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かざす花  作者: ななえ
番外編
58/68

報復は夕食時に

芸術祭の夜です。

壮司は本日の夕食のメインであるトンカツに箸を伸ばした。

 今日はとにかく忙しかった。

 芸術祭を成功のうちに終わらせるために、壮司は走りまわり、指示を下した。

 当然ながら疲れを感じており、空腹も感じていた。

 混雑のピークを過ぎた食堂で、やっと食事にありつくことができ、壮司としてはやっと気が抜ける。

 しかし、目の前の存在がいなければもっとくつろげただろうにと思った。

 壮司と向かい合った座席には、黙々と肉を噛み砕く由貴也の姿があった。

 他にも席は空いているというのに、由貴也はわざわざ壮司の前を選んだ。もちろん向かい合って座っているといっても、自分たちの間に会話はない。

 なんとも気まずい雰囲気が漂っていた。

 しびれを切らし、壮司は口を開いた。まごうことなき直情型である壮司は、言いたいことがあるなら、はっきり言ってもらった方がいいとの考えを持っていた。

「由貴――」

「うっさい。しゃべんな」

 由貴也はいつもの無表情だったが、その眼光だけは異様な迫力を宿していた。

 怒っている。明らかに怒っている。

 感情と表情が乏しい由貴也のこんな様子を見たのは初めてだった。

 自分から寄ってきたくせに、理不尽極まりない言い草をされていると思うが、壮司はそれを甘受した。由貴也をこうさせた心当たりは有りすぎるほどに有る。

 彼の大事な大事な巴を泣かせたからだ。

 しかし、由貴也ならそれを逆手にとり、自分に益になる算段を立てることができると思っていただけに、この怒りようは意外だった。

 まさか、この由貴也が不首尾に終わったのかと、壮司はにわかに信じられない思いで彼を見た。

 壮司の視線は由貴也の鋭い瞳に跳ね返される。

 それから消えろ、と言わんばかりに中指を立てられた。

 壮司は由貴也との会話をあきらめ、食事に専念することにした。

 残るトンカツに箸を伸ばすと、壮司が箸をつける直前にそれは横から別の箸によってかっさらわれる。

 由貴也がもしゃもしゃとさっきまで壮司が食べようとしていたトンカツを食べていた。

 地味に腹は立つが、今の由貴也に関わっては自分が馬鹿を見るだけだ。壮司は何事もなかったかのように食事を続けた。

 しかし、どのおかずにも手をつける前に由貴也に先回りして持っていかれる。しかも壮司の怒りを一番あおるタイミングでだ。

「由貴也、お前っ!」

 壮司は耐えきれずに声を上げた。今、壮司に残っているのはキャベツの千切りとご飯だけだ。

 由貴也は壮司の怒りなど意に介した様子もなく、口角を吊り上げた不敵な笑みを浮かべてきた。

「壮司さん、食べ足りなそうですね。俺のキャベツ差し上げます」

 いらねえよ、と返す前にキャベツをこちらの皿に移される。

 壮司の皿にはキャベツの山という、なんともむなしいものができていた。

「わぁー、おいしそう」

 由貴也がわざとらしく棒読みの感嘆をもらす。

 壮司は何か言い返そうと反射的に口を開いたが、途中で気が変わり、口を閉ざした。その代わりにキャベツを無言で口に運ぶ。

 口の中を青くさくしながらキャベツを平らげる。味噌汁で口直しをして、夕飯を完食した。

「……少しは気が済んだか」

 コップに注がれた水を見ながら、壮司は由貴也に問いかけた。

 ゆらゆらと由貴也の仏頂面が水面で揺れていた。

「俺、アンタのそういうとこが嫌いです。自分が我慢すればすべてが丸く治まると思っているとこ」

 由貴也が言い示しているのはキャベツを全部食べたことだけではない。

 壮司の行動すべてをひっくるめたことだろう。

「我慢だとは思ってねえよ」

「自己犠牲がお好きなら気が済むまでどうぞ」

 小憎たらしく、敬語で言ってのけ、由貴也はリンゴジュースを飲んでいた。

「アンタは結局、どこまでいってもお祖母さまのイヌなんだね」

 自分のトンカツを箸でつつきながら、由貴也は頬杖をつく。

 まるで独り言を言うような身軽さで壮司をけなしてくる。

「恩を返すことがばあさまの狗になることなら、そうなんだろうな」

 壮司は何の気負いもなく、そう返した。不思議なほど怒りは沸いてこない。

 そういう類の中傷は幼い頃から聞いてきた。それに傷つくようなかよわい神経ではやっていけない。

 それに狗でも一向に構わなかった。何だってやってみせると思っていた。

 自分にはもとより何もない。祖母に与えられたもの以外には。

「すっかりあのババァの飼い殺しだね」

 相変わらず世間話をするような軽妙な口調は変わらない。

 しかし、その言葉の端々には、壮司に対する軽侮と嫌悪の念が漂っていた。

 由貴也と自分はどこまでも相反する存在だ。

 自由奔放な由貴也としがらみだらけの壮司。壮司は感情で動くのに対して、由貴也は計算で動く。

 互いに相手の生き方は一生理解できないだろう。

「……やっぱりアンタが大嫌いですよ」

 嫌いから大嫌いに格上げされている。またえらく嫌われたもんだな、と壮司は思いながら、立ち上がる由貴也を無言で見ていた。

 由貴也らしからぬ冷ややかな一瞥が上から壮司に向けられる。壮司はひるむことなく、その視線を真っ向から受け入れた。

 とたんに由貴也の表情が消えた。いつもの無表情に戻っていた。

 視線をそらされる。由貴也は食堂の雑踏を飛び越えて、遥か遠くを見ているようだった。

「アンタはずるくて、自分が一番かわいくて、頭が堅くて、優柔不断で情けない男だけど、」

 由貴也はまったくもって遠慮なくズバズバと壮司の欠点を挙げ連ねる。

 耳に痛い。壮司は顔を引きつらせながらも、平静を装った。

「……それでも、巴はアンタが好きなんだよ」

 あまりにも意外な言葉に壮司の思考は止まる。

 そうこうしている間に、由貴也は背を向けてさっさと去っていく。

 由貴也の皮肉や無表情に隠せなかった“本音”。

 壮司は思わず、口を手でおおった。

 由貴也は知らない。壮司が今日の午後、どんなに心を乱したか。

 今頃由貴也が慰めに行ってるだろう。さすがの巴でも今優しくされたら揺らぐかもしれない。

 そんなことを考えては、小さなミスを連発した。

 泣いている巴を残して生徒会室を後にするとき、どんなにそこにとどまりたかったか。

 誰も知らない。知らなくていい。

 由貴也にそう言わしめるぐらい、巴の気持ちが残っていることに安心したなど、壮司に許される感情ではない。

 一年後には必ずくる一生の別れ。

 今、思いを強くすることは、別離に必ずや悪影響を及ぼすだろう。

 それでも壮司は安堵に酔った。

 気持ちを振り切るように立ち上がる。自分のトレーを持とうと、視線を下に向ける。

 そこには壮司のとともに、由貴也が食べ終えた空の食器類もそのまま置いてあった。

 しかたねえな、と息をつき、由貴也のとともに返却口へ持っていく。

 壮司はますます疲れを感じながら、食堂を後にした。

 しかし、不思議とその疲れを厭わしくは思わなかった。

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