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かざす花  作者: ななえ
第9章
44/68

第2幕

 着々と転校準備は進んでいるようで、祖母を経由して転入試験の案内が届いた。

 転入試験は二週間後。三月の頭だ。うまくすれば三年次から転入できるだろう。

 勉強の方も一旦受験勉強を止め、転入試験の方に切り替えた。なんとしてでも合格しなければならない。

 もう後戻りはできない。

 そう思うといっそふんぎりがついた気がした。行動が早くなり、生徒会副会長の後任リストを作り始めた。

 途中で副会長を下りることは無責任極まりなかったが、だからといって任期満了までやると夏休みになってしまう。九月からの転入では、なんの意味もない。

 すべては転入試験に合格してからだが、準備できることはなんでも前倒しにして行った。

 そうしてわざと忙しくすることで、雑念を払った。余計なことを考えないようにしていた。

 誰にも転校を悟られてはいけない。そのためには少しの憂えも外には出せない。普段通りでいなくてはならないのだ。

 それはもはや彼らをあざむいているという感覚でしかなく、その反動か夜、寮の部屋に帰るとひどく疲れていた。

 隠しきれていると思っていた。誰にも気づかれていないと。

 しかし、それが甘かったことをまもなく知ることになる。

 放課後、ひとり生徒会室で巴は転入先の高校のホームページを眺めていた。

 校舎でパソコンを使えるのはこことコンピュータ室しかない。コンピュータ室は放課後開いていないので、パソコンを使おうと思ったら必然的にここだった。

 今日は生徒会活動もない。誰も来ないだろうと巴は高を括っていた。

 その予想を見事に裏切り、突然外からドアが開いた。

 巴はすばやくパソコンの電源を切り、生徒会の書類を見ているをしているふりをした。万が一に備え、書類は常にかたわらに置いてある。

 完全に開いたドアからは由貴也が姿を現した。

「由貴也、どうした?」

 つい先日、決算書を提出し、彼の監査委員としての仕事は終わったはずだ。生徒会室に来る用事はない。 それなのに今、由貴也はそこに立っていた。その表情にはどこか翳りがあり、歪んでいた。

「白々しい」

 由貴也は不意に笑った。背筋が凍りつくような邪悪な笑みだった。

 周りの空気の色が変わる。濃く暗く鋭くなる。

 巴は呑まれそうな気持ちを叱咤し、平然としてみせた。

「何のことだ」

「まだ言う気?」

 しらばっくれた巴を、由貴也はすぐさま一笑に付した。

「ねぇ、何隠してるの」

 目の前が暗くなる。由貴也が退路をふさぐようにパソコンデスクに片手をついていた。暗い瞳が鈍い光を宿して、こちらを見下ろしている。

 彼の行動に暴力的なところなどひとつもないのに、仕草ひとつひとつが威圧感に満ちていた。

「何も。ただ残っていた仕事をしていただけだ」

 由貴也の意図が読めない。

 彼は巴の転校という秘密を暴きにここへ来ているのだろうか。それとも深い意味はないのだろうか。

 いや、今の由貴也は明確な意志を持って行動しているように思える。とすれば前者か。

 どちらにせよ、下手な動きはとれない。墓穴を掘るだけだ。

 彼の出方をうかがっていると、由貴也はすっと手を伸ばし、プリンタの取り出し口にたまっていた印刷物をとった。

 しまった、と思った。由貴也が手にとったのは、先ほど女子高のウェブサイトをコピーしたものだ。その中には転入・帰国子女案内のページも含まれている。

 そのページに行き当たったのか、印刷物に目を通していた由貴也の表情に変化が表れた。

「そういうこと」

 得心したようにつぶやき、由貴也は興味をうしなったようにそれらを放った。

 床にカラーで鮮やかに印刷された紙が散った。

「なにか隠してるとは思ったけど、まさか転校とはね」

 淡々と言ったかと思うと、ゆるゆると由貴也の瞳がこちらを向いた。逆光で彼の顔には影がかかっているはずなのに、目だけが冴々と光を放っていた。

 由貴也が一歩距離をつめる。その異様な雰囲気に、巴は思わず立ち上がり身を引いた。

 反動でパソコンデスクからペンケースが落ちる。床に中身が散らばった。

 その音に気をとられた隙に、手首をつかまれる。これ以上彼から遠ざかることはできなかった。

 彼の瞳がまっすぐにこちらを向いた。普段相手の事情などお構いなしに話すため、由貴也はめったに人と目をあわせない。

 なのに今、反らすことを許さない様相で、痛いほど一直線に巴の瞳をとらえていた。

「行かせない」

 その声に平生の軽さだとか薄情さはなかった。

 真剣すぎるほどに真剣だった。

「そんな遠いとこ誰が行かせると思う?」

 静かな怒りをたたえた視線を由貴也から向け続けられる。もう言い逃れはできない。

 巴は頭をふりしぼり、この窮地から脱する方法を考えたが、うまく思考が回らない。

 由貴也の眼光が強すぎて、巴を自然体でいられなくする。

「俺の気持ちわかってるんでしょ」

 由貴也はじりじりと詰めよってくる。彼の術中にはまっているような気がした。この自分が圧倒されている。

「……とりあえず手を離してくれないか。逃げないから」

 この場面でかなり間の抜けた言葉だと思うが、これしか言いようがなかった。

 おちついて考えたくても彼に触れられていては冷静になれない。

「何? 動揺してんの」

 由貴也はバカにしたように笑う。

 今日の由貴也は凶悪だった。怒っているのだ。転校という行動に出た巴に対して激しい憤りを感じている。

「もっと動揺させてあげようか」

「……いや、遠慮する」

 巴は本能的に断る。しかし、断られても由貴也は楽しそうだった。背後にほの暗い闇を背負って口角をつり上げた。

「好きだよ。ずっと前から。壮司さんよりずっと」

 それは愛の告白というにはあまりにも禍々しく、悪意に満ちていた。その瞳の奥に嗜虐心が見え隠れしている。

 今の由貴也は正気でない。狂気にとりつかれているようだった。

「由貴――」

 制止の意味合いをこめ、呼んだ名前は途中で途切れた。

 背中に強い衝撃を感じて息がつまる。

 壁に身を押しつけられ、彼の手によって両手首をも縫いつけられていた。

「……何のつもりだ」

 危険極まりない体勢に、由貴也を睨みつける。

 由貴也の顔にもう笑みはなく、輪をかけて凍てつくような無表情だった。

「何って……言わなきゃわかんない? 襲ってるに決まってるじゃん」

 悪びれもせずに言う由貴也は、いつもの彼とは似て非なる存在だった。

「よせ。お前らしくもない」

 巴は視線反らして吐き捨てた。

 理屈で動くはずの由貴也が今はこうも感情的だ。何か策があって動いているようには見えない。

 巴は由貴也が正常に戻ることを願ったが、彼はますます表情がない顔に剣呑さを深めた。

「“らしく”なくしたのは誰だと思ってんの」

 戦慄するような冷たい声音だった。巴の手首を押さえつける彼の力が強まる。骨が軋み、思わず顔を歪めた。

「由貴也、聞いてくれ」

 声がかすれる。自分の言葉だというのにどこか遠くで響いているように聞こえた。

「いまさら何を聞くっていうのさ。壮司さんが好きで弟にしか見れないなんてわざわざ言ってくれなくていいよ」

 何を言っても容赦のない言葉がはねかえってくる。

 由貴也にとっては巴の“誠意ある謝罪”など路傍の石ころほどの意味もないのだ。

 自分は由貴也を傷つけることにためらいを感じている。由貴也から向けられている気持ちはわかっていたはずなのに、自分のことばかりにかまけていた。

 罪悪感が胸を灼く。

 この罪悪感から逃れるためには、由貴也をきっぱり振るしかないとわかっていた。しかし、今になってもそれにふみきれないのは、由貴也を失いたくないと思っているからだ。

 さすがの由貴也といえど、告白を断られたのならば確実に距離を置くようになるだろう。

 それを寂しく思うという感情が、恐ろしく自分本位で都合のいい考えだとわかっていた。

 巴は間近にある由貴也の顔を見た。いつのまにこんなにも身長差ができていたのか。見上げなければならなかった。

 胸にこらえようのない痛みを感じながら口を開いた。

「お前になんと言われようと私は行く。逃げるんだ。軽蔑するならしてくれて構わない」

 自分から出た声は思ったより冷たく、拒絶に満ちていた。

 こんな風に言うつもりじゃなかったのに、と反射的に思った自分に嫌気が差した。どうして今からふる相手に優しくして自分をよく見せる必要があるのか。それはただの偽善だ。罪悪感の埋め合わせだ。

「黙って」

 鋭い矢のような由貴也の声が突き刺さる。

 緊迫した空気に息を継ぐ間もなく、由貴也を見上げている顔に影が落ちた。

 彼の顔が近づいてくる。

「由貴也、離せっ……!」

 由貴也が何を望んでいるのかは明白だ。彼の戒めから抜けようと腕に力をこめる。

 力の差に愕然とした。びくともしない。

 逃げ場はない。目前に由貴也の顔は迫っていた。

「絶対に離さない」

 その吐息が唇をなでた。

「やめ……っ!」

 口づけをしようとする由貴也から逃れようと顔を背ける。

 そのまま身を落とした彼は、首筋に噛みつくように唇を落とした。強く吸われ、ちくりと痛みが走る。たいした痛みではないのに、未知の感覚に小さく声を上げた。

 次はどんなことをされるのかと身を固くすることしかできない。こうも押さえ込まれてしまっては、抵抗もかなわない。

 圧倒的な力の差を前に何もできなかった。心だけは屈服するものか、と苦しまぎれの強い視線を由貴也に向けた。

 目があう。由貴也のまなざしはどこまでも冷たく無機質で無慈悲だった。

 にわかに手首をつかんでいる力が強まった気がした。

 しかし次の瞬間、何の前触れもなくゆっくりと片手の拘束が解かれた。右手は依然として由貴也につかまれたままだが、左手は自由になる。

 突如与えられた自由にとまどい、左手をどうすることもできない。由貴也を突き飛ばすこともできたはずなのに、体が動かない。

 とまどう巴をぬくもりが包んだ。

 中途半端に宙へ浮いた左手ごと、いまだ強ばりの抜けない体を由貴也の右手で抱きこまれた。

 体に巻きついた腕も、巴の右手を壁に押さえつける手も、痛いほど力が入っていた。だが、唐突にその力もふと抜けた。

 彼の体が崩れるように沈む。こちらに身を預けるように、由貴也の額が巴の肩にのった。

 由貴也の胸中に何の変化がおきたのか、その疲れた様子には先ほどまでの狂気の残滓すら見られなかった。

「……甘いよね、俺も」

 触れ合っているところからかすかな振動が伝わる。由貴也は笑っているようだった。あるいは泣いているようにも感じた。その声はどこか常の由貴也とは違う人間味があった。

 由貴也は深く傷つき、うなだれているように見えた。彼の飄々とした表情の裏に、繊細な感性が隠されていることを巴は知っていた。

 思わず自由がきく左手をそっと由貴也の背に添わせる。そしてその手でいつのまにか大きくなっていた背中をやわらかくなでた。

 こんなこと何の慰めになろう。どうしても由貴也の望むようには彼の想いを受け入れてやれないのに。

 それでも由貴也はされるがままでいてくれた。

 お互いの体温を分けあうようにして無言の時間が過ぎた。

 その静けさを破ったのは遠くから聞こえた足音だった。

 その足音は忙しなく一直線にこちらへ向かってくる。ここは校舎の端だ。足音の主は生徒会室に向かってきてると思って間違えない。

 さすがにこの体勢でいるわけにもいかない。さりげなく体を離そうとしたが、由貴也が腕を解いてくれなかった。

「もう少し我慢して」

 その口ぶりはまるでこれから誰がくるかわかっているかのようだった。

 由貴也が何を考えているのか――それに思いあたる前に扉が壊れそうな勢いで開いた。

「巴っ!」

 そこには息を切らせた壮司が必死の形相で立っていた。


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