36 決死
「……お前、何で今の防げた」
もちろんオルガは答えるつもりはない。
が――もう一度同じ攻撃をされたら今度こそ避けられない。
一瞬視えるようになった霊力も、また視えなくなった。
『……オルガ。私は引く事を勧めるわ。このままだと無駄死によ』
マリアの見立てはこの上なく正しかったと言えるだろう。
逃げる。仇も討てずに尻尾を巻いて逃げる。それは――。
「出来ないな」
オルガの考えは変わらない。
一度でも退けばきっと自分は次も退く。
仇を前にしても戦えなくなる。
大体が退路がない。自分達を閉じ込める様に囲む召喚獣を突破できなければ意味がない。
『っ! ならせめて! 私に代わりなさい! きっちりアイツを仕留めてあげるから!』
「それもダメだ」
他人任せに何て出来ない。
他人に任せたら何の意味もない。
アイツは、アイツだけは、自分の手で殺さなければいけない。
「俺がやるんだ。他の誰でもない。俺がやらないといけない事だ」
例え、その実力が伴っていないとしても。
今はまだ駄目だ。実力が足りない。場所が悪い。条件が――。
そんな言い訳を幾らでも見つけ出して、相対する事さえ出来なくなる。
故にオルガに撤退の文字は無い。
相手の方が今の自分よりも強いのは百も承知。
ならばその差を少しでも埋めるには――。
「悪いマリア」
覚悟を決める。あらゆる余分を切り捨てる。その余分の中にはこの後の事も含めた。
「約束は守れないかもしれない」
『オルガ!』
捨て身で挑んで尚、届くかどうか。
否、届かせる。
ミスリルの長剣を鞘に収めた。
その様子を見て彼女は片眉を上げる。
「まさか降参か?」
「有り得ないな。お前を斬るまでは」
「ああ。それを聞いて安心した。ここで降参するなんて言い出したら興醒めだ」
相手の動き。その予兆を見逃さぬ様に目を凝らす。
全力のマリアの様に、意味も分からず姿すら視えぬわけではない。
相打ち覚悟ならば、その攻撃は届く。
オルガのその覚悟を察したのか。相手も僅か腰を落として長剣を正面に構えた。
初めて見せる彼女の構え。
自分よりも速い相手を捉えるには、こちらも最速の技で対抗するしかない。
未だ完成に至らぬ技であるが――他に手は無い。
拾式。世果・界面斬り。
霊力を練り上げていく。
体の中で少しでも圧を高める。肉体の許す限界まで絞り上げていく。否、例え限界を越えたとしても。
体内が細かに切り裂かれていくような感覚。限界以上の霊力が循環して己の身を苛んでいる。
細かい血管が切れて視界が赤く染まる。
相手の挙措からその動きを先読みする。
陸式。円舞・焔重ねとはまた違ったカウンターとしての側面の強い技だ。
陸式が後の先ならば。
拾式は対の先。
だから、運が良ければ生き残れるだろう。
例え生き残れた後に何の価値も見いだせないとしても。
「……じゃあな。今度こそさようならだオルガ」
「ああ。お別れだ。――」
オルガが呼んだ誰かの名前は、ヴェリテーが放った咆哮で掻き消された。
その瞬間に彼女が動く。
真っ向から斬り伏せるという思い切り。
その動きは見切れた。余りに分かりやすすぎる相手の動き出しよりも先にオルガが動き出す。
だが六本腕の様に、相手もただ本能で剣を振るっているわけではない。
オルガの動きに合わせてその剣筋が変わってくる。
オルガもまた、その動きに合わせて自分の動きを。
お互いに後出しを続けて、己にとっての最適解を導き出そうとする。
そんな駆け引きは――オルガが勝利した。と言っても、ほんの僅か。髪の毛一本分程度の有利だ。
格上の剣士と戦う事。その一点に置いてオルガ程経験豊富な剣士はそうはいない。
これ以上はもう、動きとして崩れる。そうなれば致命的な隙を晒すことになるだろう。
ならば、と向こうも割り切って剣速を更に増してきた。それっぽっちの差。己の腕で埋めて見せると言わんばかりだ。
その剣筋を、オルガは冷静に判断する。
大丈夫――当たっても致命傷だが、行動不能にはならない。
この最後の技は確実に相手に当てられる。
極限まで圧縮した霊力を、鞘を握った手から放出する。
革製の鞘の中に注ぎ込まれた霊力。その爆発的な圧力が刀身を押し出そうとする。
その暴力的なまでの加速を、右腕一本で御する。ここで手間取っては注いだ霊力が無駄となる。
革製の鞘がその圧力に耐えかねて破れた。文字通りの爆発が、オルガの左手の指を吹き飛ばす。
マリアが向いていないと言ったのはこういう事だ。
十分な加速を得るための圧力。それを保持するには鉄製の鞘が欲しい。
とは言え、後先を考え無ければ一度だけなら何とかなるのも事実。
ここに至って、最速の剣戟を繰り出してきた事に彼女は一瞬目を見開いた。
その剣先は、彼女の剣よりも先に届く。
引き延ばされた時間の中で、彼女の片手が剣から離れる。
外套の中に差し込まれた手が握ったのはもう一振りの刃。二刀流。その単語がオルガの頭を過る。
今までは嬲るために手を抜いていたのか。それとも隠し玉だったのか。
相手の真意までは読み取れないが、想定外の一太刀はオルガにとってマイナスにしか働かない。
抜き打ちで放たれたもう一本の剣はオルガの刃と自身の間へと差し込まれる。
それを避ける事など出来はしない。
刃と刃がぶつかり合う。彼女は僅かに体勢を崩したが、オルガの攻撃を防ぎ切った。
――そう勘違いしたのだろう。
意識が、もう片方の手に握っている攻めの剣に移った。ほんの僅かな視線の動き。
マリアの言葉を思い出す。相手の視線は何よりも雄弁にその狙いを語ってくれると。
オルガの足が、持ち上げられる。
その爪先が弧を描く。斬るために踏み込んだ足を軸足とした回し蹴り。
苦し紛れの抵抗か。
否。断じて否。
その動きも含めての拾式である。
オルガの爪先がミスリルの剣。その刀身を叩く。
両刃の剣の、刀身を蹴りつける。それがどんな惨事を招くかは想像に難くない。
己が刃が己の足を切り裂く感触を覚えながら、オルガ再度圧縮した霊力を爪先から刀身に流し込む。
拾式。世果・界面斬り。
それはオーガス流十の型の中でも最速の技。そしてそれが防がれたとしても。
一度防いだという相手の意識の緩みを打ち抜く突破力を持つ技である。
腕と足。二方路からの霊力供給によって死んだ剣が威力を取り戻す。
そのまま、繋ぐ。
壱式。鏡面・波紋斬り。
衝突によって生じた傷に爆発的な霊力の振動波を流し込む。
先ほどの倍。更には意識の外。
その二条件が重なれば、彼女も振動波を抑え込む事など出来はしない。
オルガの刃が、相手の守りの太刀を突破する。そのまま相手の胴に吸い込まれていく刃をオルガは――。
何かしらの感慨を抱くよりも先に、相手の攻めの刃がオルガの元に届いた。
肩口から差し込まれるそれに拾式の威力が殺されていく。
そうして、互いに血を流しながらオルガと魔族の少女は攻撃の勢いのまますれ違った。
居合を予測した方は多かったと思いますが、あの変態剣術がただの居合で終わらせるわけがなかった……尚、使うと剣がこの上なく痛む。