03 過去の討ち漏らし
何時もの過激な朝の挨拶が無い事にオルガはまず疑問を抱いた。
ほぼ徹夜で、失神するように眠りについて数時間。
昼前と言う時間帯なので朝と言うには語弊があるがマリアがそんな事気にするとは思えない。
同時に心臓を鷲掴みにされたような悪寒。
「マリア?」
もしかしたらその問いかけに答えが返ってこないのではないか。そんな怖れを抱いた。
『……あら? オルガ。目が覚めたのね。うっかりしてたわ』
「いや、そこはうっかりしてくれて構わないんだけど……」
どこか遠くを見る様な目をしていたマリアの視線。その焦点がオルガに合う。
「どうしたんだ。ぼんやりして」
まるで今のマリアは寝起きの様に思える。
つい先ほど見た夢を思い出す。もしかしたら――。
「寝てたのか?」
『それは中々笑えない冗談ね』
ちょっと顔を顰めてそういうマリアの様子的に違うらしいという事は分かった。
『ちょっとぼーっとしてただけよ。オルガにもあるでしょ』
「無いとは言えないな」
とは言え、マリアがそうするのは相当に珍しい事だと思うが。
「何か様子が変だが大丈夫か?」
『それ、オルガにそっくり言い返したいけど……まあ良いわ。そうね、ちょっと気がかりがある』
チクリとオルガを刺しつつ、マリアはあっさりと己が常とは違う事を認めた。
『そうね……オルガにだけ言えと言うのはフェアじゃないわね』
別に、マリアが喋ったからと言ってオルガも胸の裡を明かす必要などないのだが。
それでもマリアはそう前置きした。一種の牽制みたいな物だろう。
『私がまだ生身だったころに斬った穢れ落ち……いえ、魔族が生きていたのが分かったのよ』
「……は?」
一瞬その言葉を理解しかねた。マリアの発言はぶっ飛んでいる事が多いが、これは飛び切りだ。
自分の悩みも忘れてオルガはマリアへ尋ねる。
「それは、この前の襲撃に居た、って事か?」
と言うよりもそれ以外は有り得ない。
魔族と言う種は基本的に人の敵なのだから。
『それがねえ……いや、私も全然気づいていなかったんだけど……寧ろ今も全く気配を感じないんだけど学院に居るのよね』
「はあ!?」
思わずオルガも視線を巡らせる。
今のオルガならば霊力を、魔族が持つ魔力を見る事が出来る。とはいえ、余り遠くとなるとそれも叶わないが。
『私には見えなかった。少なくとも、人にしか見えなかった』
「……だったら他人の空似じゃないのか?」
『そうね。傷が無ければ私もそう思ったんだけど』
「傷?」
ええ。とマリアは頷いて自分の眼の下を指差す。
『この辺りに小さな傷。よく見ないと分からない様な物だけど……逆にそんな傷が全く同じについている事の方が稀でしょう?』
確かにとオルガも頷く。
「……そもそも魔族だって寿命はあるんだろ? 400年って有り得るのか?」
『私もそこまでは知らないわよ。少なくとも人間よりは長寿だけど……400年は流石に無理だと思っていたんだけどね……』
だったらやはり傷も奇跡的な偶然で、他人の空似ではないかと思いたい。
「……誰なんだよ。その学院の人間って」
『学院長って呼ばれてた』
「……トップじゃねえか」
オルガが呻く。魔族が魔族を狩る聖騎士を生み出す機関のトップ。笑えない冗談である。
「やっぱりマリアの気のせいじゃないのか?」
『だからオルガに見て貰いたいのよ』
「俺に?」
『そう。その相手が本当にただの人間かどうかを』
それ自体は別に構わない。だが、とオルガは疑問に思った。
「マリアが視ても人だったんだろ? 俺が視る必要はあるのか」
『あるわよ。オルガ、自覚していないでしょうけど貴方私よりも眼が良いわよ』
「眼?」
『霊力視の才能と言ってもいいかしら。感知範囲は私の方が広いみたいだけど。その代わりオルガは深く霊力を視れてる』
「そう、なのか?」
と言われてもオルガには分からない。何しろ霊力を視るという行為は人それぞれの感覚だ。
寧ろ外から見てそれに気付くマリアが異常と言うべきか。
『昨日の戦い。オルガは相手の動きを読んでいたでしょ?』
「あ、ああ。多分……」
あの時は何というか、乗っていたというか我ながら神がかっていたというか。
一言で言えば最高に噛み合っていた状態なので確信が持てないが。
「相手の霊力の流れを視て、次の動きを予測はしていた……と、思う」
自信なさげに言うオルガに、マリアは頷いた。
『私にはそんな事出来ないわ』
「そうなのか?」
『そもそもその流れって言うのが視えない。私が視てるのはもっと大雑把な物よ』
胴体の辺りで輝く星。それがマリアの見ている霊力だ。
オルガの様にその流れ――あまつさえ空気中に漂う霊力さえも捉える事などは到底できない。
『細かい所を見るならオルガの方が絶対に良いわ』
「……そうなのか」
それは何というか。少し嬉しい事だとオルガは思った。
魔族も魔獣も。そして聖騎士も。全ては霊力魔力で己を強化している。
オルガの眼はその強化の熾りを捉えている。
それ故に先読みが可能となっているのだ。
つまりオルガは主な仮想敵を相手に大きなアドバンテージを得たという事になる。
『……次模擬戦やる時はもうちょっと本気出すわ』
その宣言はオルガの戦闘力が伸びた事をマリアが認めた証であり――同時に、まだ全力を出す必要が無いという言葉だった。
「……でももし。俺が視て学院長が魔族だって分かったら……どうするんだ?」
『決まってるわ』
なんてことでもない様にマリアは言う。
『斬るわ』
オルガがこれまでに見た事がない程冷たい視線。
ああ、とオルガは認めざるを得ない。確かにマリアは全力には程遠い。
その殺意が己に向けられた物では無いと分かっていて尚。オルガの心臓は鼓動を止めそうになっていた。
夢を思い出す。
魔族を滅ぼすと言って憚らなかったまだ今よりもいくらか幼いマリアの声。
彼女の本質はその時から変わっていない。
敵は全て斬る。斬って斬って斬り伏せる。
今更ながらに思い知らされる。彼女の本質は、魔を斬る刃であると。
『まあ、現実問題として私がオルガの身体を借りたとしても厳しいんだけどね』
「そう、なのか?」
『仮にも当時の魔族の中でも最大勢力を纏めていた奴よ』
想像以上の大物だった。
『長耳種の族長。工房長ザグール。自分の鬼祷術で作り出した魔法道具で配下を武装させて、オーガス流の剣士を何人も殺したくそったれよ』
その所業を告げる時、マリアの表情が憎々し気に歪んだ。
もしかしたら――夢の中で地面に転がっていた何人かは、マリアの言う何人に含まれていたのではないだろうか。
根拠もないけどオルガはそう思った。
装備格差が酷いクソゲー時代だった400年前……