第2幕
一泊のつもりが、もう一晩泊まることになってしまった。
宿題を教えているうちに熱中し、気がついたら夜になっていた。
仕事から帰ってきた芙美花の母に「もう一晩泊まっていってちょうだい」と、何でもないような口調で言われ、そうさせてもらうことにした。
申し訳ないと思いつつも、甘えた気持ちがあったのかもしれない。さしたる反抗もせずに、芙美花の母の言葉に従ってしまった。
健一郎が訪ねてきたのは、その翌日の昼過ぎだった。
「ふーみーかー!!」
芙美花の部屋で適当にくつろいでいると、外から声が聞こえた。
肝心の彼女はレポート用紙をきらし、外出していた。
ちなみに芙美花の両親は仕事でいない。すなわちこの家には巴しかいないわけである。
赤の他人に、家の留守を任せていくとは、桐原家の人間はいまいち危機感が欠けているように思う。
もっとも、そう思ってみたとこで、この隙に桐原家に害をなそうという考えはまったくなかった。
このままだと軽く近所迷惑になりそうだったので、巴は通りに面している方の窓を開く。
予想通り、そこには健一郎が立っていた。しかし、彼が保育園児か、せいぜい幼稚園児の女子の手を引いていたのは予想外だった。
健一郎は目を丸くしていた。芙美花の部屋から、この自分が出てくるとは普通考えいない。
「芙美花ならいないぞ」
そう言い放つと、健一郎は少しばつの悪そうな顔をした。
あんな惚気丸だしの呼びかけをした挙句、その相手も不在では、確かにばつも悪いだろう。
「古賀……来てたのか」
間の抜けたつぶやきをもらす彼の左手には、小さな手が握られ、右手にはビニール袋が提げられていた。
健一郎はそのビニール袋を掲げてみせた。
「これ、渡しに来たんだけどさ、芙美花はいつ帰ってくる?」
ビニール袋から鮮やかなオレンジ色が透けて見える。おそらくみかんだろう。
大音声でいつまでも話しているわけにはいかない。巴は「ちょっと待て」と言い残し、玄関へ降りた。
しかし、階段を下ったところで、玄関の扉が開いた。いくらなじみ深くとも、健一郎が家人の許可を得ず、勝手に入るわけがない。
案の定、ちょうどよく帰ってきた芙美花が健一郎とともに入ってきたとこだった。
「……おかえり」
ここは自分の家でもないのに、おかえりと言うのは、妙な気分だ。芙美花は「ただいま」と笑った。
「「おじゃまします」」
健一郎と、その幼いお供がダブルサウンドで礼儀正しくあいさつをし、家へ上がる。
「ふみちゃん。このひとだぁれ?」
上がるやいなや、そのふくふくとした手でこちらを指さし、くりくりとした目を芙美花に向けた。
「ほら、おしゃべりの前にうがい手洗いだろ」
しかし、脇に手を入れられ、健一郎に抱え上げられ、廊下の奥に連れていかれてしまう。
遅れて、「芙美花。洗面所借りるぞー」という健一郎の声が聞こえてきた。
その様子は彼らが兄妹であることを容易にうかがわせた。
「貢にはずいぶん歳の離れた兄弟がいるのだな」
お茶の支度をする芙美花を、巴はぼんやりと座って眺めていた。
手伝おうにも、勝手がわからず、おとなしく座っていた。
洗面所からは楽しげな声が聞こえてくる。
「そうだね。だけど健さん家はみんな結構離れてるよ」
「みんな?」
聞き返すと、芙美花がトレーに三つのカップとひとつの小さなマグカップ。それとお茶菓子を持って、キッチンから現れた。
「そうだよ。お姉さんがいるの」
説明しながら、彼女が湯気の上がるカップを目の前に置く。
そのゆらゆら揺れる水面を見ながら、巴は何となく納得した。
彼がさりげなく女の扱いがうまいのは、姉に鍛えられたからなのだろう。前々から女兄弟がいそうだとは思っていた。
「姉貴がなんだって?」
そのとき、健一郎がリビングに入ってきた。
「ううん。何でもない。みかんありがとう」
ダイニングテーブルにはお茶うけのクッキーとともに、みかんが並んでいた。
健一郎の隣に座った、彼の妹が、絶えず視線を送ってくる。あまり子供が得意でない巴には、そのつぶらで純真な瞳が痛い。
「私のお友だちだよ。古賀 巴さん」
見かねた芙美花が助け船を出す。
「ともえちゃん?」
復唱して、彼女は小首をかしげる。ツインテールがちょこんと揺れた。
ちゃんづけで呼ばれたことがあまりないので、照れくさい。
「お前も、ごあいさつは?」
健一郎が小さな頭に手を乗せる。
口のまわりにココアをつけて、彼女が顔を上げた。
「みつぎ はな、ごさいです」
花が手をパーにして、年齢を表す。
そのあどけないしぐさに、頬が緩んだ。
「花ちゃん、かわいい、かわいい」と、芙美花はベタ褒めだ。
こう見ると、子どもがひとりいる夫婦のようだと思ったが、黙っていた。
「健さん、今年は稽古納め早かったんだね」
終業式から六日。健一郎がここにいるということは、年内の部活は終了したということだ。
「そうだな。今年は去年より早かったな。でも稽古始めが早いから一緒かな」
「稽古始めが早いの?」
聞き返す芙美花の声は心なしか不安げだ。
せっかくの年末年始に離れて過ごすのは残念なことだろう。
「新年早々遠征があるからなー。ごめんな」
「ううん。仕方ないよ」
とりとめのない会話を交わすふたりを巴はちょくちょくお茶を飲みながら眺めていた。
カップルにはさまれていては、居心地がいいはずはない。
そんなことはおかまいなしに、花は巴の向かい側でみかんと格闘していた。
小さいその手には、みかんの皮は固いようだ。ぼろぼろと無残な姿の皮が落ちていく。
見かねて、巴は花の手からみかんをとった。
花はあっ、という顔で巴を見上げたが、皮と筋をとって返してやると、目を輝かせてみかんを食べはじめた。
無心にみかんを食べる姿は小動物のようだった。
「悪いな、古賀」
芙美花から視線を外し、健一郎がこちらを向いた。
いい機会だと、巴も口を開いた。
「その遠征はいつなんだ?」
さりげなさを装って尋ねたのに、健一郎は「や、不動は……」と即座に返してきた。
こちらが壮司の予定をうかがっているのはバレバレのようで、巴は少し気恥ずかしい。
「アイツは今回は遠征のメンバーから外されてるよ。だって謹慎――」
「健さん!!」
芙美花のあわてた声で遮られ、健一郎はハッと口をつぐむ。
その明らかに失言をしました、という表情に、巴は目をまたたかせた。
「壮司が……何だって?」
反射的に聞き返してみても、健一郎は気まずげに視線をそらすだけだ。
しばらく重い沈黙が流れたが、やがて健一郎が観念したように息をついた。
「……アイツは六ヶ月間の謹慎中だから、試合には一切出してもらえねえんだよ」
謹慎。
少し考えればわかりそうなことなのに、まったくその可能性を考えていなかった。
間違えなく、あの暴力事件が原因だろう。
武道系の部活だ。私闘に暴力を用いることに対し、人一倍厳しいのは当たり前だ。
しかも六ヶ月――半年といえば、引退試合にぎりぎり出場できるかできないかのラインだ。加えてそれだけの長期間、実戦から遠ざかっていれば、試合勘は当然鈍るはずだ。
つまり、これから壮司が公式戦に出場するのは絶望的だということだった。
壮司にひとつも非がないというわけではないが、この事態の引金となったのは、やはり自分だ。
彼に多大な犠牲を払わせて、自分はこうしてのうのうとしている。
机の下で握った拳が震えた。
「と、巴」
芙美花のためらいがちな声で我に返る。
「大丈夫?」
心配そうにこちらを見つめる芙美花に、むりやり微笑で応えた。
ここで、『私のせいで、どうしよう』ととりみだしてみたところで、何も始まらないのだ。
謝罪したそうな健一郎を目で制し、紅茶を一口飲む。
芙美花によって砂糖がたっぷり入っているはずなのに、やけにほろ苦く感じた。
それから何ともいえない空気がリビングに流れたが、ほどなく花がココアを盛大にこぼしてそれどころではなくなった。
口内の苦みを持て余しながら、巴は健一郎と芙美花とともに、その片づけに奔走するはめとなった。
―◆―◆―◆―◆―
壮司は重い荷物を肩から提げながら、ひたすら石段を上がっていた。
剣道部の稽古納めを昨日終え、一日置いて今日の朝帰省の途についた。
稽古納めといっても、停学後、壮司はろくに稽古させてもらっていない。現に昨日やらせてもらったことといえば、部室の大掃除だった。
暴力事件のもう一人の当事者、隆人も同様で、顔をつきあわせながら、狭い部室の大掃除をやった。
当然ながら二人の間に会話などない。隆人は相変わらず何を考えているかわからない不気味な男だし、壮司は壮司で隆人といまさら友好的な関係を築く気もない。
白けた空気の中、黙々と掃除だけを行った。
この練習すらできない状況がいつまで続くのかはわからない。
しかし、耐えるしかなかった。壮司の意地にかけても、この逆境から逃げ出すわけにはいかないのだ。
肩に旅行用のショルダーバッグが食い込むのを感じながら、壮司は階段を一段一段と上がっていく。
木枯らしが辺りの竹林をざわざわと揺らした。
代々古賀家が住職を務めるこの円恵寺は、いかにも寺院という場所に建立された。
小高い山を背にし、二十余段からの石段の上にどっしりと鎮座している。
観光化された寺ではないが、花の寺としても名高く、季節の花が繚乱と咲き誇る。
今は椿がちょうど見頃だろう。
石段を上りきったところで、石畳を掃いていた寺男に「おかえりなさい」と声をかけられる。
壮司は軽く会釈を返し、本堂の裏手へ回った。
鬱蒼と木々が生い茂る境内は、日が当たらずに日中でも凍えるほどの寒さだ。
壮司は足早に寺の裏、渡り廊下で繋がれた自宅の方へ足を進めた。
苔むした年代物の古い塀に囲まれた古賀家は、完全なる日本家屋だ。立派な瓦屋根が冬の弱い太陽で鈍く光っている。
石灯籠と小池がある庭園をつっきる。飛び石を踏みしめたとき、ししおどしの竹と石が触れ合ってカコンッと小気味のいい音をたてた。
玄関の格子戸に手をかけると、格子の間のすりガラスの向こうに人の気配を感じた。
壮司はそのまま一息に戸を引く。
予想通り、祖母が板の間にきちんと正座していた。
磨きぬかれた床板には、正反対の祖母の姿が映っていた。
「ただいま帰りました」
壮司が頭を下げると、渋い色合いの着物をまとった祖母も手をつき、ゆったりと頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
祖母が裏で糸を引いていても、古賀家は基本的に男子の地位が高い。
しがない居候でしかない壮司でも、男というだけで表面上は下にも置かない扱いをうけている。
「巴は……?」
本来なら巴もともに出迎えてくれるはずだった。
普段は尊大な彼女だが、長年言い聞かされた祖母の教えは偉大だ。
“女子たるもの、夫となる殿方には常につき従うべし”
その教えを忠実に守り、家内ではこちらがむずむずするほど巴は壮司を丁重に扱う。
それはあくまで、将来の“婿殿”に対する敬意であり、その前提が崩壊した今、それを実践する理由は確かにないのだが。
「巴さんはお友だちの桐原さんのお宅でお世話になっています。壮司さん、そろそろ迎えに行ってさしあげなさい」
まったく抑揚なく、一気に言いきられ、壮司はとっさに反応ができない。
「これを桐原さんの親御さんに渡してください」
壮司がうまく事態を飲み込めない間に、いつのまにか老舗和菓子屋の紙袋を持たされていた。
事態を理解したところで、行け、という無言の圧力をかけられれば、壮司に逆らうことなどできやしない。悲しい居候の性だ。
家に到着ものの一分にして、壮司は早くもあの石段をおりることとなってしまった。
―◆―◆―◆―◆―
健一郎と花、そして壮司と、年末も近いというのに、訪問者の多い一日となった。
夕方、帰る帰らないの問答を巴対自分と母で繰り広げている最中、玄関のインターフォンが鳴った。
モニターがあるにもかかわらず、母はその前を素通りして玄関へ向かう。自分を含め、桐原家の人々に不審人物が訪ねてくるという考えは一切ない。
母が玄関を開けた瞬間、湿気を含んだ風が入ってきた。雪が降り始めたのだ。
だから、母と自分は巴を引きとどめたのだ。今から雪が降るから明日帰ればいい、と。
しかし巴は昼間、健一郎から壮司の部内での処分を聞いてから、いてもたってもいられないようで、一刻も早く帰りたがった。
彼女は動揺を外に出さないように努めていたが、なんとなく挙動不審なのだ。
他ならぬ壮司のことになると、巴はとたんに平静を失う。
「あら、どなたかしら?」
自身の見知らぬ相手でも、臆せずに母はにこやかに話しかける。
外で降る雪など関係なく、母の態度はいつでも常春だ。
そんな母をよそに、訪ねてきた人物に、芙美花は驚いて言葉を失った。
背が高く、がっしりとした体にジーンズとダウンジャケットとというラフな格好でそこに立っていたのは、まぎれもなく壮司だった。
桐原家の小さい玄関は壮司には少し窮屈そうに見えた。
「芙美花さんと生徒会をやっている不動 壮司と申します。いとこがお世話になってると聞きまして……」
壮司に下の名前で呼ばれるのは、何だか落ち着かない。だが、ここでは皆、“桐原さん”だ。
「巴ちゃんのいとこで、芙美ちゃんのお友だちなの。まぁぁ、いつもお世話になってます」
どことなくピントがズレた返答をする母に壮司は調子を崩されているようだ。彼は継ぎ足す言葉に困っていた。
「寒かったでしょう? 上がってちょうだい」と言われるに至って、壮司は困惑しながらも「いや、ここで結構です」と断っていた。
その困惑を瞬時に消し、壮司の視線は芙美花の隣にいる巴へ注がれた。
「巴。いつまで桐原ん家で世話になってるつもりだ。帰るぞ」
目だけ動かし、こっそり巴の表情をうかがうと、怒ってるのか嫌がっているのか、どちらにせよあまりよくない感情を浮かべていた。
しばらく睨み合ったままの膠着状態だったが、先に折れたのは巴だった。
仏頂面のまま、旅行カバンをずいと壮司につきだす。壮司も当然のごとく、巴の荷物を受けとった。
「……帰ります」
巴の感情を消したつぶやきが聞こえ、彼女は行儀よく並べられた靴をはきはじめた。
「お世話になりました」
巴が礼儀正しく頭を下げると、それまでなされた巴と壮司の剣呑なやりとりなど意に介さず、母はやわらかく笑った。
「いえいえ、こちらこそ。なんのお構いもできずにごめんなさいね。また来てちょうだい」
母の心尽くしの言葉にも、巴は曖昧な微笑で曖昧に答えただけだった。
「これ、たいしたものではありませんが、お納めください」
頃合いを見計らい、ずいぶん大人びた口調で壮司が差し出したのは、おぼろ月が描かれた、老舗和菓子屋の紙袋だった。当然、中に入っているのは、そこの菓子折りだろう。
十分“たいしたもの”だ。
母が固辞し、壮司が受けとって欲しいとごり押しする応酬を何度か繰り返し、最終的に母がためらいつつも受けとった。
「巴! 不動くん! よいお年を!!」
背を向けて桐原家から出ていく二人に、芙美花は精一杯の声で呼びかける。
その大音量に、二人とも面食らった顔をして、振り返る。
芙美花と巴の視線がつながった瞬間、彼女がふっと微笑んだ。
その笑みに、芙美花は救われた気分になる。
今年は二人にとって困難ばかりがたちふさがった年だった。
来年こそは幸せが二人に訪れてくれることを切に願った。
「帰っちゃったね……」
母が少しだけ寂しげにつぶやいて、玄関の扉を閉める。
「うん……」
たった三日弱の間いただけなのに、一抹の寂しさが胸に落ちてくる。
しかし寂しさを押しのけて出てきたのは、あるひとつの強烈な疑問だった。
「あの二人、一緒に住んでるのかなぁ……?」
母がぎょっとしたことも知らず、芙美花は無意識に口に言葉を乗せた。
―◆―◆―◆―◆―
小雪がちらつく中をただ黙々と歩いていた。
二、三歩先を歩く壮司の背中を外灯が照らす。冬の澄んだ空気は、その光を一層白く見せた。
「……謹慎食らってるんだってな」
壮司の背中がぴくりと反応する。それにともなって、彼が肩から提げている巴の旅行カバンも揺れた。
「……余計なこと言いやがって」
壮司が心からいまいましそうに舌打ちする。やはり自分には知らせる気などなかったのだ。
「なぜ何も言わない!?」
巴はたまらずに声を荒げた。住宅地のど真ん中だということも忘れていた。
隆人の秘された罪を暴けば、壮司の処分には手心が加わったはずだ。
ずっとがんばってきた部活の集大成を不本意な形にすることもなかった。
体調を崩して、壮司の擁護をしてやれなかった自分にも後悔がつのった。
「……女々しく言い訳なんかできっかよ」
たっぷり長い時間をあけて返ってきたのは、苦しまぎれのごまかしだった。
「……すぐわかる嘘なんてつくな」
ほんの小さなつぶやきは壮司に聞こえたかどうか定かではない。
彼は大きな歩幅で無言ですたすたと進んでいく。
とろとろと歩く巴とは、どんどん距離が離れていく。
「……悪い。俺、歩くの早いか?」
しばらく歩いたところで壮司が振り返った。
雪が辺りの音を飲み込み、やけに静かだ。壮司の声がよく通る。
「……」
巴は答えない。
我ながら往生際が悪いと思うが、家に一歩ずつ近づくたびに、足が重くなっていくのだ。今年は特に。
頑ななこちらの様子を見て、壮司は合点がいったようだ。はぁ、と大きな息をひとつ吐き出して、こちらに戻ってきた。
「早く帰るぞ。夜中になっちまう」
目の前に壮司の手が差し出される。
巴は顔を上げたが、闇夜には強すぎる外灯で逆光となり、その表情まではうかがえなかった。
巴は犬のように従順に自らの手を預けた。もはや条件反射というやつだ。
毎回、帰省のたびに、壮司はこうして巴の手を引き、半ば引きずるように家へ連れて帰る。手をつなぐには暑い真夏でもそうだ。
「冷てえ手」
壮司の手は零下に近い外気にさらされていても温かかった。巴の方は冷えきり、すでに感覚すらなくなってきている。
自分の手ではないようなそれを何とか動かし、壮司の大きな手に巻きつけた。
こうして手をつなぐのは最後になるだろう。
巴はこの帰省中に婚約破棄を祖母に切り出そうと決めていた。
そうすれば祖母はこれ幸いと、山ほどのお見合い写真を壮司に持ってくるだろう。それをどうするも壮司の自由だ。
どうあがいても巴では、お見合い相手の健康な女性とは同じラインに立てない。力不足もはなはだしい。
だからこれが最後の甘えだ。
許して欲しいと、つなぐ手の力を強めた。
少しだけ前を行く壮司は決して振り向かない。それでよかった。
クリスマスがもう近い。家々を飾るイルミネーションはどこか遠かった。
意識をそらそうと、そのイルミネーションを見つめる壮司の固い表情など、巴は知るよしもなかった。
その表情が、夏までとはまったく違うということも。