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「よう、オルガ」
オルガの仕事は基本的に皿洗いと、配膳。
生憎と看板娘などいないこの店だが、食えない事は無い味とそれをカバーする量でそれなりに人気だった。
だから食事時ともなればオルガも忙しい。
そんな忙しい時にわざわざ絡んできた相手は振り払いたい所だが、その立場を考えると無下に扱う事も出来ない。
「何か用ですかシーザーさん」
「見てたぜこの色男。この年でもう女を泣かせてんのか」
「別に……」
言葉少なに。不愛想とも取られかねない態度でオルガは応じる。
「照れるな照れるな。女を転がしてこそ男は一流ってもんだ。そう言う意味じゃオレは益々お前に惚れ込んだぜ?」
「あの、注文良いですか?」
「この店で一番うまい物を頼むよ」
「水ですね」
悲しい事に。一番美味しい物となるとそうなってしまう。一番旨い料理となると甲乙つけがたい。どれも酷いという意味で。
「それでオルガ。この前の話は前向きに考えてくれたか?」
この男。スラムを三分するグループの一つの中でそれなりの地位にいるらしい。
らしいというのは、言う度にころころ話が変わるからだ。
確か最初は期待の新鋭だったのが、若手トップ、十本の指に数えられる、ナンバースリー……。
恐ろしい事に法螺話でなければ驚異的な速度でのし上がっているという事になる。
そして羽振りの良さを見れば、それが単なるハッタリではないのだろう。
「金、必要なんだろう?」
そしてオルガに金を貸そうと言ってくるのだ。
どこでその窮状を聞きつけて来たのか。
「その年にしちゃ目端が利くし腕っぷしもそれなりだ。オレとしちゃあちょっとした先行投資みたいなもんだよ」
その代わりに、自分の部下になれと。そう言う誘いである。
「実はここだけの話だけどな……うちのボスもやられたんだよ」
声を潜めて。男は楽し気にそう言う。
連続行方不明事件。その影響はいよいよグループのトップにまで及んでいるらしい。
「他の所も結構ガタガタみたいだけどな。お陰で組織間の抗争どころじゃなくなった」
それは巻き込まれるだけの一般スラム住人からすれば朗報だろう。
だが男の話はそこで終わらない。
「代わりに起きるのは組織内の内紛だ」
空いた椅子を巡ったポジション争い。
或いはそれも外部の人間を巻き込んだ大規模なものになるかもしれない。
「上を蹴落とすためにも、手駒は多い方が良い。勿論、掌握した後もな?」
トップが居なくなってもまだナンバーツーがいる組織で更に上を狙う宣言。
それは即ち下克上だ。
内紛が起きるなんて他人事の様に言っているがとんでもない。
自ら起こす気だ。
「この店も……まあ悪くは無いが、稼ぎとしては不十分だろう?」
オルガの懐事情を見透かしたように男は言う。いや、事実見透かしているのだろう。
「それに、お袋さんを医者に診せようにもその伝手も無い筈だ」
確かに。いるという事は知っているが、どこにいるかまでは知らないし、向こうも技術を安売りはしないだろう。
「オレならそのどっちも手配できる。もうすぐ冬だ。拗らせたままだと……万が一も有り得るぞ?」
気遣っている様だが、その実見ているのはオルガの足元だ。
だから、自分の手元に来いと。そう言っている。
「何を、させたいんですか」
「別にそう大したことじゃない。今はオレの後ろについてオレの仕事を覚えてもらうだけだ」
ここでこの誘いを断ったとして。オルガに得る物はあるだろうか。
何もない。
何もかもが向こうの言う通りなのだ。自分の意地を通したという満足感だけが残り、金は無いままで母親は病に苦しむだけ。
冬を越せるかも怪しい。そしてオルガは越せたとしても、母が越せるかは賭けとなる。
母を見捨てるという選択肢は有り得ない。
それだけはオルガにも出来ない。
そしてその天秤に乗るのが自分の夢ならば――オルガは迷うことなく母を取る。
だからこの時もオルガはその誘いに頷いた。
頷くしかなかった。
それが本当にスーとの約束を破る事だと理解しながらも。
「そうか! やっと決心してくれたか!」
と、オルガが驚くくらい向こうは喜んでくれた。
正直一体自分の何をここまで買っているのかは分からないが――約束は守ってくれた。
今手元にはオルガの一か月の賃金を上回る金がある。
前金だと言って渡された物だ。スラム基準では十分な大金をポンと出せるのは決して向こうに余裕があるからではない。
もしもこれを持って逃げ出そうとしても、簡単に捕まえられるという自信があるからだろう。
だがオルガには逃げるつもりはない。自分の意に反してはいるが、決して悪い話ではないのだ。
金払いは見ての通りだ。
これだけあれば、体力を付けられるだけの食事を買うことが出来る。
そう思いながらオルガは食材を買い求めていく。
急に羽振りが良くなったことで奪おうとする者が出ないかが不安だったがその心配は杞憂に終わった。
無事に家に辿り着けて安堵の息。
「オルガ?」
「ただいま母さん」
また少し痩せたなとオルガは思う。
「今日は少し遅かったのね」
「そうかな。帰りに買い物してたからかも」
そう言って、抱えて来た野菜と少しばかりの肉を並べる。
細かく刻んでスープにでもすれば病人でも食べやすいだろうと思い作り始める。
「どうしたの、オルガ。こんなにたくさん」
「……新しい仕事を見つけたんだ。今までよりもたくさんお金をくれるって」
嘘は言っていない。だが隠し事をしている事は直ぐにバレた。
バレない様に背を向けていたのに、そこからだけでも読み取られてしまった。
元々オルガの年齢で一日働ける場所自体が稀だ。更にそこから給料を上乗せしてくれるような場所など早々見つかる物では無い。
「ねえ、オルガ。何か悪い事したんじゃないわよね」
「してないって」
まだ何もしていない。未来は……分からないが。
「なら良いんだけど……オルガ。お母さん、誰かに迷惑をかけてまで長生きしようなんて思ってないんだからね」
「何言ってるんだよ……」
「これでもしも死んじゃったとしてもそれは寿命なんだから。医者とか薬とかそう言うのに大金を使う事はしなくていいから」
「何を言ってるんだよ母さん!」
その言葉にオルガは思わず振り向いた。
「そんな事……言わないでくれよ。ちゃんとご飯食べて……薬飲めば絶対良くなるから……」
だからそんな風に、諦めた様な事を言わないでほしい。
「でもそれでオルガが夢を諦めて欲しくないわ」
じっとオルガの瞳を覗き込んで母はそう言う。
「諦めて何て……」
「ここしばらく、オルガの口から聖騎士になりたいって言葉を聞いて無いわ」
その言葉が、ついさっきのスーとの喧嘩を思い出した。嘘つきと言う糾弾の言葉が胸に突き刺さる。
「別に……本気じゃなかったさ」
「嘘おっしゃい。自分の息子が本気かどうか位、分かるわよ」
言い返せずにいると、母が手招きする。
素直にベッド脇に歩み寄ると、その手がオルガの頭を撫でる。
記憶にある温かさと、記憶には無い少し骨ばった感触。
「あのね、オルガ。私はオルガには誰かの為に頑張れる人であって欲しい。きっとオルガは大勢の人を助けられる人になれるから」
「俺は……別に」
誰かよりも、目の前の人を助けたい。母とそれにスー。その二人が元気で幸せでいてくれればそれで良い。
それだけで良い。
「お給料一杯もらえるって言うのなら、それは自分の為に使いなさいオルガ。お母さんを理由に夢を諦めちゃダメ」
それでもやっぱりオルガは。母に元気になって欲しかった。
悪い大人。約束だけは守ってくれるでしょう。他は守ってくれないでしょう