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強くなりたかった。
オルガの願いは実のところやはりそこに集約する。
それが何故と問われたら、好きな人たちを守りたかったから。
そう思った切っ掛けにはやはり母親の言葉があるのだろうなと思う。
「女の子は守ってあげないとダメよ、オルガ」
そう言って自身の頭を撫でてくれた人の顔を、もう良く思い出せない。
例え夢の中であっても、その表情はぼやけて分からなくなってしまっている。
ふわふわした金色の髪は、自分の硬い髪とは偉い違いだと思った事は覚えているのだが。
それも当然だ。母親曰く、血が繋がっていないのだという。
そんな事、言われるまで気付かなかった。
それ位、自分は母親からの愛情を感じていたし、そう言われても何も変わらないと思うくらいに自分も母親を愛していた。
「自分より小さな子も守ってあげるのよ?」
今にして思えば。スラムには不釣り合いな人だった。
何時も笑顔を絶やさなかったし、声を荒らげる所など殆ど記憶にない。
他所の家の事情などは知らないが、自分たちが生きていくのに手一杯なスラムで誰かを守れと言うだけで特異だ。
「お母さんは?」
「お母さんは女の子って年じゃないかなあ?」
そうは言うが、知らない人からすればオルガとその母親は傍目には姉弟の様に見えるらしい。
それ位見た目としては若々しかった。
実年齢は尋ねた事が無いが――血が繋がっていない事を考えると本当に若かったのかもしれない。
「大丈夫よ。オルガが大きくなるまではお母さんがちゃんと守ってあげるから」
そう言って撫でてくれた手の温かさを覚えている。顔は忘れても覚えている。
「だからオルガはもっとたくさんの人を守れるようになってね。いっぱいの人を助けてあげて」
そんな教え、多分当時のオルガは真面に受け取っていなかったと思う。
いや、今もだろう。やはり顔も知らない誰かよりも顔を知っている誰かを助けたいとそう思ってしまう。
それでもそう言い聞かせられていたからか。自分から積極的に助ける事はしなくとも、自分が誰かをいじめるような事は無かった。
だから。あの日スーにも声をかけたのだ。
照れ隠しでも何でもない。自分が泣かせたように思われるのが嫌だったから。自分がいじめたのではないと示したかった。
それだけだ。
ただまあ、何となく。興味を惹かれた。
丁度当時弟か妹に憧れていた事も有り、何も知らない相手に年上風を吹かせたくなったのだ。
きっかけとしてはそれだけの事。
それが無ければオルガはきっとスーに声を掛けず。
今はただ、敵討ちに邁進できたはずだ。
内面を知らない相手を殺せば良いだけと割り切れた筈で、きっとその精神性は――生前のマリアに近い物になっていた筈だろうと思う。
でもそうはならなかった。
彼女に手を引かれて。聖騎士を見た。
自分とは住む世界の違う、誰かを助けて人から感謝をされて。
そんな母親の言葉を体現する様な存在に出会った。
だからそれを目指すのは当然の事。
スーが誘拐されそうになった。
でもオルガは何も出来なかった。ただ、相手の足に絡んだだけで実際の妨害となる様な事は何一つ。
誘拐犯を撃退したのはスーだと言うのに、スーはオルガが守ってくれたのだという。
悔しかった。訳も分からず悔しかった。年下に守られた事が? 自分の無力さが?
オルガにも分からなかった。当時も今も。
一つ確かな事は、そのままは嫌だと思った事。
お兄ちゃんと、呼ぶ相手よりも弱いなんて認められない。
だから強くなろうと。強くなりたいと。オルガの中で明確に形になったのはこの時だ。
◆ ◆ ◆
スーは泣き虫だった。
良く笑う子であったが、同時に良く泣く子でもあった。
そしてそれは概ね家族に関する事だった。
「またお兄ちゃんたち喧嘩してた……」
今日も来るなり鼻をすする。年長の二人が放つ険悪な空気に耐えきれず、スーは家を飛び出してきたらしい。
「またかよ……」
と言うのも、本当に良く喧嘩をするのだ。スーの兄は。
「なんかね、下のお兄ちゃんが悪いことしたみたいなの。それを上のお兄ちゃんが悪いことした―って言ってるの」
「それで喧嘩?」
「うん……」
「叱ってるとかそう言うのじゃなくて?」
「うん……」
良く分からんとオルガは思った。弟が悪い事をしたから叱るのならオルガにも想像できる。
しかし何故そこで喧嘩になる?
「ママはね」
とたどたどしくスーは説明を始める。
「スーが悪い事したらダメだよって怒るの。そういう事をしちゃいけないって」
「うちもそうだよ」
そうやって怒る時の母親はとても怖い。
何時もの温和さが嘘の様に怖い顔になる。
「でもお兄ちゃんたちのは違うの。悪いことしたからお前は悪い奴だ! ってずっと言ってるの」
きっと、と言うか確実に本当はもっと口汚い言葉なのだろう。
叱るのではなく責め立てる。そこには相手への愛だとか思いやりだとかは無いだろう。
「叱られないと悪い子になっちゃうのに……」
オルガも母親に似たような事を言われた事がある。
叱って貰える内が良いのだと。叱って貰えなくなったら自分の悪い所もなおせなくなると。
そこでスーは何かに気付いたような顔をした。
「ママいないからスーを叱ってくれる人いない……」
「お父さんは?」
「パパ……会ったこと無い」
「死んじゃったのか?」
この無遠慮な質問にもスーは嫌な顔せずに答えた。
「おうちに居るけど……会ったこと無い」
ふくざつなかていだ。と幼いオルガは思った。
「どうしよう……スー悪い子になっちゃう?」
「だ、大丈夫だ! スーが悪い事したら俺が叱ってやる!」
「ほんと?」
「ああ、本当だ!」
「良かったあ。スーね、良い事したいの! みんなを助けてあげたいの! だから悪い人になったら困るんだあ」
とスーが安心したように笑うのでオルガは笑いながら冷や汗をかいた。
スーの手本になれるように、何が悪い事なのかしっかりと考えなければいけないと。
その約束をオルガは果たせなかった。何しろスーは基本的に良い子なので、悪い事などそうそうしなかった。
故に叱る機会と言うのは中々訪れなかったのである。
そうして訪れた時、オルガは叱れなかった。
大体察しているとは思いますが、オルガがぶっ壊れるまでの話です。