34 幻想召喚
それは蛇、なのかもしれない。
或いは犬なのかもしれない。
一先ず確かなのは異形であるという事。
犬の頭に蛇の胴を持つというのが最も近い形容か。
「これが……!」
『召喚獣! それもこのサイズは大物……随分と力を蓄えたのね』
有角種の召喚獣かとオルガは驚嘆する。想像以上の異様な見た目だった。
胴は人の背丈を軽く超える程高く、開けられた口は容易く丸のみにされそうだ。
そして頭から尾まで、果てしない長さがある。下手をしなくとも百メートルを超えている。
それが城壁の様に、オルガと己が主を囲んでいた。
魔獣とはまた違う。魔獣はあくまで生き物が変質した姿。
こんな歪な生き物ではない。
「遊んでやれ、ヴェリテー。今日は、食っても良いぞ」
歓喜の声か。犬頭の蛇は吠えながら鎌首をもたげる。
それだけで頭部の高さは二十メートルを超えた。
巨体と言うだけで既に脅威。聖騎士と言えど、這いずるところに巻き込まれたらそれだけで重傷だろう。
飛び出したオルガを援護したい気持ちあるのだろうが、召喚獣と言う壁が現れた以上、それも叶わない。
分断された。
だがその状況は――オルガにとっても望むところ。
魔族の彼女が両手を広げる。
「さて、これで邪魔も入らない。やろうぜ、オルガ」
嬉しそうに笑いながら彼女は手招きする。
その様子をオルガは、歯噛みしながら見つめる。
「有角種……」
「ああ。見ての通りだぜ」
己の角を見せびらかすかのように、彼女は首を傾けた。
魔族である証を見せられて、それでもオルガはもう一度問いかける。
「人を、食ったのか」
「当たり前だろ」
その言葉を聞いて、オルガは剣を構えた。
「お前を斬るぞ」
「はっ!」
その宣言に彼女は鼻で笑う。
「今頃そんな事言ってんのかよオルガ! こっちは最初から殺す気だ!」
叫ぶと同時に斬りかかってくる。
一瞬、オルガの反応が遅れた。
「チッ……!」
霊力視による先読み。僅かな時間だったがその利便さに慣れるには十分だった。
そのせいで、相手の動きからの先読みと言う非常に基礎的な部分がおろそかになりつつあった。
その意味では、今一度霊力が視えなくなったのは僥倖であったのだろう。
あのままでは悪い癖が付いていた。
それはさておいて、今この場で霊力視が出来ないというのは痛い。
今こそ欲しい力だったのに、とオルガは僅かに悔いる。
しかし、召喚獣と言う物を目にしてオルガも僅かにだが冷静さを取り戻した。
先ほどの熱狂は既に体内から消え去っている。
剣を打ち合えば大体の腕前は分かる――とマリアは言う。生憎とオルガはそこまでの領域には達していないが。
それでも何となくは分かる。
目の前の相手は強い。一太刀が余りに速い。最短距離で首を狙ってくる。
羽の様に軽やかに飛び回る姿に、一瞬感銘を覚えてしまった己を縊り殺したくなる。
「おいおい、動きが鈍いぜ、オルガ? まさかもうバテたとか言わねえよな?」
「黙れ」
相手の挑発にオルガは短く返す。
参式。飛燕・木霊斬り。
生み出された偽りの気配に、彼女はあっさりと引っかかった。
分身を切り裂き手応えの無さに首を傾げる。
その隙に切り込もうとしたオルガの胴目掛けて振るわれた太刀筋をどうにか受け止めた。
「ん、こっちが本物か。なるほどな。あたしに気配を誤認させたのか。手応え的に……分身を生み出すってところか? 攻撃も出来そうだな」
一瞬で参式の効果を看破して来た事に驚きを隠せない。
初見ならばまず見破れない奇襲が全く機能していない。
『勘、良すぎじゃないかしら。この子』
約束を守って黙っていたマリアが呆れた様に口を開く。
彼女もまさか、初見でオーガス流の技を見切られるとは思っていなかったらしい。
「それがお前の聖剣の力か? いや、違うな。さっきの攻撃の説明が付かない。っていうかそれ聖剣か?」
オルガの戦いを丸裸にでもしようと言うのか。考えるそぶりを見せながら彼女は推理を口にする。
無論、オルガにそれを肯定する義務も、否定してやる義理も無い。
漆式。乱星・空渡り。
僅か一歩。足場の無い宙を踏みしめる。そこから更に繋げる。
伍式。星霜・虚斬り。そして弐式。朧・陽炎斬り。
マリアに見せた中空に生み出した刃へ伸縮性のある霊力を繋ぎ、変則的な軌道を描いて宙を舞う。
その軌跡を予測する事など不可能。
だと言うのに。
「また変な動きしやがったなお前?」
彼女の視線はオルガを捉えて離さない。
相手の眼を振り切れない。
宙で互いの刃が交錯する。
額がぶつかりそうな距離。
この至近距離ならば! とオルガは額から霊力の刃を伸ばす。
「おっと」
しかしその奇襲さえも、相手は側頭部の角で受け止めた。
小さく華奢に見える角を、オルガの刃は砕けない。
「まさか……見えてるのか?」
「良いや? さっきから見えねえ攻撃してくるなとは思ってるけどな」
だとしたら矛盾している。見えない攻撃を何故、彼女はこうも容易く避けられるのか。
「何で、って顔してるな。教えてやるよ」
どこか嬉しそうな得意げな顔をしながら彼女は言う。
「音がすんだよ。空気を裂く音。お前の見えない刃が立てる音がな」
確かに。相手を切り裂く以上生み出した霊力の刃には実体がある。例え見えずとも触れることはできる。
故に、振るった際に音がすると言うのは有り得ない話ではない。しかし――。
『はあ!? そんなもん聞き取れるってどういう耳してんのよ!』
マリアが先に驚いてくれたのでオルガが驚く手間が省けた。
そんな音、本当に微かな物だ。自然音の中に紛れて消えてしまう様な物だろう。
それを聞き分けて、反応していたというのだ。
それは控えめに言っても。
「化け物め……!」
「おいおい。今頃気付いたのかよ。お前の目の前にいるのは、人を喰らう怪物だぜ?」
悪意の籠った笑みを浮かべて。彼女はそう言った。
問。有角種の本体が強い時はどうすればいいの?
答。死ぬ気で頑張れ。じゃないと死ぬ。