35 転換
試験は滞りなく進んでいく。
三日目までは必死な様相の同期生達が資材を奪おうと襲い掛かってくる事も有ったが、特に問題なく撃退。
その内の何人が退学となったのかは意識しない。
四日目になるとそう言った襲撃も減った。
同時に魔獣との遭遇数も激減したので食料は主に野生の獣と、保存食を消費していく。
ウェンディは拠点を代えたのか。それともオルガには見えない位深いのか。池にその姿は見つけられなかったが、まあ多分生きているだろうと気にしない事にした。
そうして六日目。
その日は朝から妙だった。
「……静かだな」
「そう、ですね」
何時もは鳥の鳴き声やら、虫の鳴き声やらそう言う物が聞こえてくる。
だが気が付けば森の中は静寂に包まれていた。命に溢れていた場所としては異様な静けさ。
いや――それは果たして朝からだっただろうか。
夜。何時もよりもよく眠れたような気がしたのはそう言う雑音が無かったからではないだろうか。
「嫌な感じだ」
想定外の事態にオルガは少し悩む。
「一先ずイオを起こしてくれ。この後の事を話し合おう」
イオを起こすと彼女も直ぐに異変に気付いたらしい。
「何か妙に静かじゃね?」
「お前もそう思うか」
先入観なしに、イオもそう思ったのならばこれはもう気のせいなんかではない。
この森に異常事態が起きつつあるのは間違いなかった。
或いはもう、その異常事態に囚われているのか。
「俺達には二つ選択肢がある。このままここで明日の朝まで隠れ潜むか。ここで試験を終わりにするかだ」
六日目でのリタイアは小隊に100点だ。
最終日の明日までと比べると半分に減るが、このおかしな状態の森でリスクを背負うべきかどうか。
「……私は、ここでやめるべきだと思います。昨日までとは森の様子が違い過ぎます」
「オレはもう少し堪えるべきだと思うぜ? この様子も試験の一環かもしれないし。それに評価点を得るチャンスは逃したくない」
イオの言葉もエレナの言葉もどちらも一理ある。
「……折衷案で行こう。拠点を破棄する。水を持てるだけ持って、森の浅い部分へ移動だ」
あと一日をそれで強引に凌ぐ。森の深層から離れる事で、いざという時には即座に森の外へ逃げられるようにもしておく。
これが五日目ならもっと迷ったが、後一日。水筒に入る水で一日くらいは何とかなる。
「うし、じゃあオレテントとか纏めちまうな」
「頼む。エレナは残った食料詰め込んでくれ」
「分かりました」
この怪しげな雰囲気の森では下手に単独行動はしない方がいいだろう。そう考えると――。
「それが終わったら池に行こう。ウェンディにも声をかける」
「アイツまだあそこにいるのか?」
「……分からん。日が昇ってからしばらく経つからな」
数日姿を見ていないのでどこかに移動している可能性は高い。彼女もこの森の異変には気付いているはずだ。先に浅瀬に動いているかもしれない。
話しながら荷物を纏める。持ち切れない物はここに放置していく。
「くそっ、もうちょっとで木彫りの像が完成したのに」
暇つぶしにイオが掘っていた熊の像。そんな物いつの間に……とオルガが呆れる。
『結構夜の見張りの時間皆好きな事してたわよ?』
結果論ではあるが、それで襲撃は防げていたのだから……良いのだろうか。
「ウェンディは……居ないな」
「見た感じ居ねえけど底までは見えないしな」
彼女が移動したのならそれはそれでいい。後はウェンディの判断次第だ。
荷物を纏めていざ出発――と言うところで。
「何か来るぞ!」
イオの警告にオルガは直ぐに剣を抜く。ミスリルの刃が朝の陽ざしを反射した。
エレナも聖剣を抜いてイオの側に寄った。
木陰から飛び出してきたのは、ぼろぼろの戦闘着を着た男子生徒だ。無手。聖剣はどうしたのだろうか。
「止まれ!」
オルガが威圧の声を発する。だがそれを無視して、男子生徒はすり抜けようとしたのでオルガはその肩を強引に掴んで止める。
「な、なにするんだ!」
上擦った声で文句を言ってくる相手を睨みながらオルガは怒鳴る様に質問する。
「そっちこそ何している! 一人か? 聖剣も持たずにこんなところで何を……」
オルガの語気が弱まった。その生徒はよく見たら血まみれだった。大小さまざまな傷が刻まれている。
「エレナ!」
「はい!」
以心伝心。エレナの<オンダルシア>が男子生徒の傷を癒す。完治はさせない。最低限動ける程度だ。
「何があった? 魔獣に襲われたのか?」
「ち、違う……魔獣なんかじゃない……アイツは……アイツは……」
「アイツ? 人か?」
「人!?」
裏返った声で。掴んでいたオルガの手を振り払って逆に胸倉を掴んでくる。
「アレが、あんなのが人の訳が無い! あれは……アレはもっと恐ろしい……」
ダメだ、とオルガはこの相手から情報を引き出す事を諦めた。
何があったのかは分からないが、錯乱している。
「イオ、そいつに肩を貸してやってくれ」
「連れていくのかよ」
「見捨てるのも寝ざめが悪い」
何かに襲われたのは間違いない。だがあの円環を使えば最低限の安全は確保できるはずだ。
――ここまでボロボロにしてくる相手にどこまで役立つかは疑問だが。
見ればこの男子生徒の円環は紛失してしまっているらしい。救援信号だけ出して置いていくという選択肢が封じられたのは痛い。
「取り合えず移動を開始しよう。初日に通ったルートを逆に進んで迷わない様に――」
「人であるもんか……あんな、雪みたいな銀髪……」
「――今なんて言った?」
オルガの眼の色が変わった。イオに肩を借りて立ち上がっていた男子生徒の襟元を掴んで引き寄せる。
「銀髪って、そう言ったのか? お前を襲ったのは銀髪だったのか?」
「オルガ?」
完全な詰問口調になったオルガにイオが疑問符を浮かべる。それは今聞くべき情報なのか。
「答えろ。お前たちを襲ったのは。銀髪の女か?」
嘘偽りを許さない。オルガの目に睨まれた男子生徒は壊れた様に頷く。
「あ、ああ」
その返事を聞いた瞬間。オルガは手を離す。急に支えを失った男子生徒がたたらを踏む。
「オルガさん?」
「二人はコイツを連れて森の浅瀬まで……いや、森を出た方がいいかもしれない。その辺は臨機応変に頼む」
「……お前はどうするんだよ」
「用事が出来た」
そう言ってオルガは駆けだす。
今しがた男子生徒が逃げ出してきた方向へ。
おや、オルガの様子が……