35 殿
『こっちよオルガ。私の声についてきて』
「待てマリア。みんなを置いてなんて」
『出来ないっていうんでしょ。でも今のオルガが戻ったとしても足手まとい以外の何者でもない。居ないほうがマシよ』
例えば最初から視覚に頼らない戦い方をしていたのならば。それならば問題ないだろう。
だがオルガは当たり前にあった物が奪われた状態で即応できるような人間ではない。
オルガに出来るのは自分に出来る事を繰り返すことだけ。
出来ないことを出来るようにする才能はない。
「マリアが、俺の身体を動かしたとしても……駄目なのか」
その言葉は、オルガが自身の拘りを捨てるに等しい問いかけだった。
学院に入ったばかりならば決して発することのなかった問いだろう。
それとも、自分が何も出来ずに退くよりはと考えたのか。そのあたりはマリアには分からないが……無意味な問いかけだった。
『無理よ。私がオルガの身体を動かしている時、私の眼はオルガの眼。私も見えなくなる』
もしも自分の身体ならば視界を奪われた程度、ちょうど良いハンデだが。オルガの身体でそこまでの動きは出来ない。
『諦めなさいオルガ。今のオルガに出来ることは少しでもあそこから遠ざかること。そうすることが三人の生存率を上げるわ』
何もするな。
逃げろ。
そう言われたオルガは奥歯を砕けんばかりに噛みしめる。
『ほらこっちよオルガ』
そう誘導するマリアの声を無視して。
オルガはかすかに聞こえる戦いの音に向けて歩く。だがその一歩目で木の根に躓いて転倒した。
『そっちじゃないわよオルガ!』
「……眼が見えなくたって、肉の壁になるくらいは……」
『出来るわけがないでしょ! 諦めなさいオルガ! 今戦うのは無理よ!』
久しぶりに見たオルガの頑迷さにマリアは声を荒げる。
『今退くことは恥でもなんでも無い! その傷で戦おうなんて考える人は居ない! なのになんで!』
「だって……」
絞り出すようなオルガの声。ここに居るのがマリアだけだからようやく発せられたオルガの声。
「ここで退いたら、ここで諦めたら俺は。きっと二度と立ち上がれない」
悲痛なまでの恐れだった。
自分が足を止めてしまう恐怖が何よりもオルガを突き動かす原動力なのだと、マリアは気づくことが出来た。
だとしても。ここで戦いに戻ることは許容できない。
『戻ったら死ぬのよ!』
「退いたって俺は死ぬ!」
馬鹿な戯言。そう言うことは出来る。だが今のオルガの叫びはそうは言わせない迫力があった。
オルガ自身何を口走っているのか自覚していないのかもしれない。滅裂な言葉が紡がれる。
「もう置いて行かれるのは嫌なんだ……屑の俺には戻りたくない……だから俺は……!」
止まりたくないのだと。
立ち上がり。また躓いて。
剣を杖代わりにしてでも前へと進もうとする。
立ち上がっては躓いて。
這ってでも前に進む。見えない眼でも前を見据えて。
その姿をマリアは、恐ろしいと感じた。何があっても前に進もうとする姿は尊さを追い越して最早悍しい。
そこまで前に進む以外を切り捨てている姿は人とは思えない。
分からない。マリアにはそこまで何かを熱望した記憶がない。
何だって望めば手に入った。望めば出来た。だから今のオルガの気持ちは欠片も理解できない。
それでもオルガを死なせるわけには行かないと。マリアは更に言葉を尽くそうとして。
ふっと、這っていたオルガが動きを止めた。ぎこちなく、立ち上がり。視線を巡らせる。
『……オルガ?』
閉ざされたままのオルガの眼。だけどマリアははっきりと感じた。
その視線が自分を捉えたことを。
◆ ◆ ◆
六本腕を巨大な水の膜で包み込む。
真球となったその膜へイオの<ウェルトルブ>が突き立てられる。手加減はしない。ここまで節約してきた力を一気に解放。
フェザーンを戦闘不能にまで追い込んだイオとウェンディの合体技。
「よっしゃ、決まったぜ! 円獄閃光滅殺陣!」
「むう。イオよ。やはりフルムーンブラスターの方がかっこいいと思うのだが」
そのネーミングに関しては二人の間で紆余曲折があった。というか今も協議中だ。
名称はともかく、その威力は絶大だ。
<ウェルトルブ>が生み出す破壊力を余すこと無く相手に叩き込む技。
生半可な魔獣では骨も残さない。筈だった。
「……冗談キツイぜ」
「うむ。まさか中で耐えて這い出てくるとはな」
閉じ込めている水の膜自体の強度はそれほどのものではない。
ただ全身を焼かれながらそれを破壊することが難しいと言うだけだ。
逆を言えば、延々と反射し続ける<ウェルトルブ>の攻撃に耐えることができれば破壊は難しくない。
水の膜から覗いた剣先。魔剣<エレヴィオン>と呼ばれた炎を生み出す聖剣だったもの。
巻き上がる炎が水の膜を残らず蒸発させていく。
六本腕はそれなりに傷を負っているようだった。
だが同時にその傷はすぐさまに癒えて消えてしまうような物でしかなかった。
向こうもすぐに動くことはなく、己の傷の再生を優先している。
だがここで二人が動けばすぐさま向こうも動いてくるだろう。
「クソ、円獄閃光滅殺陣よりも威力ある攻撃なんて出来ねえぞ」
「うむ。我の奥の手もここではなあ」
「そんなもんあるなら出し惜しみしないで使ってくれよ」
「うむ。家くらいある水の塊に敵を閉じ込めて溺れさせるというやつなのだがな。水が足りないのだ」
「んな量の水、湖か海の側じゃねえとねえよ」
演習場に流れている小川ではとてもとても足りないだろう。
実質実現不可という事はやはり都合の良い切り札は無いという事だろう。
「畜生。出し惜しみしなかったからオレの聖剣もうへばってんぞ」
「うむ。ここは下がると良いぞイオ。私が殿を務めよう」
「アホ。仲間見捨てて逃げられるかよ」
再生が終わり、六本腕が今度こそ動き出す。狙いはイオ。聖剣の力を常時使えるわけではない彼女は一番の弱点とも言えた。
それを見抜いての行動だとしたら大した知能だと言わざるを得ない。
そんな六本腕へ、横合いから飛び込んできた紫紺の髪の少女が両足蹴りを叩き込んだ。
全速力に加えて全体重を載せた一発は六本腕を激しく吹き飛ばす。木の一本を圧し折って漸く止まった。
そんな相手に向かって飛び込んできたエレナは不満そうに唇を尖らせた。
「失礼な敵ですね。そんなに飛んだら私が重いみたいじゃないですか」
この二人にネーミングセンスは無い。
エレナの体重については……筋肉量に準じていると思われます。