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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

フェイリスの偶像

作者: りったん

 ※注意※

ハッピーエンドではありますが中盤はなかなか辛い場面が多く、ガールズラブではありますが、ガールズ?と首をかしげる結果ではあります。

ラブはありますが、純粋な『ガールズラブ』をお求めの方には外れ感が強いかと思います。

さらに、異類婚姻(厳密には違いますが)に近い表現があるかもしれません。

ご注意ください。



 サジェスファ公爵令嬢アンネロッテは美しいが傲慢な人間で有名である。後妻の生んだ妹を虐めぬき、使用人には些細な失態ですら苛烈な罰を与える。妹を憐れんで顔をしかめる者も多いが、皇太后の姪である彼女に歯向かえるものなどいやしない。父親の公爵ですら彼女には遠慮し、後妻はいつも暗い顔をしており、アンネロッテにいじめられたのだろうと人々はうわさをした。


 だが、私──第一王女のシャロネは、なぜか彼女が優しい人間だと知っている。善良ではないにせよ、芯のところは温かい──私は彼女が世間で言うところの悪女だとは微塵も思っていないのだ。


 また、不思議なことに私は彼女を夢に見る。

 幼少のころはぼんやりとした情景だったが、年を経るにつれて風景は色合いを増していき、ぼやけていた稜線がくっきりと形作る。


 私が十二歳になるころには、人の判別がついた。

 泣き叫ぶ誰かの声と、アンネロッテの無残な死に顔が毎晩夢に出てくるのだ。泣き叫ぶ声は一人だけで他の誰もがアンネロッテの死を喜んで祝っている。彼女の両親さえもそうだった。


 毎回同じシーンではなかった。国外追放されたアンネロッテが道中で盗賊に殺されたり、舟遊びの最中に騎士に殺されたりした。そして一人だけの泣き声と、大勢が笑う声で夢から覚めるのだ。


 寝汗を掻き、涙を流しながら目覚める私を専属侍女のリリーは慣れた手つきで介抱する。濡れタオルで腫れた瞳を冷やすことが私の朝の始まりだった。



 ちなみに、私とアンネロッテに接点はほとんどない。

 高位貴族の彼女ではあるが、私が十二歳に対して彼女は十六歳。なんと四歳も違うので、私のご友人候補に彼女の名前が連なることもない。

 強いて言えば、我が兄皇太子グリュンバルドの婚約者候補であるくらいだろうか。


 本来なら義理の姉妹として仲良くするべきなのだろうが、私の母が庶民出身で貴族からは「いないもの」と扱われているからだ。母は突然出奔して宮殿にはいないため、余計に厄介者扱いなのだ。


 それでも私はなぜかアンネロッテを嫌いになれない。


 侍女ですら「あんな女が未来の国母だと思うと身震いが致しますわ!それにシャロネ姫様をないがしろにするなんて不敬極まりありませんわ!」と腹を立てるほどなのだが、私はやはり「優しい人」以外の印象を持てなかった。



 だから、私は一つの仮説を立てた。


 私は人生を何回も……いや、何十回も、何百回もやりなおしているのだ。いずれかの時に彼女と知り合って友誼を結んだのだろう。

 そうでなければ、彼女の死にざまがあんなに鮮明に私の夢に出てくるはずがない。こんなにも、胸が引き裂かれそうなほどに悲しいはずがないのだ。



 私はさっそくアンネロッテに近づいた。

 腐っても第一王女である。礼節を持って公爵家を訪問したいと打診をすれば形式的ではあるが了承の返信がきた。


 私が訪ねるとアンネロッテはとまどいながらも迎えに出てくれた。

「いったいわたくしに何の御用ですの?」

「未来の義姉と仲良くなりたかっただけです」

 と答えると少し顔を赤らめて

「な、なら仕方がありませんわね!遊んで差し上げますわ!」

 と上ずった声をあげた。


 彼女とはボードゲームを楽しんだ。

「あら、お強いのですね。どなたかに師事されていて?」

「いいえ、独学です」

 そう言いながら、誰かの譜が脳裏によぎる。その譜を思い出しながら打てばあっさりと勝ってしまった。アンネロッテは悔しがったが、茶器を壊すでもなく、使用人に当たり散らすわけでもなく、「もう一勝負おねがいしますわ!わたくしは負けず嫌いですのよ!」と美しい顔を真っ赤に染めた。

 やはり、私は彼女が悪人には思えない。



 何局か打ち続けていると、一人の訪問者が現れた。

「王女殿下がいらしているとか。わたくしにもご挨拶させてくださいませ。公爵家が二女、マノンと申します」

 可憐な声が遊戯室に響く。

 豊かな明るい髪を腰まで下ろし、くりくりとした可愛い目がシャロネを見つめる。いるだけで人を幸せにする人間──マノンを見た瞬間、そんな言葉が浮かんだ。

「お前は呼んでいないわ!さっさとお下がり!」

 とたん、耳をつんざくような高音でアンネロッテの怒声が響く。柳眉を逆立て、マノンを罵る姿はまるで魔女のように恐ろしい。

「そんな。おねえさま……」

 おびえたように体を震わせ、泣きそうな顔をするマノンは哀れだった。傍に控えていた使用人がマノンを庇うように前に出た。

「お言葉ですが、公爵家として家人が王女殿下にご挨拶するのは当然ですわ。それとも、わざわざお越しくださった王女殿下を無視せよとおっしゃいますの?」

「口答えを許した覚えはないわよ!さっさとお下がり!」

 紅茶のカップが投げつけられる。慣れているのか、側仕えは腕で顔を庇い、茶器は床に落ちて粉々になった。

「お前たち!これ以上私を苛立たせたくなったら早く出ていきなさい!」

「おねえさま。お心を乱したのなら謝ります。ごめんなさい。でも、わたくしはお姉さまと仲良くしたいだけなんです」

 震えながらも果敢に声を上げるマノン。

 愛らしい彼女はなんて健気なんだろう。

「……もういいわ!お前が出ていかないならわたくしがでていくわ!せいぜい王女殿下の前で恥をかくがいい!」

 顔が赤から青に変わり、怒りで失神寸前の彼女はそう叫んだ。「どきなさい!」と叫び、乱暴に押しのけて部屋から出ていく彼女は誰の目からも傲慢に見えるだろう。


「マノン様。大丈夫ですか?」

「ええ。大丈夫よ。それよりも、私のせいであなたの服がだめになってしまったわね。お父様に言って新しいものをお願いするわ」

「まあ、マノン様のせいではありませんわ。あの女が……」

「やめて。お姉さまを悪く言わないで!……あ、王女殿下の前で失礼しました。初めての顔合わせがこのような形で申し訳ありません。わたくしはお姉さまになぜか嫌われているみたいで……」

 あわてて膝を折るマノンはどこからどうみても素晴らしい淑女だった。


 だが、私は湧き上がる嫌悪感をどうしても抑えることができなかった。マノンの笑顔を見るたびに体のあちこちから血が噴き出しそうだった。痛みが血液を通って全身に送り込まれ、血反吐を吐くような苦しみが亡霊のように立ち上ってくる。



 気が付けばシャロネはマノンの首を絞めていた。

「な……なにを……くる……くるし……」


「な、何をなさるんです……?!気でも触れられたのですか!」

 側仕えの女が悲鳴をあげてシャロネの腕をマノンから離そうとする。

 だが、私は一喝した。

「無礼者!」

 その声は覇気があった。

 王族特有の威厳が幼いシャロネにはあった。何度も人生を繰り返した彼女だからこそ持ちえたものだ。

 怯んだ側仕えは反射的に手を引っ込め、おろおろとしながら青ざめるマノンを見た。このままでは主人が死んでしまう。恐れおののいた彼女は声を上げて人を呼んだ。「王女殿下のお気が触れてしまったわ!誰か!誰か!」

 叫ぶ彼女の声にたくさんの人がかけつける。

 マノンの傍にいる彼女の声は屋敷の人に認知されているのだろう。


 やってきた人々は健気なマノンが王女によって蹂躙されているのに驚き、また義憤にかられた。やめさせようとシャロネに手を伸ばす人間たちに、シャロネは怒鳴った。


「誰の体に触れていると思うの!わたくしは第一王女よ。王族に対する無礼な振る舞いはその場で極刑にできる決まりよ!わたくしの邪魔をするならお前たちも殺してやるから覚悟なさい!」


「いや……やぁ……!グリュ……バル……さま」

 か細い声が漏れる。

 そのとたん、側仕えの女が勝ち誇ったように笑った。

「王女殿下!かってにマノン様を処罰されては兄君のお怒りを買いますわよ!皇太子殿下はマノン様をそれは慈しんでいらっしゃるのですから!」


 カシャン。

 硬いものが落ちる音がして皆の注意がそちらに向いた。戸口にはアンネロッテが憤怒に染まった顔で立っていた。


 シャロネはその顔を見た時、泣きたくてたまらなかった。この言葉を聞かせたくなかったのに。それゆえ、目の前の女に腹が立って仕方がなかった。

 すべてを失う覚悟で目の前の敵を殺さなければと思った。


「お前の頭は飾りなのかしら?それで私がおじけづくとでも思ったの?ますます看過できないわ。正式な公爵家の人間ではないお前が皇太子に近づくなんてそれこそ大罪よ。お前は公爵家の人間として振る舞っているけれど、皇太后さまのお許しがでていないのに厚顔無恥も甚だしいわね」


 シャロネが言い放つとはじめてマノンの顔がゆがんだ。悔しそうに睨み上げる顔は醜悪だった。

 誰も知らない……そう思ったんだろう。皇太后は体が弱く離宮からあまり出てこられない。それをいいことに、屋敷の連中はマノンを公爵令嬢として扱い、マノンもそれを良しとした。マノンの母親は娼婦だった。マノンも公爵の娘だという確証がないからと皇太后は籍を入れることに反対していた。


 シャロネにとってそれはどうでもいいことだ。


「ねえ。マノン。わたしはお前にずっと言いたいことがあったのよ。お前が『なぜお姉さまに嫌われるのか』と嘆いていたわよね?それはアンネロッテの母親の形見でもある猫をお前が始末したからよ!」


 シャロネの顔は醜くゆがんでいる。怒りと憎悪と、すべての悪感情をマノンにぶつけている。

 優しいアンネロッテを悪役に仕立てあげ、苛められる可哀想な妹を演出するためだけに猫を狙った。猫を失ったアンネロッテは嘆き悲しみ、マノンの筋書き通りの悪女に仕上がったのだ。


 誰よりもアンネロッテは優しいのに。


 シャロネは掴んでいた首を体ごと放り投げた。床に打ち付けられたマノンはごほごほとせき込む。

「な……そんなこ……」


「側仕えの……ラニとか言ったわね。『猫に噛まれたことがあるから猫が怖い。眠れない』と騒ぐマノンのために、お前はわざわざアンネロッテの部屋に忍び込んで猫をさらったのよね」 


「な、なぜそれを?だってあれは……!」


「理由はどうでもいいの。優しいアンネロッテを怒らせ、孤立させるために仕組んだお前たちの罪を私は知っていて、お前たちを殺したいほど憎んでいるの。だから殺すの」

 本当ならアンネロッテのように処刑台で殺したかったけど、邪魔グリュンバルドが入っては目的を達成できない。


 シャロネは指を綺麗にそろえるといつのまにか伸びた長い爪でマノンの首を掻ききった。続いて悲鳴を上げる側仕えの女の喉元を割いた。まるで猫が狩りをするような流麗さだった。


 屋敷の人間は悲鳴を上げて愛らしい少女の死を嘆いた。アンネロッテは呆然としている。シャロネだけは笑っていた。

 嘆き悲しむ声と笑う声、くしくも夢と同じ場面だった。そこでシャロネは初めて気づく、夢の中でアンネロッテの死を嘆いていたのはシャロネだったのだと。



 怒りと悲しみ、そして幸せな思い出がゆっくりとシャロネの中に蘇る。

 アンネロッテとその母と楽しく過ごした幸せな日々。

 母を亡くしてひとり悲しむアンネロッテに寄り添った日々。

 マノンの手にかかり、命を失う寸前までアンネロッテを思って鳴き叫んだあの瞬間、



 わたしは悪魔に祈ったのだ。

 神に祈ってもマノンの魔の手からアンネロッテの母を救えなかった。

 自分の母を公爵夫人にするためにあの女はアンネロッテの母に毒を盛ったのだ。


 神が彼女たちを救わないのならば、悪魔と取引をしてやろう。

 猫は他の生贄の数倍の威力があるらしい。ならば私の魂と引き換えにどうかアンネロッテを幸せに!



 その時、初めての逆行が行われた。

 まだ人間の体が定着していない私では力及ばず、覚醒したのはアンネロッテが処刑台に立たされる時だった。

 次も、その次も、アンネロッテは悲劇的な結末を迎える。


 でも、そんな苦しみも今回で終わり。



 体が少しずつ崩壊していくのを感じる。

 もとの世界にシャロネなどどこにもいなかった。すべては悪魔が作り出したまやかしの存在。

 アンネロッテを不幸に追いやる存在マノンを消したことで、私の願いは成就し、契約は終焉を迎える。


 美しい悪魔の手が私に延ばされた。


 これに身をゆだねれば今度こそアンネロッテと永遠の別れ。


 大好きよ、アンネロッテ。

 私はあなたの幸せをどこにいても祈っているから。愛しているから!愛しているから!


 陽炎のようにぼやける己の体の心の中で叫ぶ。

 


「シャル?シャルなのね……」

 震える声が聞こえる。

 わたしの名前を呼ぶ懐かしい響きだ。

 目だけを向ければ、目を真っ赤にしたアンネロッテの顔がある。


「ごめんなさい、ごめんなさい。あなたを助けてあげられなくてごめんなさい。大好きよ。ずっとずっと大好きよ。」

 泣きながらアンネロッテは言った。

 そして天を仰ぎ、美しい悪魔に向かって叫んだ。


「ねえ、あなたは悪魔なのでしょう?わたくしの魂も上げるから、どうかシャルと一緒に連れて行って……!」



「もういやなの。シャルと離れたくないの……!お願い……!」


 悲しみに染まり、アンネロッテの声が掠れはじめる。


 それを楽し気に眺める悪魔は、まるで慈しむような美しい顔で微笑んだ。


『ふふふ。いいよ。ちょうど邪悪な魂を二つ手に入れたことだし、お礼に幸せを一つあげるとしよう』


 かくして時計はまた逆戻りする。



 サジェスファ公爵家には美しい奥方と華やかな令嬢がいつも楽しそうに庭でお茶会をしている。傍には黒い猫がおり、ボードゲームの話にも相槌を打つようにニャアと鳴く。


 公爵には娼婦の愛人がいたが、子をはらむこともなかったので自然消滅し、せっせと奥方の元へ帰っては花と菓子をプレゼントしている。


「そういえばアンネロッテ。あなたに皇太子との縁談が来ているのだけど、興味はあるかしら?」

 ある日、公爵夫人が愛娘に尋ねると、アンネロッテは首を振った。

「皇太子殿下は優しくて一緒にいると楽しいけれど、あれはとんでもない女ったらしになりますわ。八方美人ですわね」

「あらまあ。良く知っているのね」

「シャルのお散歩に行った先で薄幸そうな女性に声をかけているのを偶然見ましたの。引っかかる女性もどうかとおもいましたが、弱っているときに声をかけられると目が曇ってしまうのでしょうね」

 アンネロッテの顔が少し陰る。

「あら。アンネロッテったら、経験したこともないのに知ったふうな口を利くなんて面白い子ね」

 公爵夫人は楽しそうに笑った。つられてアンネロッテも笑う。

 アンネロッテの膝のシャルも笑うように「ニャア」と鳴いた。



 悪魔が用意した『幸せ』はアンネロッテが天寿を全うするまで続いた。シャルはとっくの昔に尻尾が二つに分かれていたが、普通の猫として振る舞ってアンネロッテの傍にい続けた。彼女が息絶えるときにようやくシャルも目を閉じた。

 一人と一匹は寄り添って幸せそうに眠る。


 美しい悪魔は二人の魂を解放し、次の世でも幸せにと祈った。

 彼女たちの物語はこれでおしまい。幸せになる結末しか用意されてない。

 逆に、マノンたちのこれからは始まったばかり。


 邪悪な魂は美しい悪魔のおもちゃになっている。

 紫のローブの隙間から豊かな毛に被われた長い尻尾が延び、醜い二つの魂を転がして遊ぶ。

 悪魔は猫のような目を細めながら、どのようにいたぶろうかと楽しげに笑った。

 

この話に出てきた悪魔が黒猫に親身なのは、元が猫だからです。猫はサタンの化身という話からオチを用意しました。


猫の日の前日に投稿出来て満足です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです! 思わずすぐに二度ほど読み返してしまったほどです。 いつも素敵な作品をありがとうございます。 これからも楽しみにしております^^
[良い点] ねこちゃん……!! なんて愛情深い猫なんでしょうか。 可愛がられて幸せに暮らしてたのが目に浮かびます。 悪魔と取引してでも救いたかったなんて本当に健気でいい子で、幸せに暮らして最期まで一…
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