37 後ろに誰もいない戦い
金色の髪が虚空へ消える。
余りの衝撃にオルガは完全に動きを止めてしまった。
「待たせて悪かったわね。じゃ、さよなら」
その隙は余りに致命的。フェザーンが再び爪を振るおうとすると、そこへウェンディが伸ばした水の鞭が絡みついて動きを封じる。
「その手品、見飽きたわよ!」
強引に、水の鞭が引き千切られる。聖剣からの霊力を失ってただの水に還る。
地面に吸い込まれたそれは、流石に再利用できないだろう。
水の残量はそのままウェンディの戦力だ。それを著しく消費して、オルガを助け出すだけの時間を生み出した。
僅か1秒。その1秒でオルガは体勢を立て直す。
落ち着け、と己へ言い聞かせる。
相手がマリアに干渉できるのは想定外だったが――まだ消えたと決まったわけではない。
マリアが宿り木だというボロ剣は健在だ。
だから。だから大丈夫だとオルガは自分に言い聞かせる。まだ守る事に失敗したわけじゃない。
「ウェンディ、助かった」
「うむ。だが次は期待しないでくれ……」
同じことをするだけの水はもう無いのだ、と悲し気にウェンディは言う。
水弾を飛ばすような真似はこの水の残量では不可能。
「俺の水筒の水。使ってくれ」
これをプレゼントしてくれたイオとエレナに感謝しながら、オルガは水をウェンディに提供する。
「助かる」
それでも、水場を確保した時の様に潤沢には使えない。
ウェンディに出来るのは水をなるべく消費しない、聖剣に纏わせての攻撃となる。
「良いわね。貴方達。さっき切り裂いた連中とは比べ物にならないわ」
「……何が目的だ」
時間稼ぎ。オルガの問いかけはそれ以外の何物でもない。
少しでも呼吸を整えたい。
口を動かしながらも、ウェンディと二人。相手の回りを回る様にして囲む。
その意図を見透かしながらも、フェザーンは楽し気に答えた。
「決まってるでしょ? 貴方たちは何れ私達を狩りに来る。だから、その前に潰しに来たのよ。特に一年目はとても弱いから狙い目」
「ああ。そりゃ合理的だな」
オルガだってそうできるならそうするだろうと思える答えだった。シンプル過ぎて疑いを挟む余地も無い。
聖騎士が戦う対象に人型魔獣――当人らが言うところの魔族が含まれているというのはオルガも推測していた事だった。
彼らに知性があるのならば、自分達を殺すための訓練をしている相手を、逆に殺さない理由はない。
まあ、訓練らしい訓練はしていないのだが。
「ひよこさんたちを潰す簡単なお仕事のつもりだったけど……案外楽しませてくれるわ」
オルガとウェンディがフェザーンを挟む。
「だから――もっと楽しませて頂戴ね? じゃないと……殺しちゃうわよ」
その声を契機に、二人で前後から挟む。
フェザーンの姿が掻き消えた。一瞬で視界の外に消え去る。
だが瞬間移動したわけではない。ただ常識外れの身体能力で移動しただけだ。ならばその動きは追いかける事が出来る。
体内時間を切り刻む。細かくなった時間を引き延ばす。一瞬でも対応が遅れたらそれは死に繋がる。
左。
身体の重心を傾けて切り返す。
引き延ばされた時間の中で、フェザーンが笑みを浮かべた。
もっと早くするわよ。唇がそう動いた――様に思える。
切り返し。オルガを振り切ろうとフェザーンが動きのベクトルを一瞬で180度転換する。
それに振り落とされない様にオルガも後を追った。何時かマリアがしたように自分の足の限界を越えた動き。
いや、彼女の様に洗練されていない分尚質が悪い。今の切り返しだけで足が悲鳴をあげている。
それをフェザーンは繰り返す。一度、二度、三度。
その度に速度を上げていく。
その度にオルガの足は終わりに近づいていく。
――ダメだ。
オルガは焦る。
こんな追いかけっこ。長時間は続けられない。霊力で強化した身体能力でも全く追いつけていない。
まだ向こうには余力がある。だと言うのにオルガはもう限界ギリギリだ。
指先で、ウェンディにサインを送る。この速度で移動している状態で届いたかどうか。相手の顔を見る余裕も無い。
届いたと信じるしかない。
「あら? もう限界?」
返事をする為に吐き出す息も惜しい。肺が酸素を求めて喘いでいる。
「残念ね。思ったよりも持ちこたえられなかった。でも思ったよりも楽しめたわ」
まだか。まだなのかウェンディ。それとも届かなかったのか。
そう思った瞬間、ウェンディの聖剣が一つの技を組み上げた。
「捕えよ!」
水で編まれた網がフェザーンの前に広がる。残った水の大半を使った大技だ。
「あら残念! 網目が荒すぎるわよ!」
細かい目を持つほどの網を作るだけの水はもう無い。その網はフェザーンの爪で切り裂かれて容易く突破される。
だが一瞬、動きが鈍くなった。その意識が網に向いた。
「――弐式!」
朧・陽炎斬り。
霊力で形成された不可視の刃がフェザーンの首を狙って伸びる。
網の向こうでウェンディも同じ動きをした。それはまるで何時かの再現。ただ決定的に違うのは狙う相手。
水が生んだ透明の刃。二方向からの同時攻撃。
どちらも視界には殆ど捉えられない攻撃だ。これならば――とオルガは勝利を確信する。
「上手上手」
だがその確信はあっさりと覆された。フェザーンの指先がオルガとウェンディ。その両者の刃を挟んで止めた。
軽く捻られた事で刃が砕ける。
「咄嗟の連携にしては悪く無いわよお? でも、残念。その程度の攻撃は見飽きているのよ」
不意など突けていなかった。まだまだ相手には余力がある。しかし今の攻防でオルガ達は既に限界ギリギリだ。
「まだ何か手はあるかしら?」
オルガの手札はもう残り少ない。肆式は型すら分からず、伍式はまだその概要を聞いたばかり。とても実戦に投入できるような物では無い。
捌式――も無理だ。他者の霊力を捉える事が出来ないオルガでは闇雲に打つ事しかできない。
それで相手の動きを封じられるかはただのギャンブルだ。
そのギャンブルに命運を託すしかないのだろうか。
ウェンディもオルガが渡した水もほぼ使い切ってしまった。今の攻防に彼女も賭けていたのだろう。
次の手を考えないといけない。
だが、思い浮かばない。何か手を打たないとここで終わる。
「無いみたいね」
考えろ考えろ考えろ。思考を止めたらその瞬間に死ぬ。身体を止めたらその瞬間に死ぬ。
止まるな。
動け。動き続けろ。
「暇つぶしとしては中々楽しめたわよ。それじゃあ……せめて男の子に格好つけさせてあげましょうか」
爪の一閃をどうにか回避する。それがオルガの足の限界だった。着地に失敗する。
「あらあら可哀そうに……楽にしてあげるわ」
動けない。諦めてなる物か。こんなところで。目的を果たす事も出来ずに。這ってでも動け。口だけになっても喰らい付け。
オルガの意思に反して身体は動かない。
致命となる一撃はしかし、オルガの元には届かなかった。
「……あら。新しいお客様ね。どちらさま?」
「――この人の仲間です」
紫紺の髪の少女が、オルガを護る様に立っていた。
オルガより、ずっとはやい!!