22 美しき刃
「ああ、そうだ。薬が欲しいって言ってたんだったなコイツ」
『うわあ……麻薬に手出してたのかあ』
「やっぱりマリアの時代にもあったのか?」
『魔族の作った凶悪なのがあったわね。町一つが中毒で機能しなくなって……あの時は街も敵に回って大変だったわ』
その話も興味があったが、眼下では幼いオルガが棒切れ一つで大人の男に立ち向かおうとしていた。
「スー逃げろ!」
スーを背後に庇いながらそう言い放った時の自分の気持ちを、オルガはよく思い出せない。
宣言の通りに護ろうとしたのか。
単に自分が先に逃げるのは嫌だったのか。
どんな思いだったにしても、その事がこの後に関与したとは思えない事だけは覚えていた。
棒切れと言う即席の武器を手に大人に立ち向かおうとして。
そしてあっさりと退けられた。
『まあ当たり前と言えば当たり前よね』
「五歳やそこらの子供が棒切れを振り回したとしても、やんちゃで済むよな」
『大の大人がそれで怯むはずもないわねえ』
軽く突き飛ばされただけで、オルガは転倒してしまう。その拍子に棒切れが手から離れてスーの足元へと転がった。
それだけの厳然とした体格差。腕力の違い。
オルガの抵抗など何の時間稼ぎにもならなかった。
『え、これどうやって未遂になるの? 誰かに助けて貰った?』
「見てれば分かる」
再び男はスーを抱えようと一歩踏み出し。
その足にしがみ付いたオルガによって妨害された。
「早く逃げろ!」
未だスーは固まったように動かない。
スーは逃げなかった。
オルガが男に振り払われて、再び地面を転がる。そうなっても再びしがみ付く。
『ナイスガッツ!』
「滅茶苦茶痛かったな……アレ」
そうしている間にスーは棒切れを手にして。
オルガがそうしたように眼前に構えた。
「君。大人しくしてくれ。そんな物を振り回したって――」
何の意味もない。
オルガより尚貧弱な少女が振るう棒切れなど精々脛にぶつけて痛がらせる位の嫌がらせにしかならない。
筈だった。
その小さな体の全身を使って振るわれた棒切れの先端は、オルガの眼には見えなかった。
それはきっと男にとっても同じだろう。
そしてマリアでさえ。一瞬見失った。
到底少女が振るったとは思えない風切り音の後に鈍い音がしたと思ったら男は額から血を流して倒れていた。
何をしたのかは見えた。
途中男の身体さえも足場にしながら跳躍して、真っ直ぐに棒切れを振るった。
ただそれだけ。
たったそれだけで大人一人を昏倒させてみせたのだ。
その太刀筋の美しさ。
オルガに剣の事など分からない。剣技など知らない。
それでも、それだからこそ分かる無垢な剣の美しさ。
何にも染まっていない太刀筋はオルガの視界にこの上ない程焼き付けられた。
その光景がそのまま寸分の違いも無く展開されたのだ。
『……盛ってるでしょ。これ』
「少なくとも俺の眼にはこう見えた」
この剣だけは、妄想でも想像でも何でもない。確実に実際にあった物だと確信できる。
軽やかにスーが着地する。
そのままオルガの元へと駆け寄ってきた。
「オルガ、オルガ。大丈夫?」
「あ、ああ。おれは大丈夫」
そう言ってオルガは立ち上がる。目を覚ます気配のない男を見下ろす。
スーが一撃で倒してしまった相手を見て悔し気に表情を歪める。
何も出来なかった。
だけど。
「オルガ」
スーはとても嬉しそうに笑うのだ。
「護ってくれてありがとう」
と。
そんな彼女にオルガは拗ねた様な不貞腐れた様な表情で応じる。
「おれは何も出来てない。倒したのはスーだ」
オルガの存在は、何一つ現状に寄与していない。
それは事実であろう。
オルガが居ようと居まいと、スーはこの男を撃退できた。
どうあがいてもオルガは男にとっての障害にはなり得ない。
それでも。
「でもオルガはスーを護ろうとしてくれたもん」
スーと言う少女にとっては自分を庇ってくれた背の勇敢さは変わらない。
母を失くして以来、初めて自分を護ろうとしてそれを行動で示された事への想いは変わらない。
その姿はまるで。
「まるで本当のお兄ちゃんみたいだった」
血縁だけの兄たちではなく。
話に聞くような、兄であるとスーは嬉しそうに言う。
その笑顔を見てオルガは。
「おれは――年下に護られる様な情けない兄貴にはなりたくねえ!」
そう決意した。
「見てろよスー! おれは絶対強くなるからな! そしたらお前にお兄ちゃんって呼ばせてやる!」
「別に今のままでも呼んでもいいよ?」
初対面の時に比べれば随分な態度の軟化。
だが今度はオルガがそれを認められない。
「ダメだ! おれがダメ! 見てろよ。絶対おれはスーを護れる位に強くなってやる!」
どうすればそうなれるのか分からないけど。
何が何でもそうなってやると。
その日のオルガは固く誓ったのだ。
『男の子ねえ』
「……ああ、そうだ。確かにこの時こんな事を言ったな」
オルガの口から暗い声が漏れる。
その誓いは――守られなかった。それを知って居ながら迂闊な事を言ってしまったマリアは己の発言を悔いる。
「結局俺は、約束一つ守れなかったんだ」
そんな後悔に満ちた声と共に、オルガは夢から覚めていくのを感じていた。
静かな目覚めだった。
何時もの様にマリアの騒々しさが無い朝。反省房までは朝の喧騒も届いてこない。
『おはよう……』
ちょっとバツの悪そうなマリア。だが昨日よりは元気を取り戻した様だった。
「その感じだと、アレはマリア本人だったか」
『そういうって事はあれ私の白昼夢じゃなかったのね。良かったわ』
夜なのに白昼夢とは一体、と思ったがまあ置いておこう。
「誘拐未遂事件としてはあんな感じだ。俺が強くなりたい、誰かを護りたいと最初に思った切っ掛けだな」
『なるほどね……己の無力さを知って強さを求めるというのは一種の通過儀礼みたいな物ね』
そんな事をマリアが言いだすのでオルガは気になって尋ねた。
「お前もそうだったのか?」
『そりゃ、私だって意味もなく剣を振り出しはしないわよ。一応これでも剣を握るまではお嬢様として育てられたんだから』
「いや、それは嘘だろ」
どう考えてもお嬢様と言う柄ではないと思ったオルガは思わず突っ込んだ。
中毒患者を斬るわけにもいかず、峰打ちで頑張ったマリア。尚峰でも威力は(