14 世の為人の為
そろそろ寝ようかと思い始めたところでオルガはふと物音に気が付いた。
「水の音?」
何だろうと思ってマリアを見て見る。
何か分かるだろうかと言う意味だったのだが、彼女は別の意味に取ったらしい。
『ちょっとやめてよ。水場に幽霊が出るなんてのは俗説よ』
「何の俗説だ。何の」
幽霊の出現する場所の傾向について真面目に議論している奴が居るとは思えなかったオルガはそう突っ込む。
『私知らべの新説によれば剣の近くによく出るらしいわ。回答者私だけだけど』
「そうかい」
おざなりに突っ込んでオルガはその水音の方向へ足を進める。
『行くの? 幽霊かもよ』
「今更幽霊でビビるかよ。……いざとなったら何とかしてくれ」
『いやあ。私美少女幽霊だから……本物の悪霊には対抗できないかなって』
頼りにならない師匠だが、そうそう幽霊なんている筈も無い。
目の前に一人いるので断言できないのが辛い所だが。
聖騎士養成学院は広い。
その敷地内に森やら何やら演習で使う様な場所も抱え込んでいる。
だから当たり前の様に川も流れているし、水場も多い。
だが流石に寮の近くにまでそんな物はない。
あるとしたらそれは人為的な物。井戸とか、噴水だ。
そう思って、一番大きな噴水のある辺りまで来ると何やら宙に浮いている物がある。
『ひっ、お化け!』
「それは突っ込み待ちか?」
今この学院の中で一番それに怯えちゃいけない奴だとオルガは思った。
「……水、か?」
人の頭ほどもある水の塊。それがいくつも宙を漂っている様だった。
何故そんな事になっているのかまではオルガにも分からない。
が――まあこの学院で不思議な現象が起きている時は大体聖剣だろうと思っている。
そして今回もその推測は当たっていたらしい。
水球の中心に、一振りの剣を眼前に掲げている少女の姿があった。
「あれは、ウェンディか? こんな時間に何を――」
「こんばんは。オルガ様」
唐突に背後から声をかけられて。
オルガは喉から悲鳴が飛び出しそうになった。
『ひえっ!』
マリアに至ってはオルガにしか聞こえていないが悲鳴をあげている。
「アンタは――」
「数時間ぶりでございます」
そう言いながら慇懃に頭を下げるのは灰色の髪をしたメイド。
この時間でも変わらず、顔以外肌を露出させないメイド服をきっちりと着こんでいる。
「驚かせないでくれ」
全くその接近に気付けなかった。
そう、マリアでさえ。ちらりと視線を横に飛ばせば当人も愕然としている。
そのオルガの一瞬の目線の動きをメイドが追う。
「何かありましたか?」
「いや、その……虫が」
『誰が虫か』
そうですか、と頷いて。
奇妙な沈黙が二人の間に横たわる。
別段、向こうも何か用事があって声をかけて来た訳では無いらしい。
そしてオルガにもこのメイドに何か話がある訳でもない。
そうなるとこうしてお見合いするしかすることが無い。
「……そう言えば。貴方の名前を聞いてない」
ウェンディは堂々と名乗ってくれたが。このメイドの少女は未だに本名不明だ。
「私はお嬢様の使用人。この装束に袖を通している間は名乗る必要はございません。おい、とかそこの、とでも呼んで頂ければ」
「いや、そうは言ってもな。俺は貴方の主人でも何でもないんだからそんな風には呼べないですって」
見た目同年代か少し年上に見える相手にそんな声のかけ方をするのはオルガにとってハードルが高い。
と言うより誰に対してでもそんな横柄な呼び方は出来ない。
かと言って名前を知らずに呼び続けるのも中々奇妙な感じがする。
「ご要望でしたらお答えします。ヒルダ、と申します。お見知りおきを」
「よろしくヒルダさん。ところで……ウェンディの奴は何してるんだ?」
「トレーニングですね。聖剣の力を引き出すための」
「トレーニングって……こんな時間に?」
流石のオルガもそろそろ寝ようかと思っていたような時間帯だ。
そんな時間から自主練に精を出すというのはちょっと夜型過ぎではないだろうか。
「仕方ありません。昼間のお嬢様は人助けに奔走されていますから」
『あら。どっかで聞いた様な話ね』
マリアの揶揄う様な言葉にオルガは心の中で反論した。
いや、自分は奔走するという程でもないと。少なくとも助ける相手は選んでいる。
そんな年中人助けばかりをしているわけではないのだ。
だがヒルダの言い方からすると、ウェンディはその年中人助けをしている側の様だった。
――その行動原理に、オルガは意味も無く腹立たしく思った。そう思った事が意外だった。
そんな相手をこそ望んでいた筈なのに。
「お嬢様は、人を助けるのが自分の使命だと認識しております」
「それはまた……」
流石にオルガも使命とまでは思っていない。
ただ気の赴くままに行動しているだけだ。
「なので些細な頼まれごとも断りませんし、誰かから相談を持ち掛けられたら解決するまで一緒に悩みます」
「……良い奴、何だな」
「ただ。それを利用するという不届き者もおります。敢えて偽の情報を掴ませたり、だとか」
溜息混じりにヒルダがそう言う。
何となく昼間の会話で感じていたが、やはりこのメイドはウェンディが騙されている事に気付いていたらしい。
「それに気づいたなら教えてやれば良いんじゃないか?」
「いいえ。お嬢様が自分で気付く様になるまでは私から教えることは有りません。騙されることもまた経験です」
『わー。何かこのメイドちゃん。私と話合いそう』
身をもって教えるという点では確かにマリアの方針と似通ったものがある。
あくまで、失敗してもやり直せる範疇での話だろうが。
「今回の件も、オルガ様にはご足労おかけいたします」
「いや……悪いのはヒルダさんでもウェンディの奴でも無くて嘘吹き込んだ奴だし……」
ベネチアとやらが全て悪い。
「一週間後の決闘。どうか全力で。出ないと、お嬢様は本当に貴方の隊からエレナ様を脱退させるでしょう」
「言われなくてもそのつもりだ。負けるつもりで勝負に挑む事は無い」
そう答えると、ヒルダは薄く微笑みを唇に乗せた。
「ええ、その通りですね。負けるつもりで挑むなんて言うのはただの自殺志願者です」
そしてそれは当然ウェンディにも当てはまる。数十もの水球を制御している彼女の姿。
ヒルダ曰く、たった一人でオルガの小隊を相手取るつもりの少女。
水球越しの実力は果たして如何程か。
冷静に戦力を分析する一方で、オルガは目の前の少女を敵として捉える事が出来なくなっていた。
マリアはブーメランが得意。
但しキャッチは出来ない。