35 好きな事
起こすって話はどうなった。
思わずマリアを睨むと手を合わせて謝ってくる。
『メンゴメンゴー』
誠意は感じられなかったが。
最近のマリアはオルガが他人と話している時はその相手の後ろに回ってくれるので、視線を飛ばしやすくていい。
少なくとも唐突に明後日の方角を見始める変人にならなくて済んだ。
『でもまだ何か起きてないでしょ?』
起きてからでは遅いとは思わないのだろうか。
「……オルガだ」
「はい?」
「俺の名前。結構何度か会ってたのに自己紹介もしてなかったなと思って」
「ああ。確かに」
おっとりと、手を合わせた。
「では改めまして。エレナ――えっと、エレナです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた拍子に伸ばされた紫紺の色をした前髪が揺れる。
この学院では身分の差を区別しないという理念の元、家名を名乗る事が禁じられている。
オルガはスラム出身の最下層の平民なので家名なんて無いが、偶にチラホラと貴族階級っぽい候補生は見かける。
例えばカスタールなんかはアレはアレで人を従える事に慣れ切っていたし、きっとどこかの貴族だろうと当たりを付けている。
多分イオもそうだろうとオルガも考えていた。
当人の性格は兎も角、娘の嫁入り先を探して見つけてくるのは普通の平民では中々やる事ではない。
そしてエレナ。
彼女も恐らくは。
ただ、支配階級側である事を考えると彼女の腰は妙に低いのが気になった。
別にそれでオルガが不利益を被る事は無いので構わないのだが……。
「それでオルガさんはこちらで何を?」
「あー昼寝」
「お昼寝」
一瞬エレナはきょとんとした顔をして。
「良いですね。お昼寝」
と表情を輝かせた。何がそんなに彼女の琴線に触れたのかは分からないが、気に入った解答だったらしい。
「ここはとても日当たりが良いんです」
「そうなのか?」
確かにオルガも気持ちよく寝られそうだと思っていたが。
「はい。ですからそちらに花壇を用意させてもらって。そこの花は私が育てているんです」
なるほど、とオルガはこんな校内の外れで出会った理由を理解した。
生徒が個人で園芸する為の場所。
園芸というのは中々エレナの雰囲気に似合っている様に思えた。
だからこそ――解せない。
彼女の持つ印象と、小隊で中型魔獣を討伐したという勇名が一致しない。
「そう言えば、見たよ。中型魔獣討伐おめでとう」
「……ありがとうございます」
その事を話題に出すと、エレナの表情が曇った。
話題のチョイスをミスったかと思いながらも、オルガはもう少し話を続ける事にした。
「俺達なんて小型魔獣の群れ討伐にも失敗する有様でさ。どうしたらそんな大物を狩れるかなって少し気になって……」
「……みんなで、一生懸命頑張っただけです」
これ以上はダメだなとオルガは判断した。
どう見ても、エレナは本来誇るべき中型魔獣討伐について良い印象を抱いていない。
本人は取り繕っているつもりだろうが、その様子は寧ろ忌むべき事について語っている様に思えた。
よく考えたら彼女の聖剣は補助向き。戦闘には参加していないのかもしれない。
「そう言えば、この花壇の花って種とかはどうしてるんだ?」
話題を変える事にした。元々少し気になっていた事ではあるのだ。
ここの花は地域差がある。オルガは全然詳しくも無いのだが、幾つかはこの辺りでは見かけない花のハズだ。
「あ、はい。お休みの日に市場に行って種や苗を買っているんです」
「休日……」
オルガには縁遠い言葉であった。
大概、一日気にせず動けるという事でマリアと特訓をしていたので休んだ記憶と言う物はない。
『そう言えば私休みなく働いてるわね。休日を希望するわ』
どうせ休みにしてもぷかぷか浮いているしかやれることが無いのではないだろうか。
そもそも疲労と言う意味ではマリアは疲れるのだろうか?
まあマリアの労働環境はどうでも良いとオルガは無情にも心の中で切り捨てた。
「花、育てるの好きなのか?」
と、言ってから愚問だったなとオルガは己の質問をそう評価した。嫌いな人間がここまで見事な花壇を作り上げられるはずがない。
「いえ……」
しかし予想に反して返ってきたのは否定の言葉。声音も重く沈んでいる。
「好き、何かじゃないです。好き何かじゃ……」
何やらエレナの触れてはいけない場所に触れてしまったらしい。
或いは言葉選びを間違えたか。
「あーでも珍しい花に興味はある? 市場に買いに行くくらいだし」
「それは、はい」
「この前クエストで森に行ったときイオが――あのオレンジ色の髪の奴が珍しい花があるって言ってたのがあってさ」
「森の珍しい花……コユキソウでしょうか」
名前はイオから聞いてなかったなと思いながらもその時の花をなるべく思い出そうとする。
「名前は知らないけど、白い小さな花びらだった」
「ああ。でしたらきっとコユキソウですね。珍しいですよ。とても」
嬉しそうな顔をしているエレナを見て、オルガはふと思い出した。
「そう言えば、礼をするって言ってそのままになってたな」
「お礼、ですか」
「ほら。何時かカスタールから受けた傷を治療してもらった」
「ああ。あの時の。お気になさらず。私、保健委員ですから」
きっとあれはエレナにとっては日常業務的な物なのだろう。
聖剣<オンダルシア>という強力な癒しの力。
多少の怪我なら瞬時に治療してしまうのは聖剣の中でも埒外の力だ。
気にしないでとは言うが、オルガは気にする。
受けた物は返さないと何れ不平等が生じる。
「いや。俺が気にするんだ。そのコユキソウだっけ。今度森に行ったとき採ってくる」
「そんな……悪いです。でもありがとうございます」
花壇の手入れをすると言うエレナの側で剣を振り回すわけにも行かず。
霊力も尽きかけたオルガは今日は一度寮に戻る事にした。
『で。何々。エレナちゃんをナンパでもするの? 花なんか送ろうとしちゃってひゅーひゅー』
「しねえよ」
『え、しないの? 何で。可愛いよあのこ。前髪で隠してるけど絶対美人だし! おっぱいおっきいし!』
「黙れ。おっさん。純粋にお礼だよ。お礼」
偶々、花が好き――もとい、興味がありそうあったから花にしただけだ。
場所は大体覚えている。
あそこならばまだロックボアの群れも居ないだろうし採取自体は簡単だろう。
『この、またおっさんって言ったな……!』
「でも、何で好きじゃないって否定したんだろうな」
『え? えーっと。そうね。好きって肯定できない理由があったんじゃないかしら。好きだって言うと取り上げられちゃうとか……』
「酷い嫌がらせだな……所でお前って酸っぱい料理苦手だったよな?」
『ええ。そうね』
「じゃあ今日の夕飯は酸っぱい料理にしよう」
『何の嫌がらせよ!』
人をナンパ者呼ばわりしたことへの嫌がらせである。
フラグ建築士オルガ。