38 良いからさっさと吐け
「くそっ……やってくれるじゃねえか!」
まさか噛みついてくるとは思っていなかったのか。
食いちぎられた首筋を抑えて呻きと歓喜の混ざった声をあげる。
「ああ、そうだ。そうでないといけねえ。必死で生き抜こうとしているアンタをあたしが殺してこそ……! あたしの悲願は叶うんだからな!」
怨嗟に満ちた声。
その声を、オルガは当然の思いで聞く。
ああそうだ。相手にはオルガを恨む理由があるのだと。寧ろ、恨まない理由がない。
互いに重傷。
そうなると、重要なのはイオの動きだ。
放たれた霊力の光は、今の弱った相手にとっては十分すぎる程の脅威。
思わず距離を取ってしまった事に舌打ちを一つ。
イオの方が遠距離攻撃能力が高いのに距離を取るというのはミスとしか言いようがない。
それだけ負ったダメージが大きかったという事か。
加えて囲いの外では立て続けの爆発音と、ヴェリテーの苦悶の声。
「チッ、意外と外のオッサン共もやるな」
溜息を一つ。
「仕方ない。ここは退くとするか」
「逃がす、かよ……!」
無手のオルガが放った弐式。朧・陽炎斬りはしかし、容易く切り払われた。
「勝負はお預けだオルガ。お前はあたしが絶対に手ずから殺す。他の奴に殺されたりするなよ?」
そう言った瞬間、ヴェリテーが動いた。全身をくねらせて、砂埃を巻き上げながら、主である彼女を飲み込む。
そしてそのまま地面へと突き刺さると、異様な程滑らかに地面へと潜っていく。
「あ。コイツ! 逃がすかよ!」
ベントランが何かした様だったが、それも無駄に終わったらしい。悪態を吐く声が聞こえてくる。
逃げられた。
あそこまで傷を与えながら。あと一歩のところで。逃がしてしまった。
その事実がオルガを苛む。
だが身体は正直な物で。
外敵が居なくなったと察した肉体からは力が抜けていく。張り詰めていた糸が切れた様に全身緩んでいく。
「おい、オルガ! しっかりしろ! 死ぬなよ!? すぐにエレナ呼んでくるから!」
そんなイオの慌てた声に、大丈夫、と返そうとして。
オルガの意識は途絶えた。
次に目が覚めた時、オルガはベッドの上にいた。ここ数日で見慣れた、クルドルフ邸の客間だ。
夢一つ見ない眠りと言うのは久しぶりだった。
「……腕、動く」
両腕共に、今はしっかりと動く。左手を見れば指も五本揃っていた。
「ウェンディさんが探してくれました」
その声に、横を向くと見えたのは紫紺の髪。色んな意味で小隊の癒し担当――だったエレナだ。
過去形なのは、今のエレナが癒しとは無縁の無表情で居るため。
「流石に<オンダルシア>でも他の人の指を生やす事は出来ませんから、ウェンディさんが一生懸命探してくれました」
犬みたいな奴……と一瞬思ったがそれよりも先に言うべきは礼である。少なからず苦労をかけた様だった。
「私は二人を呼んできますので。……くれぐれもどこかに飛び出したりしない様に」
エレナの言葉に険がある。実際オルガの感覚的には少し前に飛び出したのだから仕方ない。
今はあれからどれくらい経ったのだろうかとオルガは考える。
外の陽ざしの感覚的に、一時間かそこらの筈だが――と考えていると。
『丸一日寝てたわよ』
「居たのか」
『居たわよ』
どうやらマリアはご機嫌斜めらしい。
『私、あんな風に命を賭けさせるためにオーガス流教えた訳じゃないんだけど』
「……それはすまん」
『捨て身で勝てる相手かくらいは見極められるようになってよね! じゃないと心臓に悪いわ!』
怒っているのか心配しているのか。本人にも良く分かっていないのだろう。曖昧な表情をしながらそんな事を言われる。
「次から気を付ける」
『って言うけど気を付けてた試しがないんだけど』
図星だったのでオルガは何も言い返せない。
『ま、私からはこの位にしておいてあげるわ』
「……私からは?」
と言うのはどういう意味か。
『だってこの後いっぱい怒られるんだから』
いっぱい? 誰に? と疑問を浮かべていると扉が開いた。エレナと、イオとウェンディと言う小隊メンバーだ。
「よう。起きたなオルガ」
「うむ。では取り決め通りに。エレナからどうぞなのだ」
取り決め? と思っているとエレナが一歩前に出て。
表情を変えないままにフルスイングのビンタをオルガの頬にお見舞いして来た。
続けてウェンディの頭を叩き割るつもりかと言うチョップが脳天に炸裂。
そして止めとばかりにイオの右ストレートがエレナとは反対の頬に突き刺さった。
立て続けの痛みにオルガは目を白黒させる。
そんなオルガにエレナはすーっと息を吸い込んで。
「バカじゃないんですか! 私言いましたよね!? 死んじゃったら治せないって! 一人で突っ走ってあんなボロボロになって! 何考えてるんですか! バカなんですか!」
「うむ! オルガよ! よく我に一人で行動するな、突っ走らずに相談しろと言うな? そう言う自分はどうなのか、今一度胸に手を当てて考えてみるが良い!」
「前にもあったよなお前。一人で勝手に先行って。そんで死にそうな目に合って。何の為にオレ達小隊組んでんだよ、オイ」
三人から口々に怒られて。オルガは思考が追い付かない。
「と言う訳でオルガが寝ている間に、事情を聞かないとやっていけないという結論に達したからな!」
なるほど、とオルガは頷いた。確かに、大分迷惑をかけた自覚はある。
それを見て彼女たちがオルガに三下り半を突き付ける事にオルガは何の文句も言えない。
「納得してねえで早く喋れ」
「もう小隊は解消と言う宣告だったんじゃ?」
「バカ! これからも小隊続けたいから事情を話せって言ってんだよ!」
二人に視線を向けると揃って頷いた。
「言っておきますけど、オルガさんが喋るまでこの部屋から出られるとは思わないで下さいね?」
「うむ。三人で見張るぞ」
……やっていけないなんて言うのは建前で、最初から喋らせるつもりだったようだ。
「なあオルガ」
ほんの少し。勢いを落としてイオが言う。
「オレ達は小隊の仲間だろ?」
「ああ」
「だったら少しは頼ってくれ。それともオレ達はそんなに頼りないか?」
その言葉にオルガは目を閉じて考えた。
そして意を決して口を開く。
「俺は、四年前からある魔族を殺すために聖騎士を目指していたんだ」
一年前ならば。きっとオルガは口を閉ざした。それが彼女たちとの決別を意味したとしても。
だけど今は。その選択を選べない。例え己の内面を晒す事で彼女たちが自分から離れるとしても。
自分から離れるという事を選べなくなってしまった。
「それが今日襲って来た魔族だ。アイツは四年前に、俺の母親と幼馴染を殺した」
そして。
その言葉を口にすることが苦しかった。オルガが口を閉ざしていた理由の一つに認めたくなかったというのがある。
ずっと口にせずに。ずっと目を逸らして居れば。何時かその事実が無くなるのではないかと言う。バカげた期待。
そんな幼い願掛けの様な事をオルガはいくつもいくつもずっとずっと繰り返してきていた。
口にすれば真実になる。口にしなければ嘘になってくれる。
でももう目を逸らせない。
己の眼で彼女を見てしまったのだから。
「奴の名前は、スー」
仇の名を。幼馴染の名を告げる。
「魔族に堕ちた俺の幼馴染だ」
そうしてオルガは閉ざしていた口を開いた。
オルガを起こさないでくれ。死ぬ程疲れてる。
これで喋らない場合は泣き落とし、拷問、色仕掛けなどを検討していた模様。
どうしてあっさり口を割ってしまったんだ……!