08 ワニ退治4
「嘘だろ!?」
眼前へ迫るワニ型魔獣の牙を前に、オルガはそう叫びたかった。
だがその声が喉から発せられるよりも早く、オルガが動かなければ次の瞬間の結末は決まっている。
あの恐ろしい牙の並んだ口が閉ざされる。
そうなればオルガの下半身はまず間違いなくワニ型魔獣の胃袋に収まるだろう。
残念ながら上半身は残される。
そうして、二つに分かたれて生きていられる程オルガは生命力が強くない。
一瞬で幾つもの可能性を考える。
真正面から切り伏せる? いや、無理だ。そんな威力のある斬撃を今のオルガには放てない。
避ける? 出来る筈がない。空中でどうやって方向転換しろと。
マリアに頼む? なるほど。彼女ならば打開策の一つや二つ持っていそうだ。だが却下。そもそも時間も無い。
一発で打開する様なアイデアは浮かんでこない。
だが――結末を先延ばしにする方法は思いついた。
空中で姿勢を変えながら、刀身を構える。
繰り出すは振動波ではなく、幻の刃。
オーガス流剣術弐式。朧・陽炎斬り。
霊力によって伸ばされた仮初の刃が一閃振るわれた。
それはワニ型魔獣の口元に僅かな傷を付けて――しかしそれだけだ。
絶命には程遠い。
そうしてオルガは。
ワニ型魔獣の口の中へと飛び込んだ。
「オルガさん!」
その光景を背面から見ていてエレナは悲鳴の様な声を挙げた。
ワニ型の牙の鋭さも。
噛まれた時の力強さも。
エレナは身をもって知っている。
それが<オンダルシア>と言う例外が無ければ人に耐えうるような物では無いという事も。
四肢だけならば命だけは取り留められるかもしれない。
だが最後に見た落下姿勢では、丸かじりされてもおかしくはない。
その状態では生存は絶望的。
目の前で自分を助けてくれた相手が死に至るのを、ただ見ている事しかできなかった。
その事実がエレナを打ちのめす。
やはり、自分なんかが誰かと守り戦おうなどと言うのはおこがましかったのか。
隣に立つ戦友を護る事すら、自分の手には余るのか。
そんな後悔が頭を過った。
土煙を挙げながら、ワニ型が再び四肢を地面に下ろす。一瞬の直立は終わり、四足歩行に戻ったのだ。
「……?」
だが妙である。
ワニ型の上顎が開かれたままだ。何故閉じないのか。
答えは簡単である。
咥えた獲物を、噛み砕く事が出来ていないから。
「く、そっ……ミスった」
オルガが斬ったのは、ワニ型魔獣の顎を支える筋肉。
驚異的な咬合力を生み出すそこを失ったワニ型の顎はオルガを噛み砕くには役者不足だった。
ただ、ここでオルガにとっても想定外と言うか思慮の外にあったことがある。
ワニの上顎はそれだけで結構重い。
それを支えようと出した腕にワニ型の牙が食い込んでいき、血の雫が零れる。
咄嗟に利き手でそれをしてしまったものだから、剣が振れない。
オマケにさっき斬った顎の筋肉が既に再生を始めているので徐々に上顎が閉ざされていく。
本当に時間稼ぎにしかならなかった。遠からずオルガの末路は、先程想像した結末通りになるだろう。
誰も居なければ、だが。
「昼寝の時間は終わりだ<ウェルトルブ>!」
オルガの後ろで、<ウェルトルブ>を叩き込む隙を伺っていたイオが、オルガの危機に前へ飛び込んできた。
イオにもオルガの様子はよく見えていた。
背面で、ワニ型魔獣自体が陰になって良く見えていなかったエレナよりも。
だから何やらオルガが空中にいる間に何かしていたのも見えていたし。
着地した時にまだオルガの身体が原型を留めていたのも見えていた。
だから走った。
生きているのならば助ける事だって出来る。
「二時間も溜めれば結構なもんだぜ!」
二時間分のチャージ。
そこから生まれた力で振るわれた刃は上向き。
オルガを噛み砕かんとする上顎を、内側から切り裂いていく。
だが完全な両断には至らない。後もう二時間――いや、一時間あれば行けたかもしれない。
それでも戻りつつあったワニ型の噛み砕く力を更に失わせるには十分。
力が緩んだ。そう感じたオルガは、牙の返しで腕がズタズタになるのも構わず、強引に引き抜く。
右手を添えて、上顎が落下するよりも早くオルガもイオに続いて切り上げた。
傷付いた腕に力は入らずとも霊力は流せる。
鏡面・波紋斬り。
イオによって傷つけられた上顎が、オルガの追撃によって完全に切断された。
自由の身となったオルガはそのまま後ろへ飛び退く。イオもそれに続いた。
「オルガ腕!」
「平気だ、とりあえずは」
くっついているし。動かそうとすれば泣きわめきたくなるくらいに痛い。
つまりは、取り返しのつかない怪我ではない。
大して、上顎を半ばから失ったワニ型魔獣にとってそれは取り返しのつかない怪我か?
否。これとて時間をかければ再生する。
だからその時間を得るためにワニ型は逃亡を選んだ。
選ぼうとした。
その足が腐り落ちる。
振るわれた<オンダルシア>の刃がワニ型の移動手段を奪った。
「そこまで、です」
川の浅瀬でエレナが立ちはだかる。
それを退かすべく、ワニ型魔獣が残った足で飛んだ。
顎を失ったワニ型にとって最後の武器――己の自重で敵を押しつぶそうというのだ。
だがそんな悪あがきは、エレナにとって脅威ではない。
滑るような動きで最後のボディプレスを回避する。
派手に挙がる水しぶきを切り裂きながら、無防備な首筋へと刃が突き立てられた。
「ふっ」
気合一閃。
振るわれた刃に沿ってワニ型魔獣の首が腐り落ちていく。
幾ら魔獣とは言えども、首の半分が腐り落ちたら生きてはいけない。
エレナの振るった刃によって、ワニ型魔獣はその命を絶たれた。
逃走を阻止して、きっちりと止めをさせた事にエレナは安堵の息を吐いて。
そうして追いかけて来たオルガとイオに笑顔を向けた。
「倒しましたよ、お二人とも! 私達三人の勝利です!」
そんな笑顔のエレナに。
先ほどのボディプレスで巻き上げられた大量の水が降り注いだ。
粘液塗れのオルガはお預けです。丸呑みプレイ愛好の皆様申し訳御座いません。