25 無視できぬ齟齬
「何でって……」
オルガ達にはマリアが何に驚いているのか理解できない。
マリアは何故それが当たり前なのか理解できない。
「……話を整理しよう」
オルガの様子から、何か想定外の出来事が起きたという事が分かったのか。オルガの言葉を黙って待つ。
「マリアの記憶では、ここに内海は無かった……って事だな?」
改めて口にすると突拍子も無い事だとオルガは思う。
確かにマリアと自分たちの間には400年の時間が横たわっている。
だが――。
「海って400年やそこらで出来る物か?」
この中で一番詳しそうなエレナに尋ねてみるが、首を横に振った。
「少なくとも、我が家がこの地に住んで100年程になりますが――その時は既にあった物ですから実際は300年未満でしょうね」
オルガ達だって別に地学を学んでいるわけではない。
それでも漠然としたイメージとして、地形を大きく変えるのに300年と言う年月は短いのだという事は知っている。
それこそ西管区のアカデミーにでも行って聞けば良い回答が期待できるのかもしれないが。
「背後霊が場所間違えてるんじゃねえの?」
「……いえ、その可能性は低いかと」
少なくとも大陸南部で双子丘があるのはここだけらしい。
もちろんエレナも全知でも何でもないので知らないだけだという可能性もあるが。
いや、寧ろそうであってほしいとオルガは思う。
マリアか、エレナの勘違い。
そうであるならばマリアの故郷は大陸のどこかにある。
だけどそうではないのならば。
ここに本当にマリアの言っていた街があったのだとしたら。
天変地異か。何が起きたのかは分からない。
ここから南に向けて内海は伸びている。遥か外海に繋がるまでずっと。
その延長線上にマリアの故郷があったのだとしたら。
この400年の間に跡形もなく滅んでしまったのだとしたら。
それは余りに悲し過ぎる。
故郷と言う物に良い思い出が無いオルガでさえそう思うのだから。
他の三人も同じ結論に達したのか眉根を寄せている。
『……ねえ、この際だから聞いておきたいんだけど』
泣き笑いの様な。曖昧な表情でマリアは今までずっと目を逸らして居た事実に目を向ける。
些細な事。ただの言い間違い。
この約一年。俄かには信じがたくて、だからずっと聞かない様にしていた事。
『ここは、どこなの?』
「ここがどこって……」
繰り返された言葉にオルガもイオもウェンディもエレナも。
皆、その問いかけに不思議な顔をする。余りに当たり前すぎて。彼らにとっては常識過ぎて。
『オルクス神権統治領、でしょう……?』
それはマリアの常識とは致命的に異なっているのだと。そんな事も知らずに。
「いや……神聖オルクス王国だよ。昔っからそう、じゃないのか……?」
マリアの表情が歪む。
違うわよ、と絞り出すような声。
『そんなの。知らない』
その言葉にオルガは驚く。
オルガとて、歴史に詳しい訳ではない。だがそれでも今の国が少なくとも400年以上現状の形を維持している事は知っている。
『唯一にして絶対の神がどうして人に統治を任せているの!? オルクス神は何処に行ったの!?』
「落ち着けよマリア。そもそも――オルクス神って実在するのか……?」
オルガとて、教会の存在は知っている。オルクス神を祀る場だ。だけど、神が実際に降臨したのはそれこそ世界創生の神話の中。
現実に存在する物の様に語るマリアの口調は違和感があった。
『いるわよ! 直接拝謁した事も有る! 何百年も、もしかしたら何千年も人の世を見守ってきた存在が何で急に』
絶対的な存在の不在。その事実に気付いたマリアはもしかしたら学院長への暗殺を敢行した直後よりも動揺している。
『何があったの? この400年で、一体何があったのよ!?』
そう問い詰められても、知らないとしか答えようがない。
何しろオルガの知識にある歴史では何も、無かった。
マリアの言う様な大事件など欠片も無かったし、そもそも国が違う。
「うむ……もしかしてだが……マリアは別の大陸の人間なのではないか?」
話を聞いていたウェンディがそう口を開いた。
「たいりく……?」
「我らが住まうこの地の事だ。どういえばいいか……」
ぐるっとウェンディが地面に円を描いた。
「これが大陸で、周りに海があるだろう?」
「そうだな」
「その海の向こう側にも別の大陸がある……かもしれないという話だ」
「あるのか?」
「あると言って旅立った船は帰ってきたためしがないな」
「ねえんじゃねえか」
「理想的過ぎて帰ってこないだけかもしれぬからな。無いとは言い切れん」
いっそそうであった方がまだ気が楽だ。マリアの理解できぬ言葉に薄ら寒さを覚え始めたオルガはそう思う。
400年。その十分の一も生きていない自分にとっては余りに長い時間だ。
だが国にとって文明にとってはそうではない筈である。
受け継がれていくはずの物が断絶している。どころか奇妙に変質して最初からそうであったかのようになっている。
どうしてそんな事になったのかは分からないが……不気味だ。
その齟齬は400年と言う時を超えて来たマリアが居なければ決して気付く事の無かった事。
事ここに及んでマリアが嘘を吐いているとは思えない。
ならば、嘘を吐かれているのは自分たちの方だという事になる。
それも今回は学院程度の規模ではない。
国が、もしかしたら全ての人間が騙されている。そんな次元の物だ。
到底個人でどうにかなる話ではない。間違いなく国が関わってくる。
もしかすると、とんでもなく不味い事に巻き込まれつつあるのではないか。オルガはそんな気がしてきた。
『別の場所……そうだったらいい……いっそそうであった方が良い……』
マリアにとっては余りに変わりすぎてしまった世界だ。
だがしかしそうは言いながらもそうではないとマリアは分かっている様だった。
『オルガ。私との約束を一つ追加……と言うか変更よ。私の死を探すのともう一つ。どうしてこんな風になってしまったのか。それを見つけて欲しい』
「……そいつは、無茶苦茶大変そうだな」
少なくとも、図書館で調べて解決する問題ではないだろう。
『それにこれは私の大いなる勘だけど、この事は私に何か関係している気がするのよ』
「勘かよ」
『勘よ』
だがオルガも同感だった。思い込みかもしれないが、マリアも関係している気がしてならない。
つまりは、オルガも勘だ。
「やる事どんどん増えてくな、おい」
『これで最後よ……多分ね』
そう言ってマリアは苦笑いを浮かべた。
マリアは雑なのであんまり気にしていなかった。
まさかいないとは全く考えていなかった系信者