08 彼と彼女の出会い
少年と少女が出会ったのはギリギリスラムとは呼べない、表通りと裏通りの繋ぎ目とでも言うべき場所だった。
辛うじて、スラムの住人が出て行っても表通りの住人から嫌な顔をされない場所。
辛うじて、表通りの住人が立ち入ってもスラムの住人から袋叩きにされない場所。
要はそんな緩衝地帯とも言えるべき場所。
そんな場所でなければ――少年と少女は出会えなかった。
今自分は夢を見ているとマリアは思った。久しくなかったことである。だが矛盾している様だが眠りに落ちているわけではない。
白昼夢とはこういう物なのかとマリアは思う。
目を開けたまま、夢を見る。
きっとこれは、オルガの幼い日だとマリアは思った。
何しろ視点がとても低い。つい先ほど親らしき人物からオルガと名を呼ばれていた。
まだ五歳か、六歳か。その位だろうと当たりを付ける。
そんなオルガが戸惑っている気配を感じ取った。
「ぐすっ……ひっく……」
泣いている。
知らない子供なのだろう。
オルガよりも上等な服を着ているので、スラムではなく表通りの住人だという事は分かる。
こんな所に迷い込んで泣いているのかと思えば、どうもそうでは無さそうだ。
何しろ、少し歩けば表通り。少なくとも座り込んでこの世の終わりの様な顔をする場所ではない。
いや、とマリアは思う。
子供にとってはその程度の距離も果てしなく遠いのかもしれない。
さて、泣いている女の子をオルガはどう助けるのかしら。そんな風に思って見ていると。
「おい」
乱暴な声のかけ方である。そして。
「じゃま。どけよ」
『あれえええ!?』
泣いている事などまるっと無視して己の要求だけを告げるオルガにマリアは素っ頓狂な声を挙げた。
オルガが聞いていたら煩いと顔を顰めるであろう声だ。
『ちょ、ちょちょ。オルガさん? 泣いてますよ? 女の子めっちゃ泣いてますけど助けなくていいんですか!?』
てっきりあの頑固さは幼少時からだと思っていたが……違ったのか。
寧ろ人助け何て知るかと言う顔をしているオルガにマリアは聞こえていないのを承知で問いかける。
少女の方も、いきなりそんな事を言われてびっくりして泣き止んでいる。
「どくって……どこから?」
「そこ」
少女が座っていた辺りの地面を指差してオルガは言う。
「なにもない……」
「あるんだよ! ここにおれの宝物が」
「たからもの……ほうせき?」
少し興味を抱いたらしき少女。マリアはそんな大層なもんでてくるかなあと胡乱気な瞳である。
ほら、と少女を押し退けてオルガは穴を掘り始める。そこから出てくる石やら木の枝やら。
「……?」
ゴミでは? と言う視線。マリアも同じ視線をオルガに向ける。
「ほら。この石とか綺麗だろ?」
「…………?」
どこが、と言う表情。マリアも同じ表情をオルガに向ける。
「これのよさが分かんないのかよ」
「わかんない……」
『いや、そんな申し訳なさそうに言う必要ないってば。どう見てもゴミよゴミ』
と言うか穴掘って埋めるって犬じゃないんだからもう少しまともな方法で保管できないのか。
自慢気に見せた石をそこにまた埋めるとオルガはそのまま立ち去ろうとした。
そうしてまた元の位置で泣き始める少女。
数歩歩いて立ち止まり。
「おれが虐めて泣かせたみたいじゃないか!」
と文句を言いながら戻ってきた。面倒見がいいのか悪いのか。マリアとしては知っているオルガの片鱗が見えてホッとするが。
「おい。何で泣いてるんだ?」
そんな乱暴な言葉になってしまったのは彼の語彙力の無さか。
その声に泣いていた少女が改めて顔を上げる。
スラム街の子供に比べると小奇麗な顔をしていたが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、台無しであった。
それを見てオルガは懐から布巾を取り出した。
「顔拭けよ」
その布巾を見て、オルガの顔を見て。
その子は言った。
「何かばっちい」
「ば、ばっちくねえよ! ちゃんと洗ったよ!」
二日前に。
だがスラム街ではそれでも清潔な部類だろう。
事実汚れてはいない。ただ布自体がもうボロボロで汚らしく見えるだけだ。
だがしかし、マリアとしてもそれで顔を拭くのは躊躇われる。
「顔汚れそう……」
「今よりはマシだ。拭いてやる」
「やー」
抵抗する子の顔をオルガは布巾で拭きとる。
『……強引な所は変わらないわねえ』
だが拭いても拭いても涙は溢れてくる。
「あーもう! 泣くなよ! 何時まで拭かせるんだ!」
「頼んでない……」
諦めたのか。それともその気力も無くなったのか。
抵抗をやめてされるがままとなった事で、オルガも多少楽に拭き取れるようになった様だ。
拭い終えた頃には目元を赤くさせて、鼻を啜ってはいるが泣き止んだ少女の姿があった。
「………………ありがとう」
「今お礼言うか悩んだろ」
『そりゃ悩むわよ』
レディに対する扱いとしては非常に雑だ。その雑さ。今に通じるところがある。
「……悩んでない」
何だかのんびりした子ね、とマリアは思った。
一々会話がワンテンポ遅れているような気がした。
どちらかと言うとオルガがせっかちなだけかもしれないが。
或いはこのオルガが忍耐に欠けている。
「それで、えっと……お前名前は?」
「………………スー」
「そっか。何か間抜けな響きだな」
『この子がスーちゃんなの!? こんな事してよく好かれてるなんて言えたわね!』
そう言うと、スーは不服そうな表情をした。
「間抜けじゃない……」
その抗議を無視してオルガは己の名を告げる。
「おれはオルガだ。カッコいい名前だろ?」
「……ふつう」
「普通、か……そうか」
普通と言う評価に少し凹んだ様子を見せたオルガにマリアは笑う。
『人の名前を馬鹿にしたりするからよ』
「それでスーは何でこんなところで泣いてたんだ」
確かにマリアも理由が気になるところだ。
「お兄ちゃんたちが」
「いじめてくるのか?」
オルガがそう問うとスーは首を横に振った。
「違う。喧嘩するの」
「ん? 兄貴とじゃなくて兄貴たちが?」
「うん」
スーは言葉少なく頷いた。
『あー確かに。家族が喧嘩してるの見るのって嫌よねえ……』
一応末っ子だったマリアはスーの言葉にうんうんと頷く。
尤も一番強いのがマリアだったのでそう言う場合は力ずくで制圧していたので喧嘩は長続きしなかったが。
「それで、お兄ちゃんたちがスーに聞いてくる。どっちの味方をするんだって」
「情けない兄貴達だな。自分達じゃ決着付けられないのか」
「……うん。だから、他の兄弟を味方に付けようとしてる」
どうやらスーの家は兄弟が沢山いるらしい。
「でも。スーはどっちのお兄ちゃんとも喧嘩したくない……だから逃げてた」
「なるほどな」
「ママはそれで良いって言ってくれた……お兄ちゃんたちを叱ってくれた」
「何だ。解決してるじゃん」
「でも……ママ死んじゃった……」
またスーが目に涙を溢れさせる。
「ママいないから、お兄ちゃんたち叱ってくれる人いない……スーの味方いなくなっちゃった」
そう言ってスーはまた泣きじゃくる。
オルガはと言えばすっかり泣いているスーへ同情的な気配を向けていた。
ちょろいわ、マリアはそう思った。
「そうだ!」
「……何?」
「おれがお前の兄貴になってやるよ!」
何でそうなったのかしら、と思う不可思議な言葉。
もしかして弟か妹が欲しいと言って親を困らせるタイプの子供か。
『う……恥ずかしい記憶を思い出したわ……』
マリアはそのタイプの子供だった。
そんな突飛な言葉にスーは。
「え、要らない……」
心底嫌そうな顔をした。
「何でだよ!」
いや、寧ろ何で快諾すると思ったのかしら。マリアは幼いオルガに突っ込んだ。
ちなみにこの状態のマリアは白目剥いてる。