28 野生に還る
『もしもここが完全な迷宮だったら本当に大変よ。何しろ……木が襲って来るから』
思わずオルガは冗談だろ? と言う視線をマリアに向ける。
そうするとマリアも肩を竦めて見せた。
『いや、これ冗談でも何でもなく本当に。その辺の木の枝が伸びて襲い掛かってくるのよ』
今オルガが鞘に収めたままの剣で打ち払った木の枝が。
自分に襲ってくると想像してみたがどうにもうまくいかない。
植物が動くという状況が上手に想像できないのだ。
『時折根っこが足みたいに動いて追いかけてくるわ』
最早そこまで行くとシュールなギャグだ。
だがマリアの表情は至って真面目なので嘘は言っていないのだろう。
『ああ。この森は大丈夫よ? まだそこまで行くのに時間はあるわ。少なくともこの試験中は気にしなくていいわね』
それを聞いてほっとした。
森の中を歩くのはそれだけでも大変なのだ。そんな森の方から襲ってくる様な状況は想像したくない。
『後は迷宮化するとどんどん地面に潜っていくのよね。何なのかしらアレ』
迷宮って良く分かんねえなあと思いながらオルガは歩を進める。そこでとあるものに気付いて背後に掌を差し出す。
あらかじめ決めておいた通り、後ろの二人は口を噤んでそっと腰を落とした。
オルガの視線の先には鹿の姿がある。それが魔獣なのか否か。外観からでは判別が難しい。
目に見えて大型化していれば魔獣と判断できるのだが、ただ大柄なだけかもしれない。
だがどちらでも関係ない。
貴重な食料となり得るのだから。
――だが、とオルガの中で一つの考えが浮かんだ。
この鹿を観察していればその内水場に向かうのではないかと言う考えだ。
無論、オルガ達の存在に気付けば鹿は逃げるだろう。向こうが気付いていない今が仕留めるチャンスだ。
長時間気付かれない様に追い回すような技術は自分達には無い。
ならば、やはりここは仕留める事を優先すべき。
後ろの二人にオルガは自分でやると手の仕草だけで伝えて。
そっと鞘からミスリルの刃を引き抜いた。
構えて狙いを定める。
近づけば逃げられる。ならばこの場で選ぶべきは弐式。
目には映らぬ不可視の刃。それをここから伸ばして一撃で仕留める。
オーガス流剣術弐式。朧・陽炎斬り。
振るわれた剣筋の鋭さは鉄剣で振るっていた時以上。今のこの軽さがオルガの腕に良く馴染む。
馴染むのは重量だけではない。その刃に流し込んだ霊力の通り方。
全然違うと感動さえ覚える。
まるで詰まっていた管のゴミが消えたかのような感覚。刃の先端までスッと霊力が流れ込んでそこから霊力の刃が生み出された。
瞬時に伸びて、うねる刃が鹿の首筋を切り裂いた。
狙い通り一撃だ。何の防御も感じなかったという事は、これはただの大柄な鹿だろう。
有難いとオルガは思う。魔獣は余り美味しくないのだ。
「一撃かよすげえなオルガ」
「早速血抜きしよう」
「……いえ、せっかく仕留めましたけどこれはここに置いていきましょう」
とエレナは言う。折角貴重な食料を手に入れたのに何故。
「まだ私たちは拠点も決めてません。これからしばらく森を歩くのにこんな大荷物は無謀ですよ」
「あー確かに。そうかもな……」
「む……」
今の段階でもオルガ達は保存食と野営道具で重装備だ。
そこに鹿一頭の肉を追加する……確かに無謀だ。
「……ならこいつはここに置いていくか……」
口惜しい。こんな事ならこいつで水場を探すべきだったか。
「まずは水場を見つけて、拠点を設営して……その後で戻ってきた時に残っていたら回収しましょう」
「そうだな……でも血抜きだけはしておこう」
逆さにつるして、血が流れる様にだけしておく。そうすれば後で回収できたときに血の臭みは減らせる。
「狼とかに襲われるなよー?」
『据え膳みたいなものだから無理でしょうね』
とマリアが冷静に突っ込むが知った事か。祈るのは自由だ。
そこからしばらく歩くが水場は見つからない。
「と言うかこっちの方は余り生き物がいないのか?」
そもそも獣の痕跡自体が見つからなくなってきた。
「水場が無いのかもしれませんね。別の方向探してみましょう」
大荷物を抱えたまま慣れない森を歩くのは大分体力を消耗する。
気付けば大分イオは無口になっていた。
「……そうだな。一回ここで休憩して、今度は反対方向に進んでみよう」
そう言うとイオは耐えかねた様に腰を下ろして足を伸ばす。
「少しストレッチすると楽になりますよ、イオさん」
「ええ? 本当かよ」
「まあまあ。騙されたと思って」
「エレナがそう言うならやってみるけど……」
『ねね、オルガ。ストレッチしている女の子って何かこう……来る物あるわよね?』
何となくわかるが、それを認めるのが癪でオルガはそっぽを向いた。
後ろでイオの呻き声が聞こえてくるので何とも落ち着かない。
少し周囲を見てみようかと思ったところでオルガはふと違和感を覚えた。
何か。今動いたような気がする。
だが周囲には何の姿も無い。ならば風が揺らした葉の揺らぎか。
そう考えたオルガの視線が地面に向いて――不自然な影を見つけた。何もない場所に浮かんだ影。
それはまるで人の姿を取っている様で。
「朧・陽炎斬り!」
咄嗟にそこ目掛けて刃を放つ。伸びた刃が何かを切り裂いて小さく血が噴き出た。
「オルガ!?」
「二人とも立て! 何か居る!」
そう注意を促しながらオルガは影の方向を睨みつつ、後ろへ下がる。
その陰の辺りが揺らめいて、学院の戦闘着を着た男四人が飛び出してきた。
「くそ、バレちまったら仕方ねえ! 四対三だ。食料を奪え!」
向こうの荷物はとても少ない。これが既に拠点を構築後ならば分かるがどうもそうでは無さそうだ。
単純に、用意できなかった組だろう。
つまりこいつらの目的は――。
「略奪とか山賊かよお前ら!」
「うるせえ! 初日リタイアに何て成ったら俺達は退学なんだよ! 大人しくすれば怪我はさせねえ!」
不足した物資を他の小隊から奪う。そうすることで生き延びようとしている小隊だった。
話の途中だがワイバ……山賊だ!