33 我慢強さ
砂時計が交代の時間を告げる。
大体この砂が落ち切って一時間。
街にある様な大時計と比べると若干の誤差はあるが、大雑把な経過時間を知るには有効だ。
これが他の人と時間を合わせようとすると多大な労力が必要になるのだが……まあ今は関係ない。
イオを起こして、オルガは二度目の睡眠時間となるのだが――オルガはそっとその砂時計をもう一度ひっくり返した。
『あら、良いの?』
「余り疲れてないからな」
半分嘘である。
だがイオの疲労はそれ以上だと感じたので少し休ませることにしたのだ。
『オルガは何て言うか……我慢強いわね』
マリアが呆れた様な、微笑ましい物を見るようなそんな表情でオルガをそう評した。
自分の身を削ってでも人を助けようとする。
マリアにはその滅私の精神は分からないが、それがオルガの生き方なのだろうと思ってなるべく口は出さない様にしている。
スラム育ちだというけど、どんな親に育てられたらこんな性格に育つのだろうかと少し気になった。
そして我慢強いと言われた方のオルガは、その評価を聞いて表情を歪める。
評価が不満だった――訳ではない。不快だったわけでもない。
そこに宿っていたのは苦悩だった。或いは後悔と言ってもいいかもしれない。
「俺は……我慢強くなんて無い」
絞り出すようにオルガはそう言う。
焚火の不安定な灯りに照らされたオルガの表情は深く陰影が刻まれており、目元が良く見えない。
だがその瞳はここではないどこかを眺めている様にマリアには思えた。
『まあそうだよね』
そんな表情を続けさせたくなくて。マリアは殊更明るい声を出す。
『だってオルガったら水着姿のイオちゃんとエレナちゃんから視線を逸らしつつもチラチラみてたもんね』
「見てない」
『見てた見てた。女の子は視線に敏感だから向こうも気付いてたと思うよ?』
「いや、だから見てないってば」
『はいはい。そう言う事にしておくね』
まあ実際見ていたのだが。だって仕方ないだろうとオルガは誰にするでもない言い訳をする。
だがそれが他の人に気付かれているというのは予想外だった。
『オルガももっと他人の視線を気にした方がいいわよ』
「俺をチラチラ見る奴なんて居ないだろ」
『あら? 意外とそうでもないけど。まあそう言う話じゃなくてね』
と、マリアが少し口調を改めた。
『良い事一番弟子? 視線と言うのは相手が与えてくれる一番最初の情報よ』
どうやら真面目な話らしいと分かりオルガも佇まいを僅かに正す。
『相手がどこを狙って来るのか。何を考えているのか。目を閉じたまま戦える人はいない。だから人と戦う時はまず目を見なさいな』
その視線がどこを捉えているのか。どう動いているのか。
視線の流れ。それを把握できればそれは相手の考えを手繰り寄せる導線となる。
「……相手が顔を隠してたら?」
例えばフルフェイスの兜を被っているなどしてこちらから相手の目が見えないことは有り得る。
『そもそもそんな事している時点で死角が多いのよ。遠慮なくその死角を突きましょう』
なるほど、とオルガは納得する。
だがカスタールの聖刃化。あの刃鎧とやらはとてもそんな物がある様には見えなかった。
動きに一切のよどみがなく、あの鎧自体に感覚が通っているかの様。
「その死角が無ければ?」
『何も考えずにぶった切る』
やはりこいつは蛮族では? とその乱雑な解決方法を聞いてオルガは思った。
『まあ私くらいになると、相手の目が見えなくても視線を感じ取れるんだけどね!』
「凄いな。どうやってるんだそれ」
『え? 何となく出来ないかしら』
出来ねえよ、と溜息を一つ。
マリアは色々と教えてくれるのだが何で自分でもそれが出来ているのか分からないというのが多すぎる。
不意打ちへの対処を聞いたら後ろに目を付けろと言われた。出来るかバカ。
『特に相手の狙いを知るというのは大事よ。要はそこを守ればいいんだし、或いはそれに合わせる事も出来る』
それはオルガも同意だ。特にオルガは同じ動きを再現するという才がある。
相手の動きが分かればそれに合わせて自分の最適解をぶつけるだけ。そんな事が可能になるのだ。
『霊力操作の時の感じからしてもオルガはそう言う微妙な感覚の違いに対して鋭いから、意識すればすぐに出来る様になるわよ』
練習してみましょうか? とマリアはそう提案してくる。
「練習?」
『そうちょっとした遊びみたいな物よ。私の視線を見て、どこを狙っているのか答えるの』
なるほど、それは確かに遊びだ。
『ただし周囲の警戒も続けながらよ? 目の前の相手に集中しすぎて周囲がおろそかになったら意味がないからね』
「分かった。やってみる」
少しばかり延長した見張り時間の暇つぶしとしては悪くないと思ったオルガはさっそく始める。
相手の視線を感じ取る。相手の目の動きを。
マリアの瞳をジッと覗き込む。燃え盛る炎のような瞳。
そうして見つめているとコイツ、黙ってると美人なんだよなあ……とオルガはしみじみ思う。
普段は騒がしいので今一意識しないがこうして向こうもジッと見ていると嫌でも意識してしまう。
そして――ついっとオルガは視線を逸らした。
『ちょっと。真面目にやりなさいよ』
「ごめん、ちょっと待って」
何だか恥ずかしくなってきた。
リトライ。
『……まずオルガは女の子と視線を合わせても照れない様にするところからかしら』
「そこまで初心じゃない」
別にエレナやイオと話していても問題はない。ただ無言で見つめ合うという状況がダメなだけなのだ。
『分かった分かったそれじゃあ私が動いていれば問題ないでしょ?』
そう言ってどこからともなくマリアは剣を手にする。無論、幻だ。マリア自身と同じくオルガにしか見えない剣だ。
『さ、始めましょう。これならオルガも集中できるでしょ』
そう言ってマリアは剣を構えた。
その瞬間、先程までとは空気が変わる。そう言えば――とオルガは思った。
マリアに身体を動かされて剣を振るった事は数あれど。マリア自身が剣を振るうのを見るのは初めてかもしれない。
なんてことを考えていたらオルガの首筋を刃が通り抜けていった。
『集中なさい』
今オルガはマリアから視線を外してなどいなかった。その全体像を捉えて、相手の動きを待っていた。
だけど気が付いたら剣は振るわれていた。その刃はオルガの首を断ち切って。
もしもマリアがここに実体を伴っていて。もしもオルガを殺そうとしているのならば一瞬で殺せるのだ。
『さ、続けるわよ。オルガは何回死んじゃうのかしら?』
ちょっと楽し気にマリアが笑う。オルガも楽しくなってきた。
「全部避けられて泣くなよ師匠?」
『調子に乗らないでね一番弟子。私に勝つなんて十年早いわ』
そうして――突発的なマリアとオルガの模擬戦が始まった。
オルガ、わざわざ死亡フラグを立てる。