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「お前は……スーじゃない」
震える喉が、そう言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、私は、何?」
「人を食う、怪物だ」
幼馴染だった少女は真っ先に食い殺されてしまったのだろう。
己の身の内に生まれた人食いの怪物に。
だからこれは違う。己にそう言い聞かせても、短刀が振るわれる事は無い。
分かっている。分かっているのだ。そんなのはただの言葉遊びに過ぎないのだと。
ならばその手を取るのか。今目の前で母を殺した相手の。大勢の命を奪った相手の。
それとも、叱るのか。そんな罪を犯した彼女を。だけど、どうすれば良いのか。オルガには分からない。
そんな罪を償う方法何てあるのだろうか。
ダメだ、とオルガは思う。
思いつけない。その命を以て贖う。そんな方法しか思いつけない。
そんなオルガに、スーはそっとその首筋に刃を添えた。まるで脅すように。
その動きをオルガは一切目で追えなかった。気付いた時には刃が薄皮一枚を断ち切っていた。
首筋から滲む血。痛みを感じながらもどこか現実感が無い。
「選べないんだ」
その瞳に、悲しみが過る。それも一瞬。
「本当は、ここでオルガも食べてしまえば目撃者も居なくなってお終いなんだけど――」
その言葉にオルガは咄嗟に防衛行動をとった。
そんな彼をあざ笑うかのように、スーはあっさりとオルガを床に伏せさせる。
床に広がった厚みのある血溜まり。その味を口の中に感じた。
それが母親の物であると思うと吐き気が込み上げてくるがそれを必死で堪える。
その最期を汚すわけには行かない。
「でもオルガは特別に殺さないであげる。だって、私たちは友達、だもんね?」
「ふざ、けるな! こんな事をして何が……!」
その暴言に、オルガは上体を起こして反駁する。
友達だと、そう言いたかった。
絶縁の言葉を口にしたかった。
だけど言いかけた時に彼女が見せた悲し気な表情に一瞬気を取られて。
「もし、どっちにするのか決意が出来たのなら」
そう言って彼女は膝をついて、オルガの視線に己の視線を合わせた。
「何時か私に会いに来てね」
その言葉と同時に、唇が重ねられる。
母親の血の味がするファーストキス。
その瞬間にオルガは、漸く初めてスーに恋をしていたのだと理解した。
余りにも遅い気付きだった。
初恋の相手としている行為だと言うのに幸福感など欠片も無くて。
「約束だよ。私に会う日まで、死んだりしないでね」
雷で照らされた彼女の表情は抜け落ちた様に
恐らくは侵入口であろう、破壊された窓から飛び出していった。
その後を追いかけて。
だけど窓の外にはその姿が見えない事を確かめてオルガは床に座り込んだ。
彼女を追う術がない。
「何でだよ、スー」
何故。
何故。
そんな問いが何度も繰り返されて。
分からないことだらけだが確かな事が一つ。
「俺は……!」
約束を守れなかった。守ってやるという言葉も。叱ってやるという言葉も。
何一つ守れなかった。
一人だけ生き残ってしまった。
母親を失って、幼馴染を失ってたった一人。
その惨劇に気付いた隣人が、呆然としているオルガに代わって母を埋葬してくれる程度の良心の持ち主だったのは幸いだった。
数日、碌に飲み食いもせずにオルガはずっと考えていた。
どうするべきなのか。どうすれば良いのか。
考えこめば答えはシンプルだった。
スーはきっと、これからもあんな凶行を続けるのだろう。
だったら止めなくては。他の誰でもない自分が。
あの時、自分が刃を振るえれば出る事の無かった犠牲。それを少しでも減らすために。
約束を果たさないといけない。まだ機会が完全に失われたわけではないのだ。
探して、見つけて、そして――殺す。
彼女が喰らい、彼女の為に犠牲になる人間を一人でも減らさなければいけない。
もう既に手遅れなのは否めない。これ以上はと言っても、今現在の惨劇は止められない。
それでも一人でも少なく。少しでも犠牲を減らす。
その大義名分にすがるしかない。
その為には、やはり聖騎士にならないといけない。
人型の魔獣だというのならばまずそれと戦うための力を手に入れないといけない。
スーよりも、強くならないといけない。
そう決めてからのオルガの行動は、まず聖騎士養成学院に入学するところから始まった。
一つ困った点と言えば、例のグループに勧誘していた男があの晩かその少し前辺りに行方不明になっていた事だ。
そのせいでオルガの新たな稼ぎ口はパーになってしまった。
それでも、グループ内で権力争いが起きるという男の推察はオルガの役に立った。
そうした争いに乗じて、そこそこの人間に顔と恩を売ることが出来た。
四年近くかけて得た信用。そこから金を借りて入学試験の為の資金を用立てる事が出来た。
事業を始めると言ってとんずらしたのだ。向こうは必死になってオルガを探しているだろうが――知るものか。
スーを殺すための力を得る。その為ならばどんな事だってする。
それに一応聖騎士になったら返すつもりはあった。
しかし。しかしである。
そんな風に幼馴染を殺す事を考えているのが辛い。
逃げ出したいと思った。
どうして自分がこんな事をしなければいけないのか。どうしてスーを、殺さないといけないのか。
そんな風に考えてしまうから。オルガはその事をそれ以上考えるのを止めた。
それ以上考えて本当に逃げ出してしまったら。その事が恐ろしくて。
死にかけの心を包帯で硬く補強していく。
今にも崩れてしまいそうな覚悟を、嘘と上辺の言葉で塗り固めてその瞬間までどうにか持たせるために。
己に言い聞かせるように、己を鼓舞するように。誰かへ偽りの想いを口にする。
スーを斬る自分という自己像を強固に作り上げる。そうしなければ一歩だって歩けないのだから。
そんなウソと偽りで、オルガという人間を作り上げた。
そうして。オルガは学院に入学した。スーを殺す。幼馴染を殺す。そんな本当の目的を偽りの自分で覆い隠して。
オルガのメンタルはもうボロボロ。オーバーキル