44 おはよう
寮の自室に戻ると、随分と広く感じた。
それも当然だろう。これまで四人で使っていた部屋が一人部屋となったのだから。
「はっ……これならマリアと喋ってても気にされないな」
一人はオルガが退学に追い込んだ。
残り一人は、フェザーンによってばらばらにされた中に居たらしい。
もう一人はオルガとは全く無関係な場所で退学となった。
今回のサバイバル試験。十分な準備を整えられずに初日でリタイアした学生は意外と多かったらしい。
特に無理に食料を奪おうとして反撃にあい、と言うケースはオルガ達が経験したように相当数に上る。
800人居た生徒の内100人近くが退学――或いは死亡という結末だった。
恐ろしい事に。
これでも例年に比べるとまだ少ない方らしいという教官達の噂話を聞いた。
教官と呼んではいるが、寧ろ彼らは監視役と言った方が正しいのではないかと言う気がしてきたオルガである。
彼らの態度は教え導くものではなく、ただ生け簀の中にいる魚の数を適切に管理しているだけ。
そんな想像。少なくともこれまでにあった教師たちは皆そうだ。
――遠からずかもしれないなとオルガは思った。
結局のところ実際に強くなるかどうかは候補生任せだ。
今回の試験でその印象は更に強くなった。
育てるのではなく、自ら育つ種だけを選別しているような。
流石にこれは考えすぎかもしれないなとオルガは首を横に振る。
何時もだったらこの辺でマリアがかき回してくれるので沈みこまないで済むのだが――今はそのマリアが居ない。
オルガの思考はどんどんと沈んでいく。
「アイツとの戦いはしんどかった……」
オルガが完全に体得している技は三つ。未だ不完全な物を含めれば四つ。
それらを駆使してどうにか一撃は入れられたが、その一撃でも仕留め切れなかった。
「相手の霊力を感じ取る、か」
その感知方法は人によって違うというが、オルガにその兆しは無い。
もしもそれが出来なければどうなるのだろうかとふと不安に思った。
捌式然り。他の技にも霊力を感知できなければどうしようもない技と言う物はあるのではないだろうか。
まだ半分も体得していない状態でそんな心配をするのは気が早いのかもしれないが……。
ああ。やはりだめだとオルガは首を横に振った。
この部屋は余りに静かすぎる。
思い出す必要のない事まで思い出しそうになる。
「……風呂でも入ろ」
剣は置いていく。そうすればいつもマリアが偶には私も連れて行きなさいよ、などというのだが今日はそれが無い。
その事でショックを受けた自分にこそショックを受けながら大浴場へ。
オルガが使う時間帯は余り人と被らないのだが、今日は結構人が居る。
何故だかその内の数人が壁に耳を付けている。
「……? 何してるんだお前ら」
「耳を当ててみれば分かる」
「耳?」
と言うかこの壁。女湯側に続いている物では無いだろうか。
「あ、バカ! こいつは――」
一人が焦ったように口を開くが、オルガはそれを無視して壁に耳を当てる。
この裏に配管でもあるのか。声が響いて聞こえて来た。
『――ヒルダもおっぱいは大きいぞ!』
聞こえて来たウェンディのその無邪気な発言にオルガは噴き出した。
『あーあのきっちりしたメイド服の下は着やせするタイプか―』
『別に胸が大きくて聖騎士になるうえでメリットは無いと思いますけど……重いですし』
『それはそれ。これはこれっていうか、なあ?』
『うむ! 無いよりはあった方がいい!』
『私としてはお二人の方が羨ましいです……』
『持つ者の驕った発言だな!』
『こいつめ。要らないって言うなら寄越せ!』
『あ、ちょっと。イオさん! 揉むのはやめてください!』
『そう言えばイオ。揉まれれば大きくなると聞いたことがあるぞ!』
『マジか。よっしゃ。二人で揉み合おうぜ』
『あの、二人とももう少し恥じらいを……』
そこでオルガは聞いていられなくなり耳を離した。
そして。
横並びになっている男子の頭を片っ端からタオルで叩く。
「いってえな! 何すんだ!」
「お前らこそ何してやがる」
何をしているのかと思えば盗み聞きとは趣味が悪い。
いや、オルガもしっかり聞いてしまったのだがそれは棚上げして置く。
「くそ、コイツアイツらの小隊長だ!」
「な、躊躇う事無くハーレム小隊を作り上げたあの!?」
「あのレジェンドの!?」
不味い。殆ど座学に出ず一人黙々と剣を振っていたら知らぬうちに妙な呼び名がついている。
もう少し他の生徒とコミュニケーションをとった方がいいかもしれない。
「流石に小隊員の私的な会話の盗み聞きは許せない」
「くっ……だが俺達も簡単に引くわけにはいかない……! この場所を見つけるのにどれだけ時間がかかったか!」
知らん。
「兎に角、止めさせてもらう」
「くっ、こっちは四人! 勝てると思うなよ!」
「そっちこそ」
そう言ってオルガはタオルを鋭く振るう。
その伝導率は木刀以下。だが――それを媒介として霊力の刃が伸びる。
弐式。朧・陽炎斬り。
風呂の水面にタオルを振るったとは思えない程鋭い切れ込みが走る。
一瞬で塞がれたが、それは男子たちの瞳に刻み込まれた。
「さあ来るなら来い。全身真っ赤にしてやる」
「何だよ今の!」
「タオルの威力じゃねえ!」
やってられるか! と逃げたのを追う事はせずに、オルガは湯船に浸かった。
「……全裸で取っ組み合いにならなくてよかった」
出来ればそれは勘弁してほしい事だったので、平和的に解決してよかったとオルガは思う。
ほんの少し、くだらないやり取りがマリアとの会話の様で気が紛れた事だけは感謝してもいいかと思えた。
たっぷりと湯船に浸かって疲れを吐き出す。考えてみれば約一週間ぶりの風呂である。
気持ちがいい筈である。
濡れタオルで汗を拭うくらいはしていたが、ヒルダの様に水浴びをする勇気は無かった。
……女子達はどうしていたのかは聞かぬ方が良いのだろうなとふと思った。
寝落ちしそうになるのを堪えて、どうにか風呂を済ませて上がる。
そのまま一人きりの自室に戻り。ベッドに倒れ込んだ。これまた一週間ぶりの柔らかな寝具に包まれて。
オルガの意識は一瞬で落ちた。
と思った瞬間には頬への鋭い痛みで目が覚める。
自身の掌に返ってくる己の頬の感触。自らビンタをすると言う意味不明な状況。
目を開けて跳ね起きると、してやったりと言う顔をしている金髪の少女の姿。
『朝よオルガ。起きなさーい!』
その太陽の様な笑顔を見てオルガは肩の力を抜いた。
「ああ。おはよう。マリア」
これでやっと、オルガのサバイバル試験は終了したのだ。
これにチョット嬉しくなったオルガはマゾ!(暴論