12 飛躍の時
「よっと」
軽い掛け声と共に、オルガは寮の屋上へと昇る。
何時もよりも高い視点に新鮮な気分だ。
「保管庫は……信じらんねえ。もう直ってやがる」
『はー。聖剣でも使ったのかしらね』
とても、数日で直せる損傷には見えなかったに凄い話である。
『それでオルガ。こんなところに何の用なの? 保管庫の様子見たかったのかしら』
「いや、ちょっと実験したくてな」
『実験?』
そう言うとオルガは一つ頷いた。
「ちょっとここから飛び降りてみようと思ってな」
『落ち着きなさいオルガ。何故そんな急に修行みたいな変なことを』
「お前今修行内容が変だって認めやがったな……?」
自覚しているのならばやめてほしいとオルガは思う。とはいえ、今から自分のやろうとしている事も大概なのだが。
「漆式の機動力を強化しようと思ってな」
空中を蹴る歩法。現状、オルガは純粋に空を駆ける事は出来ない。
霊力を見て、大気中の霊力が濃い場所を足場にするのが手一杯だ。
まあそれが出来ずとも今までと変わらないのだが、せっかく使えるようになった技。使い勝手を上げたい。
『その空気中の霊力の濃さとかも私には分からないんだけど』
うーんとマリアは目を凝らしている様だが、オルガの様には見えていないらしい。
「あの辺とか。あの辺は濃いだろ?」
『だから見えないんだってば……で、オルガは何をしようとしているのかな』
「まあ見てろって」
きっかけはやはり霊力を見つめる事が出来た事だ。
その流れを掴めたことでオルガは一つ悟った。
霊力とは、別に固形をイメージしなくてもよいのではないだろうかと。
これまでのオルガは全て刃をイメージしていたが、それ以外で放出する事も可能ではないかと。
例えば。ロープ。
イメージするのは弐式。朧・陽炎斬り。鋭い刃として生み出していたそれを、先端の鋭さは変えずに刀身へ柔軟性を持たせる。
「しっ!」
太めの枝に先端を打ち込み、オルガは屋上の縁から身を投げ出した。
『ちょちょちょ! 着地大丈夫なんでしょうね!』
まあこの高さならば死にはしない。……最悪エレナに頭を下げようなんて碌でもない事を考えているオルガである。
果たして、その軌道は途中で大きく変わった。直線軌道から弧を描くように。明らかに重力を無視した動き。
「よしっ!」
『へ? 今オルガ何したの? どういう動き今の!?』
霊力を用いた技法でマリアの意表を付けた事が嬉しくオルガは少しばかり得意げな顔をする。
「弐式の刀身に柔軟性を持たせてみた。これなら周囲の霊力の状態が整っていなくても高所を移動できるだろ?」
『柔軟性……』
そう言われてマリアは考える。
自分にもできるだろうか。答えは是。聞いただけでマリアはどうすればいいのか頭の中でイメージ出来た。
どころか多分オルガよりも上手く扱えるだろう。
驚いたのは、その使い方だ。
ずっとずっと硬さと鋭さだけを追い求めて来た。
マリアは一度だってそんな事が出来るなんて考えた事が無かった。
考える事もしなかった。
「結構使えそうだろ?」
『……そうね。崩しとして数えてあげても良いわね』
「他にもいろいろ思いついたんだぜ。もしかしたら昔からあるものかもしれないけどな」
それはどうだろうかとマリアは思う。
何となくだけど、マリアが――当時の剣士たちが思いつかなかった様な事をしてくれるのではないかと言う気がする。
何か新しい事を見せてくれる気がする。
――羨ましい。
その瞬間マリアに沸き上がったのは羨望だった。
オルガは今が伸び盛りだ。
停滞していた理由は単に霊力が視えない。その一点に尽きる。
その枷が取り払われた以上、彼の歩みを止める物は無い。
自分が一番と言うのはマリアの中で揺らがない。
それでも己の弟子がその後を追いかけてきているのを感じる。
決して自分がこれ以上は前に進めない道を歩んでいるのを感じる。
それを羨ましいと思ってしまった。それが何よりもマリアにとっての不覚だった。
――嗚呼そうか。
認めざるを得ない。こんな時になって余りに今更過ぎるのだけれども。
『そっか……私もっと強くなりたかったんだ』
「……何で急にそんな事言いだしたのか分からん」
オルガからすればマリアは遥か彼方に居る目標だ。そこまで至れるかも定かではない。
それでもまだ先を目指そうとするだけの向上心があったのかと驚かされる。
『ううん、何でもない』
そんな自分の醜い感情を隠したくてマリアは笑みを浮かべる。
その様子を訝しみながらもオルガはマリアを手招きした。
「今日の俺は――と言うか霊力を視える様になってからの俺は調子が良いからな。今ならマリアから一本取れるかもしれねえ」
『あら、大きく出たわね一番弟子。だったら一つ揉んであげましょうか』
オルガにオーガス流を教える。それは途絶えたオーガス流を再興するために必要な事。
鍛えれば鍛える程、オルガは強くなっていく。
もしかしたら何時か。マリアの居た場所を超えて更にその先へ。
その事にマリアは嫉妬していた。
そんな事を考えながらやっていたからだろうか。
「……マリア。その調子乗って悪かった。もう少し、手を抜いてください……」
『へ? あああ! ごめん! つい本気でやってた!』
一瞬のうちにオルガの身体をマリアの刃が十数回通過していった。若干青ざめながらオルガはそう懇願する。
これでは訓練どころではない。恐怖心を育てるだけである。
「まだまだ遠いな……」
『当たり前でしょ! 一番弟子にやられる程軟じゃないわよ!』
だけど何時かは。そんな日が来るのかもしれないとマリアは思う。負けてやるつもり何て毛頭ないが。それでもいつかは。
それが楽しみでもあり、妬ましくあり、羨ましくあり、寂しい。
『それじゃあ何時も通りに……少しオルガよりも強い状態で行くわね』
「……偶には互角とかにしてみない?」
『良い事を教えてあげるわ。腕を伸ばすには、自分よりも少し上の相手とやるのが一番なのよ』
「負け癖が付くのは危険だってヒルダさんも――あ」
ついうっかり短期間の臨時師匠の言葉を口にしてしまったオルガは咄嗟に口を塞ぐ。
だがもう遅い。
『ふ、ふふふふ……いい度胸ね。オルガ。師の前で二股相手の事を口にするなんて』
「いや、二股とかじゃ……」
『問答無用! オーガス流の真髄、見せてあげるわ!』
そう言ってマリアは目を吊り上げてオルガへと襲い掛かった。
物理的な飛躍