42 魔族の国
「やー危ない所だった」
学院から大分離れた街道の半ば。
冗談みたいな燕尾服とシルクハットをかぶった男が汗を拭う様な仕草をする。
「まさかあんな街中で執行形態まで持ち出してくるとは……当代の転輪担当は結構短気の様だ」
イルマと名乗った長耳種。ヒルダの追跡を振り切ってここまで逃げ延びたところだった。
「ううむ。どうやら私がばら撒いて来たデコイ達は皆潰されてしまった様だね。まああの魔獣もどきには大した期待はしていなかったのだけれどもね」
元々、あんなただの獣に魔力を無理やり注入した促成栽培の魔獣は大した戦力にならないと思っていた。
それでもと、同僚から押し付けられたので全部使い潰すくらいのつもりで放ったのだが――。
「いやいや、聖騎士未満と聞いていたのに大したものじゃないか。それに……特級聖騎士が居るなんて想定外ですよ全く」
そうぼやきながらイルマは己の鬼祷術を――自分を含めた物体を瞬間移動させる異能を発動させる。
今回の襲撃の大本命は聖剣の保管庫。
そこに蔵されたとある物の強奪と、ついでに聖剣の何本か奪って来いという同僚のお使いだ。
その仕事を託していたこれまた同僚から預かった特殊用途の魔獣。
イルマの仕事はそれを現地に投入し、回収する事。ヒルダと言う予定外の戦力が居たためにその誘引もする羽目になったが。
「さてさて……ヘキサ達は何本の聖剣を回収できたかなと……」
そう思い、オルガ達が六本腕と呼んでいた魔獣をこの場へ呼び出す。投入したのは全部で十五体。
大本命の剣を奪った後は、一体が逃亡し、残りは敵の足止めをすると言う思考を植え付けてある。
だから最悪でも一体。最高ならば十五体全てがこの場に揃う。
が――。
「おや? おやおやおや?」
イルマの足元に転がったのはバラバラになった六本腕の魔獣の死骸だけ。
「ふむふむ……皆聖剣は奪われている、と。これまた想定外」
困りましたねえ、と全く困っていない様子で呟きながらもイルマはまあ良いかと切り替えた。
「ベアトリーチェはまた癇癪を起しそうですね……」
そんな事をぼやきながら、彼は再び瞬間移動の鬼祷術を発動させる。
跳躍したのは数百キロ離れた大陸北東部。
ヒルダと追いかけっこをしていた時は、振り切らない様に手加減していたのだ。それを知れば彼女は大層悔しがるだろうが。
降り立つは険しい山脈に囲まれ、人間の手が殆どは入っていない未開拓地域。
そこは今や人ならざる者の楽園と化していた。
人の街とは様式が違うが、確かにここにあるのは城下町で、そして城だ。
その街の様子を満足げに眺めてイルマは城へと向かう。
「やあやあ愛しいベアトリーチェ。今戻ったよ」
「煩い黙れ死ね」
早速同僚でもあり今回のお使いの依頼主でもある魔族の元へと向かったイルマを迎えたのはそんな罵声。振り向きもせずに己の作業に没頭している。
慣れっこのイルマはそれをスルーしてベアトリーチェの実験室に踏み込む。
大量のガラスケースの中には様々な生き物が収められている。
それは魔獣であったり、動物であったり、人であったり。
その内の一つの前にイルマお目当ての人物がいた。
「何の用だ」
目付きの鋭い女性だった。ぼさぼさの金髪に、すり切れた白衣。
だが何よりも特徴的なのは額から伸びた二本の角だ。
「いや、何。君から借りたヘキサを返却にね」
「ああ……その事か。デコイは?」
「全滅したよ」
「ちっ、やっぱあんな廉価版じゃ見習い共にも後れを取るか」
「いやいや、あれでなかなか侮れない連中だよ。特に上級生は中々――」
「どうでも良い」
イルマの話など聞く気は無いとバッサリ切り捨てて。床の一部を指差す。
「そこにおいてけ。後で見る」
「えー? 本当にここで出して良いの?」
「早くしろ」
「はいはい。どうなっても知らないよ」
そう言いながらイルマは再びこの場へ十五体のヘキサ――の死骸を呼び出す。
流れ出た血液やらが実験室の床を汚した。
「床が汚れんだろうが! 死ね!」
容赦ない蹴りがイルマを襲う。それを嬉しそうに受けながらイルマは反論する。
「だから本当にここで出して良いのって聞いたのに……」
「いや、待てオイ。何でヘキサがやられてる」
「僕に聞かれてもねえ」
後で見ると言っていたベアトリーチェも、この結果は想定外だったらしい。
ヘキサの死骸に素手を突っ込んで見分を始める。
「……事前に与えた命令を執行出来てねえな。第一目標を確保できてねえぞコイツ」
「ええ? そうなのかい」
「白々しい。気付いてんだろ」
「まあね」
最優先目標を確保した時点で逃亡に移る。それに失敗しているという事はそんなところだろうとはイルマも思っていた。
「……こいつら十四体は一撃だな。こんなマネが出来るのは特級聖騎士位だ」
「へえ」
となると、学院には複数人の特級聖騎士が居たという事になる。明らかな戦力過多である。
「だがこいつは違う」
一体をベアトリーチェは指差す。
「何度も何度も斬られて、その果てにやられたやられ方だ。誰だ。コイツをやったのは」
「知らないよお。自分で見たらどうだい?」
「それもそうだな」
そう言いながら、ベアトリーチェは六本腕魔獣の死骸。その頭部を鷲掴みにして齧りつく。口元を血で汚しながら。
「まじい」
と吐き捨てる。
「あーあー。そんなに口元を汚して」
と甲斐甲斐しくハンカチで拭ってくるイルマを鬱陶し気に振り払い。
「……こいつ等か」
今しがた食らったヘキサの末期の記憶をサルベージした。
その脳裏に彼女謹製の聖剣を扱える魔獣を打ち破った相手の姿を浮かべる。
赤い髪の、少年の姿を。
「ひよっこに倒せるような雑魚には作ってねえ」
「そうだねえ。ベアトリーチェの人造魔獣はどれも強いし」
続けて他のヘキサの頭を喰らったベアトリーチェは独り言のように呟く。
「……それに。最優先目標を探していたはずのヘキサの内四体がこいつ等を襲ったのも妙だ」
「関係していると?」
「かもしれねえってレベルだけどな。ちっと探るか」
何やら思索にふけり始めたベアトリーチェにイルマはもう声をかけない。
彼女がこうなると返事をしない事は良く知っていた。
「それじゃあ僕は報告してくるよ。親愛なる我らが魔王様に、ね」
聞いていないであろう言葉を投げかけて、イルマは実験室を後にした。
遥か北の地で、国を持たなかった魔族の国が胎動を始めていた。
イルマはマゾ。
ベアトリーチェはカルロスも真っ青なマッド。