32 治療
「保健委員行っちまったか」
「忙しいみたいだな」
「じゃあオルガで良いや。ちょっと手伝ってくれよ」
良いや、という言い方が気になるが無論手伝う事に否は無い。
何でも言ってくれと胸を叩いた。
「この貼り薬一人で肩に貼るのは難しいからさ。頼むよ」
「ああ。良いぞ」
確かに片手で肩に貼るのは中々難しい。
手元が狂って貼り薬を無駄にしてしまっては勿体ない。
「よっと」
だからと言って躊躇いなく戦闘着の上着を脱いでインナー姿を晒すイオはどうかと思うが。
咄嗟に視線を逸らす。
「ん? どうしたんだオルガ。早く貼ってくれ」
「……まあ良いけどさあ」
あくまで治療行為だ。
実際、クエストの最中などに応急処置を求められた時に一々恥ずかしがっては話にならない。
それはお互いにとって命取りとなるだろう。
自分にそう言い聞かせてオルガはイオの肩に貼り薬を張り付けて包帯を巻きつける。
自分よりも大分細い腕についた青あざが痛々しかった。
他にもよく見れば擦り傷などがあちこちにある。森で転倒したのだから当然だろうが。
「おお……がっちり巻いたな」
「こういうのは動かさない方が治りが早いんだよ」
「風呂入った後どうしよう……オルガ、またやってくれるか?」
思わず、風呂上がりのイオの姿を想像してしまいオルガは赤面しそうになる。
「……同部屋の奴にやってもらえ」
「あ。なるほどな」
イオの納得した様子からすると、イオは同室の相手とは良好な関係を築けているらしい。
完全没交渉なオルガとは大違いである。
「ってオルガ。お前も怪我してるじゃんか」
「え。どこ?」
「ほっぺ」
イオが自分の頬を指差す。
自分の頬のその辺りを触れると、鋭い痛みが走った。指先には微かに血が着いていた。
「ああ。気付いてなかった」
とは言え、既に出血も止まっている。放っておけば治るだろうと思っていたら。
「ったくしょうがねえな。消毒してやるからそこでジッとしてろよ」
そう言ってイオは手早く上着を着て、消毒用具を取りに行く。
止める間もなかった。
『ちゃんと消毒はしておいた方が良いわよ』
「唾でも付け付けておけば治るだろ?」
『ばっちい』
スラムではそれ以上の治療何て早々望めなかったのだから許して欲しい。
金が無いと真面に治療も出来ないのはきっとどこも同じはず。
そう言う意味では、無料で治療を受けられる学院は大分奮発している。
「ほら、立ってないで」
立ったままだとイオはオルガの傷まで手が届かない。
床を指差してしゃがめと示す。
「自分でやるって」
「傷の場所見えてねえだろ。しゃーがーめー」
退く気配の無いイオの要求にオルガは仕方なしにしゃがみ込む。
その様子に満足げに頷いてイオは消毒液をガーゼに染み込ませた。
傷口に触れると沁みる。
「っ」
「おっとわりーわりー」
あんまり悪く思って無さそうなイオの謝罪。
絆創膏を張り付けて治療は完了した。
「よし、終わり」
「……ありがとう」
誰かに治療を受けた何て何時ぶりだろうかとオルガはふと思った。
何だか随分と懐かしい気がする。
いや、気ではなく実際懐かしいのだろう。
きっと最後にそんな気遣いを受けたのは三年以上前だろうから。
「アンタ達、治療が終わったなら早く出ていっておくれ。見ての通り、大混雑なんだよ」
忙しさで大分苛立っている様子の医師の言葉に、既に終えた二人は逆らわずに大人しく退室する。
「取り合えず明日は……座学消化しておくか」
イオの肩は多分二日三日もすれば治るだろうが、明日はジッとしておいた方が良い。
そう思っての提案に、イオも頷いた。
「だな。オレも他に良さげなクエスト無いか調べておくよ。後は……増員か」
確かにそれも一つの手だとオルガは思った。
まだ小隊の枠は二人空きがある。そこに別の人間を入れればまた違った戦術が生まれるかもしれない。
「ま、明日また考えようぜ。じゃあなオルガ! また明日!」
「ああ。お疲れ」
また明日。ただそう返せば良かったのに。オルガはその一言が言えなかった。
また明日。そう言って会えなくなった人を知っているから。
『……でオルガさん』
「何だよマリア」
何やら邪な笑みを浮かべているマリアに否な予感を覚えつつも、無視するわけにも行かずに応じる。
『ちょっとドキドキした?』
「……何が?」
『イオちゃんの薄着姿』
「してねえ」
『本当に?』
「本当に」
『これっぽっちも?』
「これっぽっちも!」
『耳真っ赤だけど?』
まさかと思い、咄嗟に触れてしまった。そこでオルガは己の失態を悟った。
マリアの笑みが深まる。カマをかけられたのだと気付くのに時間は必要なかった。
『まだまだ発展途上だけどイオちゃんも女の子だからねえ。オルガがドキドキしても仕方ないよねえ?』
実際少し動じてしまったのだから反論しづらい。
いや、動じたのは薄着云々ではなく躊躇いの無い脱ぎっぷりに対して、と誰に対する物か分からない言い訳を始めそうになる。
年齢確認した事は無いが、ほぼ間違いなくイオは入学下限の年齢だ。
当時の自分の年齢を考えると……まあ男女の別など大して付けていなかったのだからイオも似た様な物だろうというのは分かる。
ただその辺認めるのは癪なので苦し紛れの反撃を行った。
「クソ。お前何かオッサン臭いぞ」
『おっさ……この美少女に向かってなんて事を言うか!』
「でもさ……年齢考えると400越えだろ? クソ婆じゃね?」
『こ、この。そこに直りなさい一番弟子! 私の美少女っぷりについてじっくり言い聞かせてやるわ!』
「自称美少女」
はんっと鼻を鳴らすとマリアは更にヒートアップしていた。
マリアには死の記憶がない。
という事を考えると、見た目十代後半の姿をしているが享年で考えても六十近い可能性もあるのだ。
怒りの余り言葉を失い獣の様な唸り声を上げるようになったマリアを見てオルガはふと思う。
もしもマリアが死の記憶を取り戻したら。その時目の前のマリアはどうなるのだろうか。
『ちょっとオルガ! 聞いてるの?』
「悪い。聞いてなかった」
『聞きなさいよ、もう!』
人間からかけ離れた声を出すマリアを見てオルガは考えすぎか、と今しがたの思考を切り上げた。
イオちゃんは思春期……じゃない