01 やりたい事
「マリアはどうしても殺したいと思う相手って居るか?」
珍しく。剣を振るでもなく。小隊員と交流するでもなく。
ぼんやりと学院の一角で朝日を浴びる何の変哲もない木を見つめていたオルガが唐突にそう呟いた。
『無いわね。何しろ私が殺したいと思った相手は大概次の瞬間には死んでたから』
とマリアは何でもない事の様に言う。
彼女が殺意を抱くのは魔族。
そして相対した以上、遠からずその魔族は死ぬ。
それを逃れたのなど片手の指で足りる程だ。だがその取り逃した数名もどうしても、と言われたら別にそこまでではない。
その辺りのクラスの魔族となると、まともに戦えるのはマリア位だったので誰かの仇と言う訳ではない。
逃してしまったのは自分なのだから自分の責任だ。
だが。
『……そう思っていたんだけどね。今ちょっとだけそう思っている相手は居るかも』
既に四百年前に死んだはずの相手だった。
その姿を再び目にしたマリアは心中穏やかではいられない。
本当はもう一度斬りたい。
だってその存在を認めたら。
自分たちの四百年前の戦いは何だったのか。
自分たちが居た痕跡すら消されて。
自分たちの戦いの成果すら否定されて。
それをマリアは許容できない。したくない。
もう一度殺して。その存在を否定しなくては。そうしなければ自身のアイデンティティを保てないと思えるほどに。
「そうか……」
問いかけながらもオルガは特に答えを期待していなかったらしい。
様子がおかしい、と言うのはマリアとてすぐに気付いていた。それこそオルガの周囲の人間達も皆。
ただ本人が語ろうとしないので無理に聞き出そうとはしなかっただけ。
その契機となったのが――突然行われた学院の試験である事は間違いないだろう。
突然聖剣を突き付けられて、ちょっと気を失って。
それで終わりだと言われてしまった良く分からない試験。
それが一学年最後の試験だと言いながらも、合否も何も明かされていないとびっきりの意味不明。
その試験を終えてからオルガはずっと思い悩んでいる様だった。
そうして漸く、その一端をオルガはマリアに明かした。
『……殺したい相手がいるの?』
少々、オルガには似付かわしくないとマリアは思った。
他人を害する様な事を積極的に望むというのは、人助けを誰かを護る事に拘るオルガとは正反対の性質にも思える。
それとも――。
『それが、オルガの本当にやりたい事?』
オルガが人を助けたいと言う度にマリアは嘘とも呼べない、本当に微かな違和を覚えていた。
やりたい事には違いないだろう。
だけど一番ではない。本当にやりたい事が出来ないから代わりにしている代償行為。
オルガの声を聞いていたマリアはそんな印象を抱いた事がある。
「……ああ」
うつむいたままのオルガがマリアの問いを肯定する。
「俺は仇を討ちたい」
『仇……誰のって聞いても良いのかしら』
「……母親と、幼馴染だ」
その言葉にマリアは息を呑んだ。違って欲しいと思いながら。それを問いかける事自体がオルガを傷つけると分かりながらも。
問わずには居られなかった。
『その幼馴染って……スーちゃん?』
「…………ああ」
しばしの沈黙。答えが返ってくるまでに僅かな間があった。その数瞬の間にオルガの中でどれほどの葛藤があったのか。
頷く事自体を恐れているかのような。そんな間。
『ごめん』
「いい」
気にするな、とは言わなかった。
ただ、二度と聞かないでほしいと。うつむいたままの横顔が告げていた。
何時か聞いた戦う理由。
ああ、今更ながらにあの時の悲壮さにマリアは納得した。
既にその約束が果たされない事を知っていたからだと。
イオからの質問を曖昧にはぐらかした理由は恐らく、イオに気を遣わせたくなかったのだろうとマリアは思う。
とは言え。一つ気になる事がある。
『どうして急にそんな事を言おうと思ったの?』
これまで一度だって、この事をオルガは話題にすらしなかった。
いや、寧ろ避けていた様にも思える。
「どうして、だろうな……」
言葉とは裏腹に、オルガはその心当たりがある様だった。
「ただの気まぐれだ」
そう言って。この話題を打ち切る。
言葉にした事を悔いる様な表情を一瞬浮かべて。
「修行を再開しようマリア。この前のあれが最後の試験だって言うけど本当かも分からないしな」
『そうね。私もオルガには早く強くなってもらいたいし』
そうしてオルガは剣を振るう。
振るいながら考える。
あの一瞬失神した時に夢を見た様な気がする。
いや、あれは本当に夢だったのか。
誰かに問いかけられて、オルガが答えた様な気もする。
何故戦うのか。
何の為に剣を振るうのか。
どうして、強くなりたいのか。
学院での生活の間に薄れつつあった過去。
思い出すことが減っていた根源。
それを改めて突きつけられた。
オルガの戦う理由は、強くなれと急かしてくる。
自身の母親と、幼馴染の仇を取れと。
ほんの一瞬、今のままでも良いのではないかと思った自分の惰弱を責める様に。
それが出来ないならば、護るべき時に護れず、斬るべき時に斬れなかった己はただの屑であると。
やるべきことも果たせずに今を享受するなど許される事ではないと。
「……ああ、分かっているさ」
人知れず呟く。
学院で幾ら人助けをしたところで、助けられなかった過去は変えられない。
助けられた今と助けられなかった過去は何処まで行っても別の物なのだから。
守れなかった約束は守れないままだ。
せめて少しでもそれに贖おうとするならば。
二人の命を奪った魔族を斬る。それ以外には無い。
それがどれだけ困難な事かを理解しながらも。オルガは決意を新たに口にする。
「約束は果たすさ……必ず」
緩んでいた己の心を引き締めなおした。
学院での生活は楽しい。
楽しいからこそ、オルガには辛い。
そんな楽しさを味わう事が、約束一つ守れなかった己に許されて良い物かと。
己を苛みながらオルガは剣を振るう。
剣の一振りが己を切り裂くかのような表情。
こうして思えば、出会った時に比べれば表情が格段に柔らかくなっていたのだとマリアも気付く。
だからそっと口にした。
『……あんまり根を詰め過ぎない方が良いわよ』
「霊力が視えるようになったから気合入ってるんだよ」
『そう言えばそうだったわね。よし、それじゃあ明日は一つその辺りをテストしましょうか』
空気を切り替える様に、マリアはにんまりと笑う。
『オルガがどれだけ霊力を視えているか私がテストしてあげるわ。丁度いい題材を見つけたからね』
ちなみにオルガが推定12歳前後の頃の話。
人格形成に多大な影響を及ぼした出来事