないくらい皆一様にはしゃいでいた。

 その中にあって、自分たちは異様なほどおとなしかった。着替え中の巴と芙美花を待っているせいもあるが、実をいうと緊張している。おそらく隣の健一郎もそうだろう。

 芙美花たちビキニ着るんだってよ、と健一郎から耳打ちされたのはおとといだったか。壮司は情けなくも動揺を抑えられなかった。

 彼女の水着姿。男にとってこれ以上破壊力のある光景があるだろうか。期待というよりは見るのももったいないようなありがたいものを拝むような気分になる。

 興奮を抑えるために自分たちはじりじりとした太陽を苦行に耐えるかのごとく浴びていた。

「お待たせ健さん、不動くん!」

 背後から芙美花に声をかけられ、反射的にふたりして立ち上がった。そのすばやさといったらなかった。

 浮き輪を持った芙美花の隣――黒いビキニに包まれた、抜けるように白く細い肢体を爪先から徐々に見上げていく。こちらと目が合うと巴はむすっとした表情でふいっと顔をそらした。その仕草でさえ壮司は釘づけになる。

 これは非常にまずい。予想以上の破壊力だ。目のやりどころに困る。

「健さん、どお?」

 お隣で芙美花がにっこり笑って健一郎に感想を求めている。普段、女子の扱いに手慣れた感じを受ける健一郎でさえ歯切れ悪く照れながら「……よく似合ってる」と答えていた。

 目の前に巴が立っている。何か自分も言わなくてはと思うのだが、彼女に視線を向けられない。まばゆすぎる。

 何か言葉を、という気持ちだけが先走りすぎて空回りする。感動があふれすぎて何と言っていいかわからない。

「不動、パラソル張りに行くぞ」

 煮え切らない壮司の様子に見かねたのか、健一郎が助け船を出した。パラソルをレンタルしてあったのだ。

「ああ」

 答えてきびすを返そうとして、巴を見ていた男と目が合う。その視線に不快な意図を感じて、壮司は相手を睨みつけた。

 巴の容姿は優れている。大抵は純粋な注目であるが、時に壮司にとって快くない男の視線を集めることもある。睨みをきかせることはもはや日常茶飯事になりつつあった。

 まるで自分は巴の護衛のようだ。それくらい彼女のまわりにいつも視線を向けている。これでは自分の方こそ巴のストーカーになってしまう。世の中の彼女を持った男というのは皆こうなのだろうか。

 壮司は体格もよく、人相もあまりよくはないので、男はすぐに逃げていった。それに安堵し、壮司は巴に背を向け健一郎に続いた。

 背後で巴が泣きそうな顔でうつむいていることなどまったく気がつかなかった。

 

  ―◆―◆―◆―◆―

 

 壮司も健一郎も砂浜の一角にパラソルを黙々と張っていた。

「……不動、お前の頭ん中のこと当ててやろうか」

 不意に健一郎が沈黙を破った。強い日差しに照らされたその首筋に汗が一筋伝った。

「お前の頭ん中も同じだろうが」

 間髪容れずに壮司は返す。お互い頭の中は自分の恋人のことで埋めつくされているということだ。

 壮司の脳裏に巴の残像がちらつく。彼女の水着姿は強烈に記憶に刻み込まれていた。今の巴に触れたら自分は何かに感電して死ぬような気がする。

 巴と自然に接せられるだろうか、と一抹の不安を抱えつつ、パラソルを張り終え彼女たちのところへ戻った。

 行ってみると巴はいなかった。芙美花だけがさっそく買ったらしいアイスを頬張っていた。

「……巴は?」

 芙美花に尋ねた途端に、彼女は非難がましい目をこちらに向けた。

「不動くんのせいだからね!」

 いきなり芙美花に怒られ、わけがわからない。壮司は「はっ?」と聞き返してしまった。

「不動くんが誉めてあげないから上着取ってくるって巴行っちゃったんだから!」

 勢いを失わないまま、芙美花が続けた。

「ああいう時は一言でもいいから似合うとかかわいいとか言ってあげないとダメなの!」

 隣の健一郎までも壮司を責める視線を向けてくる。二対一の状況に壮司はたじろいだ。

「巴、元気なかったよ。絶対落ちこんでるって」

 目の前に現れたときの巴を思い出す。あの時彼女の険しい表情は、壮司に余計なことを言うな、と無言の圧力をかけているように見えたのだ。しかしそれは壮司の勘違いだったようだ。

 あの時、似合うとかかわいいとか、そんなものでは言い表せないほどの思いが壮司の中では渦巻いていた。だが言葉に表す術を知らなかったのだ。

「……行ってくる」

 巴を目の前にして平静でいられるかどうかは疑問だが、恥ずかしくても照れくさくても言わなければ伝わらないようだった。

 歩き出した壮司に背後から「がんばれー!」だの「しっかりやれよ」だのと声援がかけられた。

 巴は砂浜から道路へ上がる階段に立っていた。

 その姿を見た瞬間、壮司は全身がざわりと波立った気がした。巴がふたり組の男に話しかけられていた。

 金髪に焼けた肌、いくつものピアスと大振りなシルバーアクセサリー。巴を取り囲んでいるのは軽さの象徴のような男たちだった。

 巴が彼らを睨みつけているのが見えた。壮司は背中が冷たくなる。気が強いのも結構だが、こういう時ぐらい自重して欲しい。逆上させたらどうするのか。

壮司は命がいくつあっても足りない気がした。

 巴が冷たい眼差しを向け、男たちを撃退にかかる。しかし向こうも向こうで軽薄な笑みで受け流し、引き下がろうとしない。

 その人当たりのよさだけを考えた笑顔には、同性にだけわかる男の下心が匂っていた。

 壮司は舌打ちをし、足を早めた。そして安易な気持ちで巴へ手を伸ばそうとする男の手を寸でのところでつかむ。

「触んな」

 思ったよりドスのきいた声が出てしまった。万が一彼らと乱闘なんてことにはなりたくない。自分ひとりならともかく巴を巻き込むわけにいかない。

 だが止まらなかった。さらに男たちに険しい視線を送る。

「さっさとどっか行け」

 男たちは「何? マジで怒ってんの」などと口々に言い合っていたが、やがて肩をすくめて去っていく。彼らの目的はなるべくかわいい女の子と海で楽しく過ごすことで、巴がダメならさっさと次に行くまでだ。

 男たちが何事もなく行ってくれて思わず息をつく。それに反応して巴の背中がびくりと震えた。

「……とりあえず上を着ろ」

 壮司はこれ以上巴を直視することができなそうだった。巴はこちらに背中を向けたまま、白いパーカーを黙ってはおった。

 衣ずれの音が止むと、気まずい沈黙が流れた。似合っている、と伝えたいのだが、いきなり言ったらおかしいだろうか。何て切り出せばいいのか。

 巴は相変わらず背を向けたままだ。

「巴」

「がっかりしただろう?」

 覚悟を決めて呼びかけると、巴の声が重なった。こちらの言葉に先んじようと焦っているような感じだった。

「私は、その……胸が小さいからがっかりしたんだろう? だからさっきから怒ってるんだろう? ごめん、壮司」

 ごめん、ともう一度繰り返され、壮司はやっと自分たちの間に何か誤解が生じていることを理解した。

 悄然と肩を落とすに、壮司は「……違う」と否定した。体が熱いのは夏のせいではない。これから言うべきセリフを想像してのことだ。

「胸が大きくても小さくてもお前のがいいに決まってんだろうが」

 巴の水着姿だから格別なのだ。そんなこと伝えるまでもなく伝わっていると思っていた。誰のせいでこんなに落ち着かない思いをしていると思っているのか。

「お前じゃなきゃ意味ねえんだよ」

 壮司の言葉に巴は答えず、再び沈黙が落ちた。今度の沈黙は気まずいものではない。その証拠に巴は背中ごしでもはっきりわかるぐらい動揺していた。照れた雰囲気が漂ってくる。

「……ふ、芙美花たちのところにそろそろ戻ろう」

 巴の声が不自然に裏返っていた。とりあえずこの場をごまかしてしまおうとする言葉だった。

「行かなくていい」

 足早にその場を離れようとする巴を背後から抱きしめた。彼女の腹の上に両手を重ね、そのまま引き寄せる。

 滑らかな素肌の感覚を手のひらに感じた。

「壮司……?」

 いぶかしげに巴が名前を呼んでくるが、構わなかった。腕の中に巴を捕らえる。

「……他の男になんかもったいなくて見せられるか」

 巴の水着姿を拝むのは自分だけで充分だ。誰にも見せたくなかった。

「誰よりもお前が一番だ」

 言ったとたん、これがもっとも自分が伝えたかったことだったのだと知った。

「だからもうつまらないこと考えるなよ」

 言いながら、右手で巴の顔にかかる髪を払い、こちらに向かせた。左手は巴を抱き寄せたままだ。

「……壮司、人が見てるぞ」

 間近で巴が切羽詰まった声を出した。逃げようとする巴の腰をさらに強く抱く。

「お前がそんな格好で来るのが悪い」

 息がかかるほど近くでささやくと、巴はひるんだ表情をした。たじろいで制止する巴の声にも構わずに、顔を近づける。

 俺はお前のせいで他の女に目移りしている暇もない。お前こそ俺の気持ちをわかれ、と口づけた。

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