41 フェザール姉妹
大遅刻です。ごめんなさい
「全く、驚かされるわねえ」
漸く傷が癒え始めた己の身体を見下ろしながらフェザーンは溜息を吐いた。
「ひよこ相手の簡単な仕事だって聞いてたのに……あんな子らが居るなんて聞いてないわよぉ」
四人がかりとは言え、ここまで追いつめられたのは久しぶりだった。
まして相手はまだ聖騎士ではない。今年聖剣を握ったばかりの候補生だというのだから驚きだ。
「災浄大業物が一振りに、あの水は……彼の有名なアレかしら。だとしたらあれも大業物」
中々の戦力と言えるが、問題は残る二つ。
「あの眼帯の子の聖剣は……あんまり聞き覚えが無いわねえ。あれだけの威力の攻撃。最低でも大業物クラスだと思うんだけど」
だがそれ以上に奇怪なのは。
「あの男の子の攻撃……アレは本当に聖剣だったのかしら?」
どうにも違和感が拭えない。仮に聖剣だとしたら。あれは一体どんな聖剣なのか。
百年近い戦闘経験を持つフェザーンでさえその正体を掴み切れない。
「ああ。そう言えば……万旋刃の奴が話してた昔の武勇伝であんな技を使う剣士の話があった様な……」
興味が無いので聞き逃していたのが悔やまれる、とフェザーンは旧い知り合いの自慢話を思い出そうとした。
「にしても、御姉様はどこかしら。この辺りが集合場所の筈だけど……」
姉――フェザリーヌ・フェザール。
フェザーンと同じ、有獣種の肉体を持つ人型魔獣――魔族と呼ばれる存在である。
候補生たちには降りて来ていない情報だが、聖騎士殺しのフェザール姉妹と言えば聖騎士団の中でも有名だった。
彼女ら姉妹に、聖騎士の小隊が七つは潰されているのだから。
正規の聖騎士でさえ敗れる様な相手を退却させられたのはオルガ達にとってこの試験中最大の幸運だったと言える。
「御姉様と合流出来たら――そうね、今度こそあの子達を美味しく頂いちゃいましょうか」
そう遠くは無い未来を夢想しながらフェザーンは一歩前に踏み出し。
「残念ですが、貴女のお姉さんはここには来ませんよ」
聞こえて来た姉ではない誰かの声に目を細めた。
「……誰かしらぁ?」
「初めまして。フェザーン・フェザール」
木の影から、一人の女性が姿を現す。
顔以外は一切の肌を露出しない、禁欲的な使用人服。燃え尽きた様な灰色の髪。
「ヒルダと申します。短い時間ですがお見知り置きを」
「あらあ、これはご丁寧に。私の自己紹介は不要みたいね?」
年若いとフェザーンは思った。つい先ほど戦った男の子と同じ年くらいかしらあ? と考える。
この森に居るという事は、候補生たちの一人だろうと当たりを付けた。
「それで、さっきのはどういう意味かしら?」
「どういう意味、とは? これ以上なく簡潔に述べたつもりでしたが」
「惚けないで頂戴な。御姉様が来ないなんてどうしてあなたに分かるのかしらあ?」
その問いかけにヒルダはああ、と手を打ち合わせた。
「簡単な話です。私が殺しました。だからもう、ここには来ません」
「は?」
この少女は何を言っているのか。
フェザーンの姉であるフェザリーヌはあらゆる面でフェザーンを凌ぐ。
フェザーンが思わぬ傷を負ったが、そんな候補生が早々居るとは思えない。
だから、ヒルダの言っている事はフェザーンには信じられなかった。
「聖騎士殺しのフェザール姉妹。二人同時だと流石に梃子摺るかと思いましたが……ええ。こうして勝手に分断してくれたのは幸運でした」
そう言って、ヒルダは一礼する。
「申し訳ございませんが、私にもお嬢様のお世話がございます。手早く済ませさせて頂きますね?」
「あら。舐めないで欲しいわね」
既にフェザーンの身体は再生を終えている。消耗はあるが、戦闘力的には既に十全。
候補生相手に一対一で後れを取るような事はあり得ない。
「どうやって御姉様と分断させたのかは知らないけど。貴女一人位、殺すのは訳ないわ」
「ええ。私などは所詮末席。他の方々に比べれば大したことないでしょう」
ですが、と口元に笑みを浮かべる。
「魔族の一人如きに後れを取るほど惰弱ではありません」
「良いわね。そう言う大言吐く子、嫌いじゃないわよ」
嬲られた後も同じことが言えるか。見ものだと思いながらフェザーンは己の爪で斬りかかる。
その速度はオルガ達に向けていた物以上。
これだけの大口を叩くのだ。これくらいは対処できなくては困る。
ヒルダは動かない。
その眼前にフェザーンが迫って――その唇が小さく動いた。
「転輪」
交錯する。
フェザーンの爪は確かにヒルダを切り裂いたはずだった。
だが結果はその逆。フェザーンの爪は、フェザーン自身を切り裂いている。
「なっ……」
「怖れ多くも、特級聖騎士の座を預かる身。後れを取る様では先輩方から怒られてしまいます」
その愚痴めいた言葉に、フェザーンは表情を強張らせた。
特級聖騎士。たった九人しかいない人類の守護者! 神から直接授けられた神剣を持つという魔族にとっての死神!
勝てるわけが無いとフェザーンは判断した。
今までに何人の魔族がその特級聖騎士を殺そうとして来て、その全てが失敗に終わったと思っているのか。
その逆に、一体今まで何人の魔族が切り殺されてきたと思っているのか。
そうして、その事実が飲み込めると同時に。もう一つの事実からも眼を逸らせなくなる。
「お前……まさか本当に御姉様を」
「流石音に聞こえたフェザール姉妹の姉。今まで私が狩ってきた魔族の中で一番強かったですよ」
「貴様!」
姉を殺された。そう聞いて素直に引き下がれるほどフェザーンは冷徹では居られなかった。
故に彼女はたった一つの生き延びる可能性――逃走と言う選択肢を捨てざるを得なかった。
そのフェザーンの身体が細切れになる。
抜き身すら見せぬ太刀筋。
ヒルダの周囲に巡らされた剣の結界とでもいうべき斬撃の嵐。それが如何なる理屈で生み出されているのか。
それを理解する事も無くフェザーンは命を絶たれた。
「ふう。姉の方と違って逃げ出さなかったので手早く済みました」
まるで少し面倒な掃除を終えたという様な風情でヒルダは息を吐いた。
「さて。お嬢様をお迎えに行きませんと」
エプロンドレスの裾に着いた土ぼこりを払って。
ヒルダはその場から姿を消した。
しれっと出てくるあの人たちの一味。
ちなみに死霊術でも名前だけは出て来ています。