09 また明日
『つまりこれはオルガとスーちゃんの出会いの夢な訳ね』
それは分かる。そしてその出会いがどれだけ奇跡的な物かと言うのも。
当時のオルガがどこまで理解していたか定かではないが――いや、間違いなく理解していないが。
スーが着ている服はかなり上等な物だ。それこそ大貴族が着るかのような。
そんな少女と、スラム育ちの少年が出会う。その事自体が既に一つの奇跡。
――唐突にそんな物を見せつけられる理由はさっぱり分からないが。
何が悲しくて他人のなれそめを見せつけられなければいけないのか。
「良いだろおれが兄貴だって」
「お兄ちゃん何て居なくていいもん……」
まあ話を聞く限り、結構問題のある兄の様なのでそう言いたくなる気持ちも分からないでもない。
『はあ、お兄ちゃん最期まで元気だったかなあ……』
兄兄と聞いていたら何だかマリアも己の兄の事が懐かしくなってきた。
自分の方が先に死んだのか。それとも兄の方が先か。それすらも分からない。
「むう。おれだったら兄貴欲しいのに……」
『意外ね。お兄ちゃん欲しかったんだオルガ』
しかしながら、弟や妹なら兎も角、兄や姉が欲しいと言われても親は困るだろうな……とマリアは思った。
時間を遡りでもしない限りは無理だ。
「いても良い事ないよ」
「そうなのか?」
「うん」
スーが小さく頷く。
「会えばいっつもいじわるするし」
「いやなやつだな」
「よくわかんないけどいけない事してるし」
「わるいやつだな!」
「あとすぐ大きなこえだすの」
「おどろかせてくるやつだな」
スーの言葉を聞いて声を潜めるオルガが可愛らしくてマリアは噴き出した。
「つまり、いじわるしないで、わるい事しないで、声が大きくない兄貴が欲しいんだな」
「う……ん。そうかも?」
『あら? そう言う話だったかしら』
そうじゃなかった気がするが、当事者がそうだと言っているのだからそういう事になってしまった。
「じゃあおれがそういう兄貴になってやる」
「だからいらないってばあ」
重ねての拒否。マリアが知る由も無い事だが。オルガは兄弟が欲しかった。
何しろスラムには兄弟が多い。やる事がないからか、子供はよく生まれるのだ。ただ、皆が皆生き延びられる訳ではないが。
一人っ子のオルガは少しそれが羨ましかった。家に帰ってからも遊べる相手が居るなんてと。
だからこうして妹の勧誘に熱心な訳だが――さて、まさか家まで連れ帰るつもりなのだろうか。
流石にオルガも誘拐まではするつもりはないのか。何度か拒絶されて兄になるのは諦めた。
寧ろ初対面相手に良くここまで粘ったというべきか。
「じゃあ取り合えずおれ達と遊ぼうぜ」
そう言って、オルガはスーの手を取ってスラムの奥の方へと誘っていく。
「こっちの方危ないから来ちゃダメだってママたち言ってた……」
「お前もう入ってきてたじゃないか」
「あう……」
オルガに指摘されてスーが涙目になる。
「だって、入っちゃダメだからお兄ちゃんたちも入ってこないと思って……」
つまり兄から逃げて居たらこんな場所にまで追い込まれてしまったという事か。
本当に兄が嫌いなんだな、この子とマリアは少し同情する。自分の兄とはそこまで険悪では無かったので余計にそう思った。
言い争いは良くしたが、罵り合いはしなかった。
「大丈夫だよ。そんなに危ない事なんて無いし。何かあったらおれがまもってやる」
幼いオルガは年上風を吹かせられるのが楽しくて仕方ないらしい。
そこそこ開けた空き地に行けばスラムの子供たちが幾人かがこれから何をして遊ぼうかと話し合っていた。
「おーい、入れてくれ」
「あっ、オルガだ」
「おせーぞ」
「そのこだれー?」
「きれーなふくー」
見慣れぬ子どもの姿に興味津々な視線を向けられてスーは固まる。
「さっきなかまになった!」
「じゃあなかまだ!」
「おにごっこしよー」
「なまえは?」
口々に言われたスーは辛うじて最後にだけ反応する。
「えっと……スー」
「じゃあスーが鬼ね!」
「十数えたらおいかけて」
「え? え?」
怒涛の流れにスーは追いつけていない様だった。おろおろしている間に子供たちは歓声を上げながら逃げ出す。
「えっと、1、2、3、4、6、7……」
「スー。5飛ばしたぞ」
「あれ? ええっと……1、2、3、4、5……」
結局何回か数えなおして20秒近くたってからスーはスタートした。
この中では最も小柄で幼く見えた彼女だが――。
『足早! え、嘘でしょ。私並じゃない』
呆れる程に足が速かった。20秒などと言う猶予はゼロに等しいという様に距離を詰めていく。
「うわ、はええええ!」
「きもちわるいくらいにあしはやい!」
「わー! セイの奴がもうつかまった!」
「えへ……捕まえた」
「ばか、スー。早く逃げないと……あ」
「よし、捕まえた!」
一人捕まえた事にニコニコしていたスーは早口で十数えた次の鬼にあっさりと捕まってしまった。
「うう……」
「捕まえたら直ぐ逃げるんだよ!」
「うん……!」
「ぎゃああ! やっぱりはえええ!」
「かっこいい!」
滅茶苦茶足の速かった彼女はあっという間に皆の中に馴染んで。
何時の間にか口を開けて笑っていた。
「またあしたなー」
「あーおもしろかった」
「スーもまたなー」
「こんどはかくれんぼしよーね」
口々に別れを告げる。
「スーはどうするんだ?」
「……スーも帰る」
とても気乗りしない様子でスーはそう言う。
「また遊びに来いよ」
「いいの?」
「みんなまたって言ってただろ。今日はおにごっこだったけど、かくれんぼも面白いんだぜ」
「やりたい……」
「じゃあまた明日来いよ」
「……うん!」
スーがべそをかいていた辺りまでオルガは彼女を送る。
ここから先はオルガの様なスラムの子供が行くと嫌な顔をされる。ここまでがギリギリのラインだった。
「また明日な。スー」
「うん、また明日ね。えっと……オルガ」
そう言って別れた次の日。スーはここには姿を見せなかった。
次の日も。そのまた次の日も。待ちぼうけしているオルガの姿をマリアは見せつけられた。
『……こうなるのが普通なのよね』
元々接点のない二人だ。偶然の時間が過ぎ去ればこうなるのは必然。
だからそれを覆すには何か大きな力が働かないといけない。
今日もオルガはスーが来ないかと待ち続けて。
来ないかと諦めて踵を返しかけたところで。
「オルガ!」
ここに来る前から既にボロボロになった服を着たスーが駆け寄ってきた。
「スー。お前どうしたんだよその格好!」
「お庭から抜け出してきたの!」
どことなく得意気な顔でスーはそう言う。
「かくれんぼっていうのしたかったから」
はっぱを頭に付けたままのスーを見てオルガは笑う。
「……しょうがないなあ。本当は今日はおにごっこのつもりだったけど特別にかくれんぼにしてやるよ!」
言うまでも無いですが、マリアは足の速さも一級品です。と言うか彼女より速い人間は当時存在していなかった。