23 賭け
「正確にさっき斬ったところを狙えばこの剣でも壱式は成立するか?」
オルガは、マリアにそう問いかけた。
何時ぞや、マリアは言った。
その辺の枝で岩を斬った事も有ると。
即ちそれは、鏡面・波紋斬りにおいて得物の切れ味は極論関係ないという事。
きっかけとなる傷さえ、極めれば不要なのかもしれないという可能性だ。
それにマリアは頷く。
『ええ。出来るわ』
ならば、オルガがやる事はつい先ほど微かに刻んだ疵にもう一度鏡面・波紋斬りを叩き込む事。
そしてもう一つ。
「霊力の振動波……どんな風に止まってた?」
そればかりはオルガにはまだ見えない。
マリアの眼が頼りだった。
『そう、ね。いきなりピタッと止まった感じじゃなかった。端から勢いを奪われたみたいに止まって行ったわ』
「勢い、か」
だったら何とかなるかもしれないとオルガは思う。
『ねえ、オルガ。一応言っておくんだけど……それ、何かこう私の宿り木みたいな物だから……壊さないでね?』
「善処する」
とだけ言ってオルガは賭けに挑んだ。
先ほどの攻防の再現。
相手に同じ動きを誘発させて、自分も同じ動きをする。
そうすれば結果は必然的に同じ物となる。
動き回っている相手の小さな傷を正確に狙い、打ち込むような技術は今のオルガには無い。
だが、己の動きを正確に再現することは出来る。
後は微調整だ。
今この場においてだけはオルガも先ほど付けた微小な傷目掛けて刃を振るう事が出来る。
その再現性という一点においてはマリアも舌を巻いた。
大した才能と言わざるを得ない。
その刃は正確に、先程オルガが刻んだ疵目掛けて振るわれていた。
問題はここからだとマリアは思う。
オーガス流剣術壱式。鏡面・波紋斬り。
十ある型の中では最初に覚えるのがこの技である事にはもちろん理由がある。
非常にシンプルなのだ。
斬撃に合わせて霊力の振動波を刀身からが流し込む。タイミングも打ち込んでからならどこでも良いという曖昧さ。
無論、シンプルな技であるからこそ使い手の腕の差が顕著に出る。
マリアならば枝でも岩を斬れると言ったように、究極的には刃すら不要なのだこの技は。
疵を穿ち、そこへ霊力の振動波を流し込むというのはそう言うとっかかりが無いと霊力が散逸してしまうため。
細く収束させるだけの技量があれば、疵など不要だ。
オルガにはそこまでの技量はない。
だからこそ、正確に疵を狙う必要があった。
さて、そうなると次の関門は霊力を流し込むタイミングだ。
先ほどまでは極論、打ち込んだ手応えに合わせればよかった。
だがこのボロ剣で同じことをやれば剣の方が砕ける。
かといってタイミングが早ければ相手の疵に流し込むことも出来ず、ただ鎧の表面を流れていくだけだろう。
疵に刃が飛び込んだ瞬間。
その瞬間に寸分狂いなく霊力を流し込めば。
そうできれば鏡面・波紋斬りは成立する。
そしてこれに関してはオルガは何にも心配していなかった。
つまりは、先程と同じタイミングで霊力を流せばいいのだと分かっていたから。
一度出来た動きは完全に再現できるというのはオルガは大したことでは無いと思っている。
何しろ見た動きを再現できるわけではない。
自分でやった事を自分で出来るのは当たり前だろうという意識がある。
だが例えまぐれでも何でも。
一度でも正解の動きが出来たならばそれを再現できるというのは間違いのない才能だ。
だから。
ここまでは問題ない。
オルガの才と実力ならば問題はない。
だから難関はこの後。
正体不明の相手の守りを突破しないといけない。
霊力の振動波が止められた謎の防御。
それがある限りオルガの鏡面・波紋斬りは成り立たない。
『私なら』
斬れると。
振動波が止まるまでには僅かな時間があった。
マリアの腕前ならば振動波が静止するよりも先に相手の反対側まで駆け抜けさせることが出来る。
同じことはオルガにはまだ出来ない。今はまだ。
だからオルガは考えた。
止まってしまうのが問題ならば――新しい振動波を送り込めば良いと。
霊力の振動波が流し込まれる。
カスタールの聖剣<ノルベルト>の特殊能力が霊力を静止させてその破壊力を損なわせていく。
だがその振動波は止められる前にほんの僅かに疵を穿った。
その僅かに生まれた隙間に、オルガは新たな振動波を流し込む。
また少し、疵が刻まれた。
そこへ刃が進む。霊力が溢れても流し込まれる。
その繰り返しの先にはきっと、斬ったという結果がある。
マリアからすれば見苦しいまでの力押しだ。
他にも幾らでもやりようはあったのに、オルガは一番面倒な路を選んだとさえ思う。
こんな事を繰り返していたら何時か間違いなく破滅する。
でも。
『頑張れ……』
そんなバカな一番弟子をマリアは応援していた。
頑固で、師匠のいう事を聞いてくれないし。偶に敬意が足りないのではないかと思う事もあるが。
この時代でただ一人。自分を見てくれている人を応援していた。
教える側としては未熟者で落第な自分を師と呼んでくれる彼の勝利を祈っていた。
『頑張れ……!』
オルガは余力何て考えていない。
同じことは二度も出来ない。
カスタールだって一度落ち着いてしまえば、もうこんな素直な動きはしてくれない。
だからこれがラストチャンス。
(断ち切れ……)
体の中から何かが流れ出ていく感覚。
霊力が減っていくのが体感で分かる。
長くは持たない。
極限の集中。一瞬が何十秒にも感じる中でオルガはそう思った。
引き延ばされた時間の中で、遅々とした進みで刃が食い込んでいく。
負けたくない。
逃げたくない。
オルガの中にあるのはその二つだ。
退く事はオルガには許されていない。
退いてしまえば前に進めなくなる。
その強迫観念がある。
だから今も、刃を前に進めようとする。
(断ち切れ……!)
ここはまだ通過点だ。
オルガにとっての目標はもっと遠くて。
もっと高い壁で。
もっと美しい物だった。
そこに至る為にはこんなところで躓いてはいられない。
マリアは戦うための力をくれた。
壁を越えるための力はもうここにある。
後は。オルガが飛び越えるだけだ。
「おおおお!」
引き延ばされた時間が戻ってくる。
体内に残った霊力。
その全てを瞬間的に吐き出す。
無意識下の行動。
人が霊力を放出できる量には限りがある。それは生物が、己の命を守るための本能の様な物。
それでも尚、その限界を越えて放出しようとするのならば霊力を収束するか、その限界を壊すしかない。
最後の最後で、オルガは後者を選んだ。意図したわけではない。ただ一瞬に全てを賭けた。それだけだ。
その結果、体内の霊力が危険な域まで一気に吐き出される。
一気に噴き出た霊力の振動波は、<ノルベルト>が静止するよりも早く疵を穿って行く。
そうして遂に、聖刃化で生まれた刃鎧の装甲さえも断ち切って。
その下にある錫杖剣の加護を突き破り、それでも止まらず。
カスタールの左前腕を切り落としていった。
その光景を見届けて、オルガは自分の意識が暗闇の中に落ちていくのを感じていた。
やったか!?(フラグ立て