37 相打ち
「ぐっ!」
「かっ……!」
オルガは肩から胸元にかけて。
相手は腹部から胸元にかけて。
それぞれ浅からぬ斬撃を刻まれた。
互いに踏み込んだ勢いのまま、すれ違って地面を転がる。
お互いに与えたダメージはほぼ互角だろう。
オルガの剣は十分な威力を発揮する前に、相手の斬撃によって勢いを奪われた。
彼女の剣は、不安定な姿勢且つ、直前に浴びせられたオルガの斬撃によって万全の態勢で放てなかった。
故に、この交錯は互角。
しかし負った傷と言う観点では雲泥の差だ。
オルガは己の手を見る。左手は指が欠け。右腕は力なく垂れ下がっている。
自ら刀身を蹴り上げた左の足先は感覚が無く、まともに立てるかも怪しい。
あの一撃に全てを賭けていたオルガは、自分の技によるダメージが著しかった。
マリアに見せた時はそれらの傷を負いそうな場面で霊力による防御を行っていたのだが――そんな事をしては威力が下がる。
故に、ノーガード。全霊を以て挑んだのだが、結果は相打ち。
「やってくれるな……オルガ。手ぇ抜いてたのか?」
横腹を抑えながら敵が立ち上がる。
向こうが立ち上がったのならば。こちらも立たなければ。
「さあ、な」
激痛を堪えて。どうにかオルガは己の足で立つ。あちこちから血を流しているからか、妙に頭がすっきりする。
ともすればそのまま冷え切ってしまいそうな程に。
指の欠けた左手で剣を握る。右腕は肩が動かない。後はもう、どうにか相手の剣の前に晒して盾にするか。或いは――と言ったところか。
運が良ければ。エレナが繋いでくれる。
満身創痍となってもオルガはここで相手を逃がすつもりはない。
ここで逃がせば次に遭遇できるのは何時になるか。或いは別の誰かに討たれるかもしれない。
そんな未来を避けるためにも、ここで討つ。
霊力もそれほど多くは残っていない……が、まだいくつか技を放つ余裕はある。
何より、相手の損耗も著しい。決して今の攻防は向こうにとっても楽な物では無かった。
四肢は無傷なれど、片手は腸がはみ出ない様に抑えているので実質封じたも同然。
有角種の再生能力は人からそれほど外れてはいない。あの傷が短時間で癒えるという事は無いだろう。
纏めれば――ここが好機。
こちらも追い詰められてはいるが、相手を追い詰めてもいる。
「さあもう一度……」
勝負だ。
言葉にせずとも相手にもその意図が伝わった。
互いに向き合って。切り込む隙を伺う。
今度こそ仕留める。それにはやはり首か。それとも胸部か。急所を狙うしかない。
左手一本の威力を落とした剣でどこまでそれをやれるか。
オルガの右手がそっと動く。指先だけの、微かな動き。
相手が動いた。
向こうは右腕一本で再び上段からの切り込み。
ある意味この場での最善手だ。
今のオルガの剣は威力に欠ける。人差し指と小指を吹き飛ばされた左手で振るう剣。
それは万全の物と比べれば威力不足。それをカバーするにはやはり上段から斬り下ろすしかない。
それを向こうも読んでいた。故に先手。
先手を取った方が振り被る猶予がある。それ故に剣を振るう時間が長い。それは即ち、剣速が高まるという事。
利き手とは逆の手で振るう今のオルガにとって、剣速こそが要。
致命的ともいえる遅れだった。
オルガが何の小細工もしていなければ。
「っ!」
相手の姿勢が崩れる。奇妙に足が跳ね上がった。
彼女は言った。霊力の刃。それが空気を裂く音が聞こえると。
視えると言ったわけではない。ただ、その動きを察知しているだけだと。
ならば音もなく潜む霊力には気付けないのではないかと言う予想は当たった。
彼女が踏んだのは、足元に仕込んだ弾力性のある霊力の足場。それこそ勢いよく踏み込めば、その勢いをそのまま上に向ける程の。
強制された中途半端な跳躍。
姿勢が崩れる。
そしてオルガの足元にも同じ物。
漆式。乱星・空渡り。その崩しとも発展形とも言える物。それを、彼は意図して踏み込む。跳躍の為の補助装置とする。
意図せぬ跳躍と、意図した跳躍。どちらが高みに行けるかなど議論するまでもない。
相手の頭上を越えて、頂点にまで達したオルガは身を翻す。そして再び生み出す霊力の足場。
地面目掛けての強襲降下。
威力が足りないならば、高さで補えば良い。
下向きへ跳躍。
迎撃の刃を押し込み、相手の首をかき切ろうと体重をかけていく。
刃と刃を交えながら押し倒した。この姿勢から、押し返すのはほぼ不可能だ。
当然上に居るオルガが有利。その刃をじりじりと首へと近付けていく。
「死ね……」
頼むからここで。
「死んでくれ……!」
必死の形相でオルガがそう言う。そして。
オルガの仇は。
オルガから家族を奪った彼女は。
「そんな事言うのかよ……お兄ちゃん?」
「っ!」
予期せぬ言葉に、オルガの表情が悲痛に歪んだ。一瞬の動揺。
その一瞬で、彼女にとっては十分だった。
臓物を抑えていた手を離す。折れた剣を握り。マウントを取ったオルガの左肩へと突き刺す。
「油断大敵だなあ! オルガ!」
オルガの剣が力を失った。そのオルガの身体を蹴り上げて、彼女は下から這い出る。
千載一遇の好機を逃したオルガ。己の剣が手から離れていく。
「じゃあな。さようならだ!」
地面を転がったオルガに止めを刺すのは余りに容易い。ただ剣を振り下ろす。それだけでその首を取れるだろう。
何の妨害も無ければ。
ところで話は変わるが、研修に来ていたベントランの聖剣。それは地面を操る物である。
その気になれば幾つかの石柱を地面から生やす事も出来るが、それでヴェリテーの高さを超えるのは難しい。
しかしながら、その生える勢いと言うのはそれなりの物で。
成人男性は無理でも小柄な女性ならば勢いのまま打ち上げる事も出来るかもしれない。
つまり何が言いたいかと言うと。
「のおあああああああ! やっぱこええええええ!」
そんな叫び声と同時にイオが打ち上げられてきた。
空中で悲鳴をあげながらも、ヴェリテーの巨躯を乗り越えた先でオルガが危機だと悟るや否や。
「<ヴェルトルブ>!」
休みに入ってから溜めに溜めていた霊力を躊躇なく開放する。
オルガとの間に突き刺さる光の柱。その威力を察して止めは断念した。
「てめえ、よくもウチの隊長をこんなボロ雑巾みたいに……!」
全身隈なくボロボロのオルガを見てイオが憤慨する。半分くらいは自傷だが。
「飛び越えて来たのか? ご苦労な事だな、おい」
そう感心した様に呆れた様に呟くと。
「まあ良いや。お疲れさん。死ね」
無造作な一閃。イオはその動きに目が追い付いていない。
「させ、るか!」
窮地を救ってくれた仲間を見殺しになど出来るはずもない。これ以上、大事な物を奪わせてなるものか。
身体から霊力を絞り出す。漆式。乱星・空渡りの崩し。弾力性を持たせた足場。その反発力でオルガは無理やり身体を動かす。
魔族への体当たりなど、最早自殺行為と言える。手に武器は無く、そんな体当たり程度で仕留められるはずもない。
オルガに残った最後の武器は。
大きく口を開ける。
相手の喉笛に喰らい付く。獣の様に己の牙で食い千切る。
まだだ。なりふり構わない攻撃をしながらオルガは考える。
攻撃力が足りない。この程度では致命傷には程遠い。
ならば、己の牙の切断力を上げる。
弐式。朧・陽炎斬り。
犬歯から伸びた霊力の刃が、相手の首筋を食い千切った。
弐式は武器であると認識できる物に対しては効果が乗りやすいです。後は素材の霊力の通りやすさ。
爪、歯も有効。
逆にそうではない場所から生やした刃は脆くて鈍ら。適当なナイフで刺したほうが効率が良い