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かざす花  作者: ななえ
第1章
3/68

第2幕

 壮司と会ったのは試験終了後――すなわち九月三日の昼だった。食堂で顔を合わせるやいなや「お前、何で言わねえ」と言ってきた。特別寮のことだと察しはついた。

 結構な剣幕の壮司をとりあえず黙らせ、巴は食堂に併設している購買でパンを一つ買う。同じく昼食を取ってきた壮司と席につく。彼はこの暑いのにカツ丼を持ってきた。見てるだけで胃がむかつくようだ。

「驚くお前の顔は見物だったろうな」

 適当な大きさにクリームパンをちぎって口に運ぶ。口に広がる甘味とともに、寮に女子がいてあわてる壮司の姿が脳内に浮かぶ。無駄にでかい図体がおろおろしているさまはさぞ滑稽だったろうと、意地の悪い笑みが沸き上がってきた。

「……俺は女が苦手だとお前はよく知ってるだろう」

 箸を止めて彼が重いため息を吐いた。入寮してから約二日。早くも女との共同生活にうんざりという風情がただよっている。

「その無駄な暑苦しさも女の前では役立たんか。嘆かわしいな」

 奴の辟易などどこ吹く風と嘲ってやる。あの熱血漢がこちらの嫌みに反応せずぐったりとしている様は希少な光景であった。

「別に特にこまるようなことでもあるまい? 男女混合寮といっても女子と同居するわけでもあるまいし。それにあの階には私ともう一人しか女子はいないはずだ」

 もう一人の女子――桐原 芙美花はおととい巴の所にもあいさつに来た。可愛らしいが、ややとろそうな、至って平凡な女子であった。

「それとも何だ、お前は女子が隣の部屋だとこまる何かがあるのか?」

 にいっ、と口角をつり上げ笑った。さぞかし歪んだ笑みをしているだろう。

「ばっ!! そんなことねえよ!」

 巴の言わんとした卑猥なことを正しく理解し、壮司は力一杯否定してきた。その頬はわずかに赤みがさしている。予想通りの反応に多いに満足して笑みをさらに深めた。

「ちなみに廊下には監視カメラがついてるから夜這いする場合には気をつけろ」

「誰がするか!!」

 ご飯粒が飛んできそうな強固な否定ぶりである。壮司の女嫌いも相変わらず健在であるようだ。

 いや、女嫌いというのは語弊があるかもしれない。彼は根本的に女というものが理解できないようなのだ。きっぱりさっぱりしている自分とあまりにも共通点がなさすぎるためだ。

 幼少の頃、壮司は蝶が好きだと言った同級の少女に大量のもんしろ蝶の幼虫を贈ったことがある。無論その少女には泣かれ、わめかれ、罵られることと。そのすべてを壮司はぽかんとして聞いていた。彼としては単なる親切心の発露で悪意など一片もなく、ただ純粋に綺麗な蝶になるからと思ったのだろう。結果的に大量の幼虫は少女の怒りとともに壮司に投げつけられ、その後一切彼女は口を利いてくれなくなったそうだ。

 この事件は幼い壮司に女とは相容れないという固定概念を植えつけてしまった。それは一向に改善されないまま今に至る。クラス内では必要以上に女子と話さない姿勢が硬派だの何だの言われているそうだが、ただ彼があの頃も今も朴念仁なだけだ。

「巴、お前それだけしか食わねえのか?」

 壮司がカツ丼を気持ちよくなるような半分くらいかきこんだ時、不意に茶碗から顔を上げて巴のクリームパンを凝視してきた。二、三口しか進んでいなかった。

「これだけで充分だ」

 充分どころかクリームの甘みが喉にまとわりついてもう食べたくないほどだ。普段からあまり食べる方がではないが、この暑さでさらに食欲がない。

「人間、体が資本だ。もっと食え」

 至極まじめな顔で壮司は言うと「スタミナだスタミナ」と空いた漬物皿にカツを三切れ乗せて巴に差し出してきた。

「ほら、食え」

 巴の返事を待たずに目の前にカツが置かれた。

「いらん。お前が食って自分のスタミナとやらにすればよかろう」

 クリームパンでも苦戦しているのに、油ものなど考えたくもない。熱気、もとい精気が有り余っている目の前の誰かとは違うのだ。

 皿を返そうとして、考えこむような壮司と目が合う。

「今お前に倒れられたら困んだよ。俺は生徒会の仕事なんぞ全然わかんねえからな」

 固い顔のまま「だから食え」と皿を突き返された。

 ――壮司のくせになんという殺し文句。言われた瞬間表情が崩れそうになったのをこらえてポーカーフェイスを保った。

 巴は忌々しく舌打ちをするとテーブル中央の箸入れから割り箸をとり、半分に割った。

「茶を持ってこい」

 憮然とした声で壮司に言うと「ああ」と巴とは対照的な満足そうな返事をして壮司は席を立った。

 カツは思った通り、噛みづらく嚥下しづらい。こってりとした特製ソースがますます食欲を萎えさせた。普通のときに食べればこれはこれで美味なのだが。やっぱり受け取るのではなかったと、早くも後悔が首をもたげる。

 壮司の恐ろしいところはあの台詞がすべて素だということだ。もし甘い意図を含んでいるとしたら、到底あの甲斐性なしに言えるセリフではない。

 女と縁遠い壮司の唯一の例外である巴なわけだが、壮司自身が自らの中で巴の性別を曖昧にしている節がある。そうでもしなければ周りに影響され変遷の時期を迎えている二人の関係を無視することなどできないのだろう。十七ともなれば、色恋に目覚めたまわりを意識し、否が応でも許婚である互いを顧みる。

 十一の時に言い交わした約束を、壮司がどう考えているのかは定かではない。彼なりにこちらを伴侶として愛そうとしているのか、政略結婚ゆえの単なるお飾りと思っているのか。とりあえず今のところふたりの実質的な関係は仲のよいいとこ以上でも以下でもなかった。彼にそれ以上の発展を望む気概もなさそうだ。

「ほら」と、頭上から降ってきた壮司の声とともに紙コップが巴の傍らに置かれる。ご丁寧に氷とストローまで差してある。

「クリームパンはお前に進呈しよう」

 再び巴の前に座った壮司に食べかけのクリームパンを差し出す。

 この私が壮司ごときのセリフに不覚にもやられたのだ。奴になにかしかえしをしないと気が済まない。

「それぐらい自分で食わんか」

 だだっ子を諭す父親のような壮司の口調だった。ますますそれが気に食わない。

「何だ、食えんのか。クリームパンごときが」

 からかって笑ってやると、壮司がうっ、とひるむ。

「……甘い物は苦手だ」

 巴の思惑通り、壮司が隙を作ってきた。

「お前の人生、苦手なものばかりだな、女に甘い物に……」

「貸せ。食う」

 クリームパンが巴の手からさらわれてく。かかったり、と巴は心中微笑む。負けず嫌いの壮司は少しつつけば意地を張って絶対に食べると思っていた。あまりにも上手く行きすぎて心中で忍び笑った。単純すぎる憐れな男に、笑みは外に出ていたかもしれない。

「さて、行くか」

 クリームパンの甘みに顔をしかめながら、口直しに残りのカツ丼をかき込み、壮司が立ち上がった。

 やる気満々の彼を尻目に巴は時間をかけてカツと茶を飲み干して、立ち上がる。

 いまだに混雑する食堂を出て、二人で向かう先は生徒会室。

 今日は新生徒会顔合せであった。

 

  ―◆―◆―◆―◆―

 

 芙美花は恋人で会計でもある健一郎とともに生徒会室に初めて足を踏み入れた。生徒会室という権威のある名とは裏腹に、それは本館三階の左端に忘れさられたようにひっそりと位置していた。

「わぁ、すごいよ。健さん見て」

 芙美花は生徒会室に入るやいなや思わず歓声を上げた。

 この学院の設計すべてに共通する大きくとられた窓。生徒会室も入口の向かい側一面はガラス張りになっている。贅沢な窓からの陽光が惜しみなく室内にそそがれ、室内ば劇的に明るい。

「おー、本当だ」

 一拍遅れて入ってきた健一郎も芙美花にならった。

 生徒会室の設備はすこぶるよく、椅子が八脚に大きなテーブル。隣接する給湯室にはお茶飲み用の電磁調理器に電動ポット。もちろんパソコンとスキャナ等の周辺機器は二つずつ、必需品の大きなコピー機。

 この学院に在籍して早一年半。近代的でハイテクな設備にもだいぶ慣れたが、それでもこの生徒会室は学生の範疇を超えていると思う。

「やっぱり、この学校は生徒会もすごいんだね」

 かたわらの健一郎を振り仰いだ。彼も少なからずそう思っていたようで「そうみてえ」と、あっけにとられた返事をする。

 時刻は一時五分前。顔合せは一時からだ。とにかく物めずしくて芙美花は壁一面の本棚を眺め見た。上から下までびっしりと活動記録ファイルや帳簿が並んでいる。その背にはかなり昔の年度のラベルが貼ってあるものもあった。

「芙美花、あんまりそこらへんのもんいじくんねえ方が――」

「なあに、健さん」と、健一郎の声に振り返ろうとして、水玉模様の手さげがファイルの角にひっかかる感触がしだ。

「わぁぁ!!」

 そのまま惰性で振り向いてしまい、ファイルが本棚がバラバラとけたたましい音を立てて落ちてくる。

 ひとしきりファイルが落ち終えて、二人の間に静けさが戻ってくる。それは先ほどまでとは違う気まずい静けさで、健一郎はやっぱりやっちまった、という顔をしていた。

「……ごめん、健さん」

 健一郎は先ほど、こういうことを危惧して警告しようとしてくれたのだろう。芙美花のこのようなことは日常茶飯事なのだ。

「気にすんな。他のやつらが来る前に片すぞ」

 やっちまったという顔を苦笑に変えて、健一郎は片づけを手伝おうとしてくれる。それからひとつぽん、と大きな手が芙美花をなでた。その優しい仕草がかえって芙美花の劣等感を浮き彫りにする。

「私、こんなんで生徒会の人に迷惑かけないかなあ……」

 自然と声に不安がにじむ。 生徒会に入ったのは教師に勧められたからだった。それまでまったくやる気はなかったのだが、生徒会へ入って自分の何事にも受身な姿勢を直せたら、と思いきって選挙に立候補してみた。が、やる気はあっても空回りしがちなこの自分。足手まといになるのではと考えてしまう。

「大丈夫だって。俺もいんだろ? いくらでもフォローしてやるから」

 優しい健一郎の言葉。不安気な芙美花の頭をもうひとつなでた。

 健一郎はいつも優しい。万事につけておっちょこちょいな芙美花を助けてくれるため、すっかり世話焼きになってしまった。

「……でも、いつまでも健さんに甘えてばかりじゃダメなんだ。私もしっかりしなきゃ」

 健一郎の側は心地よい。何も心配しなくて済む。それは健一郎がいつも気を配ってくれるおかげだ。だから芙美花はついていくだけでいいのだ。だが、それではいけないと思った健一郎に負担ばかりかける関係など対等でない。

「おーがんばれ。そんで今度のデートは俺を引っ張って行ってくれ」

 芙美花のまじめな決心を茶化して、健一郎は苦笑でない笑みを浮かべている。

「まかせて! 健さんをうんと楽しませてあげるね!」

 芙美花は意気込んで答えた。健一郎も「楽しみにしてる」と笑って言ってくれた。

 ファイルを片づけ終わったとき、壁の時計が一時を報せた。ちょうどドアが開き、新たな人物が姿を現す。普通科の制服をまとった男女二人組。おととい芙美花があいさつに行った不動 壮司と古賀 巴だった。不動 壮司の姿を認めた瞬間、健一郎の表情がにわかに険しくなる。

「けっ、てめえかよ」

 次いで壮司に対し発せられた苦々しい言葉に、芙美花は驚くと同時に、この二人がただならぬ関係だと理解した。健一郎の姿を見たとき、壮司の顔も厳しくなったからだ。

「お前に言われたくねえよっ!」

 壮司の方もやられてはいない。苦々しさに熱っぽさを加えて反撃に出る。一触即発の雰囲気に芙美花は多いにとまどった。芙美花の知るかぎりでの健一郎は若干熱しやすいところはあっても自らケンカをふっかけるほど好戦的ではないはずだ。

「健さん、やめてよ」

 初めて見る健一郎に困惑しながらも腕を引いて制止する。けれども臨戦体勢に入っている健一郎にはまったく届いていない。

「てめえが生徒会長なんでこの学校も終わりだな」

「うるせえ! 脳筋のお前に言われたくねえよ」

 徐々にヒートアップする二人の会話。ついに壮司の手が健一郎の胸ぐらへ伸びる。

「止めんか」

 どうしよう、どうしようと思っていると、煩わしそうな顔で傍観していた巴が、ためらいなく壮司の後頭部を殴った。細い腕から意外にスナップの効いた一打が放たれ、その衝撃で壮司の手が健一郎から離れる。

「痛えな!! 巴、お前っ」

「さっさと始めろ。この馬鹿が」

 後頭部を押さえる感情的な壮司とは対照的な冷静な声だった。まだやり足りないという顔をする男たちを無視して彼女が席へ着くと、怒気を孕んで膨れ上がった空気は沈静化する。彼らも自らの激情をせき止めて席に着いた。

 その光景に安堵して芙美花も健一郎の隣に座る。

「……これから、新生徒会の顔合せを始める。まずは軽い自己紹介から」

 口火を切った壮司の声は、お世辞にも機嫌が良いとは言えなかった。

「書記から頼む」

 唐突に壮司の声が芙美花を指名し、肩がびくりと震えた。

「は、はいっ」

 声が裏返った。始めから恥ずかしい。

「二年家政科、桐原 芙美花です。生徒会は初めてですが、がんばります」

 よろしくお願いします。と締めくくった。目立った失敗はしなかったと、心の中でガッツポーズだ。

「次、会計」

 極力無駄を省いた壮司の言葉が今度は鋭く健一郎に向いた。二人の視線は一瞬火花を散らして交わったが、健一郎がフイッと視線を反らし、それ以上のことはなかった。

「二年スポーツクラス、貢 健一郎。剣道部所属」

 健一郎の自己紹介も必要最小限のことだけだった。まったくもって生徒会室の中は良くない雰囲気だ。

「副会長」

 依然として憮然とした壮司の声に、巴がいい加減にしろ、とにらみをきかせると壮司はいささかひるんだ様子を見せた。彼はどうやら巴に弱いという以上に、今の態度が良くないものだと理解しているのようだ。

 やれやれ、という様子で溜息を一つついて、巴がその形の良い唇を開いた。

「二年A組、古賀 巴です。前年度よりこの生徒会を発展させられるように尽力したいと思います」

 淡々とそう言いきった彼女は同い年とは思えないほど聡明そうだった。そのアルトの声は淀みがなく簡潔だ。

 それにしても――。

 綺麗な人だな、と芙美花は思った。

 入寮してあいさつに行ったとき、芙美花は彼女の整い過ぎた顔立ちに圧倒された。白磁の肌をベースに、けぶるような睫毛に縁取られた榛色の瞳。柘榴赤の唇が絶妙に配置され、どこか雅な雰囲気を醸し出している。その上、髪は枝毛の一本もないような漆黒の直毛で、肩胛骨まで伸びている。癖毛の芙美花からすれば羨ましい限りだ。

 とにかく巴は美人の称号を欲しいままにする、日本人形のような古風な容姿の麗人だった。気を抜くと同性の芙美花でさえ、彼女に見とれてしまいそうになる。

「この度、生徒会長になった不動 壮司だ。わからないことだらけだが、よろしく頼む」

 危うく見とれかけた芙美花を壮司の低い声が破った。彼も言い回しといい、身にまとうその気彩といい、硬質というか古めかしさを帯びている。義侠心とか武士を連想させた。とはいえ時代遅れという感じはせず、むしろ相応しさを感じるのだから不思議だ。

「じゃあ一通り自己紹介したところで一年間の予定確認に入る。まず九月――」

 朗々とした壮司の声が次々と年間予定を読み上げていく。芙美花は反れかけていた思考をあわてて声に集中させた。その後、年間予定を確認し、月末に迫った校内陸上記録会の手順を見直して、記念すべき第一回生徒会会合は終わった。

「巴。俺、部活行くから鍵閉めといてくれ」

 各々、帰り支度をする中で壮司が巴に鍵を放った。

「ん」

 巴が放射状を描き落下する鍵を軽やかにキャッチした。その気安い関係にお互いの信頼感が感じてとれた。

 ――やっぱり、おつきあいしてるのかな?

 芙美花の思考は当然そこに行き着く。下世話な好奇心とわかっているので口にはしないが。

「テスト明けでなまってるてめえをボコボコにしてやるよ」

 挑発的な言葉が健一郎から放たれる。心なしか表情にも壮司を嘲る要素が見受けられる。これまた平素に戻りかけていた機嫌を逆行させて壮司が応じた。

「お前に簡単にやられるほど俺は落ちぶれてねえよ」

 そこで芙美花はやっと険悪な二人の繋がりが剣道部であることがわかった。

「はっ! 俺に完全勝利してから言えよ、そういうことは」

 剣道の技術的優越からか、余裕綽々と健一郎が応じる。健一郎は剣道専攻のスポーツクラス、壮司は普通科なのだから普通に鑑みて健一郎が強いのは当たり前だ。普通科とはカリキュラムからかして違う。彼らが授業を受けている間に、スポーツクラスは部活に励んでいる日が週に何度かあるのだ。

「うるせえよ。この前試合に竹刀忘れたのはどこのどいつだ」

 形勢逆転。自分のまぬけな失態を指摘されて健一郎は目に見えて狼狽した。

「てめえだってこの前袴踏んずけてこけたじゃねえか!」

 負けじと恥を暴露され、今度は壮司がたじろぐ。赤っ恥というものは剣道が上手い下手よりもダメージになるようだ。

「いいからさっさと部活に行け。剣道で思う存分続きをすればいいだろう」

 ヒートアップしてきた二人の応酬に横槍を入れたのは、またしても巴であった。貴様らが行かないと鍵が閉められん、と冷ややかに怒りという名の微笑を浮かべている。それは見る者に悪寒を禁じえない絶対零度の笑みであった。

「行くぞ」

 自分たちが多いに迷惑をかけていると自覚してたのか、壮司はあっさりと退出した。

「てめえに言われなくともな!」

 血気盛んに応じて、健一郎も退出していく。

 遠ざかって行く声は相変わらずで「てめえは係り稽古五十回だ!」とか「今日の互角稽古は覚えとけ」だの言い合っている。嫌いなら離れて歩けばいいのに、と思いながら芙美花は苦笑した。

 その後、芙美花と巴も生徒会室を出て、軽く挨拶をして別れた。巴が図書館に用があると言ったのだ。

 顔合わせの前までは、己の出来の悪さに心配していた芙美花だったが、終わった今はそれ以上にチームワークの悪さに大いなる心配を抱いた。

 

  ―◆―◆―◆―◆―

 

「どうして不動くんと健さんは仲がよくないの?」

 寮には各フロアごとに、テレビや新聞・雑誌、自販機などが設置されている談話室が廊下の一角に設けられている。特別寮七階、談話室で芙美花と健一郎は就寝前の一時を過ごしていた。風呂上がりの健一郎からはほこほこと湯気が出ている。

「理由なんかねえよ。むかつくだけだ」

 水がしたたる髪をかき混ぜるようにふきながら、健一郎が吐き捨てた。

「普通、理由もなくて嫌いにはならないと思うよ」

 芙美花は苦笑する。目の前のテレビからの番組は『夜の素敵な趣味に手芸を』。おそらく数十台ある寮中のテレビでもこの番組を映し出しているのはここだけだろう。

「気に喰わないもんは気に喰わねえ」

 まったく理由になってない言い分をつぶやく健一郎はまるでだだっ子のようだった。

「そうかな? 不動くん、少し怖そうだけど真面目そうに見えたよ」

 なにぶん会ったばかりなのでよくはわからないが、少なくとも芙美花にとっては壮司がそこまで健一郎に毛嫌いされるほど悪い人物には見えなかった。むしろ今どきの男子にはめずらしくまっすぐな印象だった。

 芙美花が壮司を擁護するとますます口を曲げてぶすっとしてしまった。いつも芙美花に対してしっかりしている彼のそんな姿はめずらしい。これ以上彼の機嫌を損ないように話題を変えることにする。

「ねえ、健さん。不動くんと古賀さんはおつきあいしてるのかな?」

 これから生徒会活動で一緒に行動することも多いだろう。その時に関係を把握してないと不用意な発言をしそうだった。しかし、そこは恋が主食の女子高生。必要性という大義名分の中に興味が混ざってはいるのは仕方ないことだ。

「そうなんじゃねえ? 本人たちがはっきり言ってるわけじゃないけどな」

 あの恋愛事にうといやつがどうやって古賀を落としたんだろうな、とつけ加えて健一郎はミネラルウォーターをあおった。

 鈍い芙美花の預かり知らぬところだったが、今回の生徒会長選挙の異常な倍率はひとえに古賀 巴の立候補によるものだったという。その怜悧なオーラから、おいそれとお近づきになれない彼女に、邪魔な生徒会長候補、壮司を廃して念願を果たそうと思ったらしい。

 そんな異常現象を起こさせるほどの巴を、どのようにして壮司が籠絡したかは立志院学院の七不思議であった。いかにも高嶺の花である巴に対し、壮司は成績は優秀の部類に入るが、とりたてて容姿端麗なわけでもなく、ただ実直さが取り柄の男である。今回の生徒会長への出馬も、巴と唯一親しくしている存在への羨望と嫉妬からか、一部では巴とあまりに釣り合わない己を嘆いてのことだといささか意地の悪い見方がなされていた。

「やっぱりおつきあいしてるんだね。なんとなく信頼感っていうか……そういうものがある気がする」

 少し接しただけでも、巴の研ぎ澄まされた鋭利さを感じた。あれでは並大抵の人は気圧されてしまうだろう。だが壮司にだけはその刃を納めて接していた。必然的に彼に警戒心を持つ必要がないからなのだろう。

「私、古賀さんと仲良くなれるかなぁ……」

 今現在の一番の懸案事項はそこだった。健一郎はもちろん、壮司も自らの仕事をおろそかにするとは思わないが、二人で連携することは見込めない。せめて女子同士だけでもバイパスを通したかった。それ以上に、美しい彼女と友達になりたくもある。けれどその雰囲気といい容姿といい、とっつきにくいことこの上ないのだ。

「あんま心配すんな。結構気がついたら仲よくなってるもんじゃねえの」

 健一郎は屈託なく笑った。

 ――やっぱり、健さんの笑顔はいいなぁ。

 たとえ壮司と仲が悪くとも芙美花にとっては頼りがいのある大事な彼氏だ。この笑顔をみるとくっつきたくなってしまうが、公の場所なのでひたすら我慢する。

「健さん、私がんばるよ」

 巴と仲良くなることも、生徒会の仕事を問題なくこなすことも、健一郎との睦みを我慢することすべてをひっくるめての宣言だったが「がんばれよ」と健一郎は気負いなく返してくれる。

「だから健さんも不動くんと仲良くしてね」

 にっこりと芙美花が笑うと「勘弁してくれ」と健一郎が顔を覆った。それでもすぐに二人で視線をあわせて苦笑する。そして声を出して笑いあった。

 特別寮に入ってからはお馴染みの穏やかな夜の一幕だった。

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