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かざす花  作者: ななえ
第6章
33/68

第5幕

 冬休みも終盤に差しかかったある日の午後、叔父の次男である由貴也が古賀家を訪れた。

 巴と同じく立志院に通う由貴也は、ひとつ下の高一だ。英語科在籍の彼は、昨年の五月からオーストラリアへホームステイに行っていた。

 冬休み中に帰国し、そのお土産を持参して、古賀家へやってきたというわけである。

「お久しぶりです、お祖母さま」

 客間に通された彼は、相変わらずの無愛想だった。巴が運んできたお茶を黙々と飲んでいる。

 その無愛想加減は向かい合って座る祖母といい勝負だった。

 叔父はともかく、個人的に由貴也は嫌いでなかった。

 彼とは歳が近かったせいか、小さい頃はよく遊んだ。

 中学生となり学校が離れても、なんだかんだで交流は途切れなかった。

 それに何より古賀家の内情をよく知る“身内”なので、そういう話ができる唯一の相手だった。

「オーストラリアはどうでしたか?」

「暑かったです」

 由貴也が即答し、そこでまた沈黙が流れる。

 由貴也は昔から人見知りが激しく、好悪の別がはっきりしている。

 繊細で物静かで、口数も少ない。だけれども、内に秘めた烈しさを飼っているような少年だった。

 質問というよりは詰問口調の祖母と由貴也では、話が盛り上がるはずもない。

 祖母が取り調べの尋問のように、由貴也に尋ね、由貴也が一言二言返す。それから再び沈黙とお茶をすする。

 普段沈黙をそこまで重苦しく思わない巴でさえ、この二人のやりとりには居心地が悪くなった。

「……庭」

 祖母の質問のネタも尽きた頃、ぽつりと由貴也がつぶやいた。

 客間からは中庭が見える。庭師によって定期的に整えられた庭園には、椿が艶やかに咲いていた。

「庭、歩いてきていいですか?」

 由貴也が庭を指さし、祖母に尋ねた。

 巴は何だか脱力しそうになった。こういう脈絡のないところも変わっていない。

「どうぞ。お好きになさい」

 祖母も延々と由貴也の相手をしてるほど暇でないのか、あっさりと許した。

 無言で立ち上がったかと思うと、部屋の隅に控えていた巴の方へ歩いてきた。

「行こ」

 彼の頭の中で何の思考がなされたのかわからない。

 しかし、彼の中で巴がともに行くことはもはや変えられない決定事項のようだった。

 久しぶりに会ったので、話したい気持ちはある。

 彼の自然な強引さに、内心ため息をつきつつも、巴も立ち上がった。

 客間を出る寸前に、祖母をちらりと伺う。長年の癖だ。

 もう誰の許婚でもないのだから、壮司以外の異性と並んで歩くことを気にしなくてもいいのだ。

 廊下を歩く彼の背を見ながら、記憶の誤差を感じた。

 巴の頭の中にある彼と、実際の姿とではずいぶん身長が違った。彼は留学中にかなり背が伸びていた。

「由貴也」

「何?」

「背が伸びたな」

「どーも……だけどまだあの人には勝てないかな」

 独り言のように付け加えられた“あの人”は巴にはわからない。

 しかし、超絶マイペースな由貴也が人を気にするのは珍しいことであった。

 玄関で靴を履き、外へ出る。

 コートとマフラーをしている巴と違って、由貴也は防寒具を一切つけない軽妙な姿だった。彼は身を縛るものや重たいものが嫌いなのだ。

「ねえ、壮司さんが後継ぎになったんでしょ?」

 玄関から出るや否や、由貴也が話をふってきた。

 珍しいことが続くものだ、と巴は心中驚く。由貴也が待ちきれないように話を切り出すなど、あまり記憶にない。

「……」

 巴は無言を貫くことによって、肯定した。

「それで、壮司さんと進展はあったわけ?」

 由貴也は椿の花を手慰みにもてあそんでいる。

 巴はその二、三歩ほど後ろを歩いていた。

 由貴也は何もかも知っている。

 周りを見てないようでいて、いやに勘が鋭い。鋭すぎて隠すのが無駄に思えるほどだ。

 それゆえか、巴も妙に口が軽くなってしまい、由貴也はいつのまにか相談相手になっていた。

「進展どころか後退したな。もう見込みがないくらいだ」

「へぇ……」

 自分から聞いといて、相変わらず興味があるのかないのか、わからない返事だ。

 オーストラリアで少しは対人能力が上がるかと期待したが、そんなことはまったくなかった。

 この飄々とした態度では、国内でも国外でも人と合わせるのは難しいだろう。

「まぁとにかく、この家を継ぐってことは、壮司さんは巴と結婚する気はないってことだよね」

 由貴也の手の中で、椿の枝がパキッと音を立てた。そのまま開かれた彼の手から、赤い花びらがはらはらと落ちる。

 由貴也の言い方は何も余分なものがない分、残酷だ。

 だからこそ、相談相手として選んだのかもしれない。余計なものがない分、言葉は痛いが、自分のためにはなる。下手な慰めをされるより、虚しさが募らない。

「あきらめきれんの?」

 興味を失ったように椿から手を離し、初めて由貴也がこちらを向いた。

 その目の剣呑さに、息を飲んだ。

 金属のような硬質な光沢を宿して、こちらを射ぬいていた。

 彼の隠された気性の烈しさを垣間見た。

 その鋭い視線から逃れるように、遠くへ視線を投げる。

 寂れた街並みと、曇天が広がっていた。

「……わからない」

 左腕に添えた右手に力が入る。痛みを感じるまで食い込ませていた。

 今までの人生で、壮司を好きではなかった期間の方が短い。

 最初の気持ちが何だったかはわからない。物心がついたときにはおぼろげな気持ちが芽生えていた。

 幼い子供の軽い“好き”から、重たい恋情にまでなってしまった。程度は違えど、その気持ちはいつも巴とともにあった。

 わからない、それは偽らざる本音だが、あきらめるもあきらめないも、巴の手の中にある選択肢ではなかった。

 もう終わったのだ。自分たちは。

「あっそう……じゃあ帰るから」

 どこがどうなって、『じゃあ』のかはまったくもって謎だ。

 由貴也に一般の基準を当てはめてはいけないのだ。

「あ、そうだ。壮司さん寄越してよ」

 門に向かって、数歩進んだところで、思い出したように、由貴也が言った。

「は……?」

 つながりの見えない言葉にも、巴はいぶかしがるしかできない。

「なぜ壮司?」

「話があるから」

 淡々と言い切られ、巴は一瞬迷ったが、離れに足を向けた。

 壮司と由貴也はあまり仲がよくない。そもそも、壮司は立場が立場だし、由貴也はああいう性格だ。気に入る人間の方が少ない。

 それでも、壮司の母親でもあるまいし、由貴也との話しを制限するのは過保護すぎた。

 それにしても、と巴は何度目かのため息をつく。

 主旨のとれない質問といい、文脈のとれない提案といい、わけのわからないやつにさらに磨きがかかっている。

 その上、壮司と話したいとはどういう風の吹き回しなのか。

 叔父の家とて、一般よりも厳しい家庭だろうに、どうしてこんな奔放な息子が育ったのか不思議でならなかった。

「巴」

 いつのまに追ってきたのか、体が触れそうなほど近くに由貴也がいた。

「手、出して」

 背中ごしに由貴也の声を受けながら、いわれたままに手を胸の前に出した。

 すぐに巴の肩口から出された由貴也の手から、きれいにラッピングされた箱が落ちてきた。

「おみやげ。忘れてた」

 由貴也のセンスはいい。というより、こちらの好みを熟知しているというべきか。

 だから、由貴也のおみやげをもらうのはうれしかった。だが、それ以上に遠いオーストラリアで、自分のことを忘れないでくれた方が、巴の心を温かくさせた。

「ありがとう」

 巴は心から素直に、礼を言った。

 

  ―◆―◆―◆―◆―

 

 どうしてこういう状況になっているのか壮司にはわからなかった。

 由貴也と肩を並べ、家の前の通りを歩いていた。

 壮司は由貴也には極度に毛嫌いされている。

 しかし、由貴也は嫌悪を理由に積極的な行動をとる人物ではないと思っていただけに、巴経由で呼び出されたときは、心底驚いた。

 不意に、由貴也が立ち止まる。壮司もつられて立ち止まった。

 由貴也からにらみつけるのに近い視線を送られる。一体何なんだ、と困り果てた。

 背が伸びたな、と感じた。

 留学前は巴と大差ないくらいだったのに、今は百八十ある壮司と向き合っても、あまり遜色ない。

「……やっぱり負けた」

「は?」

 いきなりの敗北宣言に、何がなんだかさっぱりわからない。

「こっちの話です」

 無表情で言い捨てると、由貴也は顔を明後日の方向へ向ける。そのまま、マイペースに歩き始めた。

 由貴也の目線が外れて、壮司はつめていた息をやっと吐き出す。美形に睨まれるのは、結構な迫力があるのだ。

 由貴也は巴とよく似ていた。

 あるひとつのベースを、和風にしたのが巴で、洋風にしたのが由貴也という具合だ。

 ついでに巴を五割増し口と目つきを悪くしたのが由貴也という人物であった。

「壮司さん、アンタまだかわいそうな子供してるんですか」

 こんにちは、とあいさつするのとまったく変わらない口調で、由貴也が口を開いた。

 いきなりの言葉に、驚くよりも来たか、と身構える。

 昔はわからなかった。なぜ由貴也にここまで目の敵にされるのか見当もつかなかった。

 由貴也は嫌いな人間はとことん相手にしない。相手にするほど、他人に興味を持っていないからだ。

 しかし、壮司にだけは違った。悪意をまざまざとさらしてきた。

「お前には関係ねえよ」

 壮司は冷静だった。

 悪意の出所がわかった分、動揺せずに済む。

 去年まではそれがわからなかったが、今はわかる。

 ――由貴也にとって壮司は、最大の恋敵だからだ。

「……まぁ、アンタの境遇には同情するけどね」

 あんな敵意に満ちたことを言った後に、一応は同情しているのだがら、由貴也という人物はつかめない。

 ただひとつわかることは、他人のことなどどうでもいい由貴也が、ここまでの気概を持ってつぶしにかかるのは、壮司しかいないということぐらいだ。

「ねぇ、巴をふったんでしょ?」

 『巴』と『壮司さん』

 由貴也の呼び方ひとつにも親愛の差がはっきり現われている。

「……何が言いたい」

 気分を害したことを隠しもせず、壮司は物騒な声音を出した。

「別に。俺にとってありがたいというだけ」

 しれっと言われて、二の句が継げない。

 結局のところ、由貴也は壮司と巴の破局を祝いに来ただけなのだ。

「言いたいことはそれだけか」

 それこそバカバカしくてつきあってられない。

 壮司は踵を返そうとした。

「三年前の冬に巴が真っ青な顔して家に来たよ」

 半ば、由貴也とは逆の方向へ歩きかけていた壮司にかけられた声は、わりと真剣だった。

 人を食ったような、いつもの響きはなかった。

 壮司の足は自然と止まる。

「『どうしよう、壮司とは結婚できないかもしれない』ってとりみだして、びっくりした」

 三年前。中二の時分だ。

 その頃、巴は子供が生めないと宣告されたと言っていた。

 それを由貴也が知っていたのが、壮司には衝撃だった。それも自分が知る、はるか以前に。

「ねぇ、壮司さん。知らないのはいつもアンタだけじゃん」

 由貴也に加減というものはない。

 いつもは冬の太陽のような、鈍い光しか宿していない瞳だというのに、今はこれ以上ないくらいの憎悪が黒光りしていた。

 表情自体はいつもの無表情なだけに、眼光の強さだけが際立つ。

「十四歳の女の子が、子供が生めないって言われて平気でいられると思う? ひとりで抱えきれると思う? 側にいたのにそんなこともわかんないの?」

 由貴也の言葉は的確だ。壮司の至らなさを真正面から非難する。

「今回だってさ、もっとちゃんと巴のことふったら?」

 空風が壮司と由貴也の間を通り抜ける。

 外気が急激に下がった気がした。

 そのとき、壮司の頭には巴の泣き顔がよぎっていた。彼女が泣くと、引き絞るような悲しみが毎回伝わってきた。

 あれを突き放せというのか。しかし、突き放さなければ余計に傷を深めるとわかっていた。

 中途半端な優しさは、結局のところ毒にしかならないのだ。

 動揺を顔に出さないように気をつけていたためか、由貴也はつまらなそうな顔をした。

「……だって巴意外と元気だし。アンタにふられて食事もとれないくらいまいってると思っていたのに。俺はそこにつけこめばいいだけだったのに、余計な手間が増えた」

 由貴也の欲望がただもれしていた。

 腹黒い内容でも、由貴也の表情はあまり変わらない。彼は良くも悪くも、裏表がないのだ。

「俺と巴のことはお前に口出しされる筋合いはねえよ」

 壮司はにらみをきかせて言い放った。

 その思惑は置いといても、彼の言うことは正しいかもしれない。それでも、はいそうですか、と引き下がるわけにはいかない。

 由貴也は危険すぎるのだ。巴を手に入れるためなら、どんなことでもいとわない姿勢がある。しかもそれを素でやらかしそうだった。

 そんな彼にバカ正直に従ったなら、どんな煮え湯を飲まされるかわかったものではない。

「そうだね。アンタの行動に制限をかける権利もない代わりに、アンタも俺の行動に制限をかけられない。好きにやらせてもらうよ」

 冬枯れの景色は、その淡泊な口調とよく合っていた。

 いつにない口数の多さだけが、彼の感情の起伏を物語っている。

「ほんの小手調べですよ、今日は」

 由貴也の髪が、風で舞い上がる。手を加えなくともその髪は茶色く、艶やかだ。

 由貴也は一直線に壮司を睨みつけていた。つかみどころのない器の中にある彼の熱情が、かげろうのごとく揺れているように見えた。

 これは由貴也の宣戦布告なのだ。

 彼は間違っている。何も自分と戦う必要はないのだ。

 壮司ははなから土俵を下りている。

 自分と巴の関係に、土足で踏み込まれるのは我慢ならない。だが、由貴也と巴が新しい関係を築くのを阻止する権限はどこにもないのだ。

 押し黙るこちらを、布告の受諾だと感じたのか、由貴也は背を向けた。

 小さくなっていく由貴也の背中を見ながら、苦い気分を嚥下した。

 理屈ではわかっている。由貴也と巴の関係が発展するのなら、それはおそらく喜ばしいことなのだろう。

 しかし、理詰めではどうにもならない感情が、胸に渦巻いていた。

 何とも身勝手だった。

 巴を受け入れはできないのに、他の男にかっさらわれるのは嫌だと思うのだ。

 それこそ、何の反論もできないほどのわがままだ。

 死んでも口に出せねえな、と思いながら頭をかいた。

 許婚時代から、巴を彼女が本当に好きな相手と添い遂げされてやりたいと思っていた。しかし、そう思う中にも、巴を自分のものだと思う気持ちがあったのかもしれない。

 今だって、由貴也を前に、おごりがある。

 巴が好きなのは、俺だと――。

 我ながら嫌な性格だ。自分で自分を殴りたくなる。

 由貴也がこれから一波乱連れてくるのは確実だというのに、今からこれでは先が思いやられる。

 なにがなんでも動揺するわけにはいかないのだ。揺れたときに待っているのは、泥沼だとわかっていた。

 失うものも多いとわかっていた。

 こんなに煩悩ばかりで、本当に坊主になれんのかと壮司は盛大にため息をついた。

 ため息に呼応するように、風が吹いた。

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