32 魔獣の剣
跳躍。切り飛ばされた相手の腕の上に着地。一瞬の後には再び重力に囚われて地面に吸われるだろう。
そうなれば避けたはずの一撃はオルガへと追いついてくる。
そんな身近な破滅よりもオルガが気にしていたのは相手の腕と自分の体重の比率。
足の裏に返ってくる一瞬の抵抗。大丈夫、これだけの抵抗があれば自分だって、跳べる。
霊力を足の裏から放出する。かすかに感じる抵抗を足がかりに。そこへ霊力の足場を作り上げる。
何もないところで跳ぶことは出来ない。だけど、何かあれば今のオルガだってもう一度跳べる。
「漆式……!」
オーガス流剣術漆式。乱星・空渡り。
参式と同じく、歩法に属する技である。
その原理は至極単純。霊力で一瞬足場を生み出すというもの。そして足裏で霊力を弾けさせて跳ねる。
言うは易しの典型である。
口で言うほど、人一人を支えるほどの霊力の足場を作れる人間は多くはない。そこから自身の体重を動かす程の霊力の放出ともなれば尚の事。
だがしかし、もしもそれができれば。
重力という軛から逃れて、二次元の戦場から三次元の戦場に移行できれば。
それはどれだけの優位を生み出すかというのを古きオーガス流の剣士が考え切望してきた。
オルガにはまだそこまで空を駆けることは出来ない。空中よりも遥かに容易な水面でさえまだ自在に走れるわけではない。
だがそれでもほんの一瞬。相手を振り切って重力を振り切って跳ぶことくらいは出来る。
規格外の二段ジャンプで相手の上位を取った。
同時に使用していた参式、飛燕・木霊斬りによって六本腕はまだ目の前にオルガがいると錯覚している。
あの面で目が良いとは思えなかったが大正解だったと言えよう。
その脳天めがけて刃を振り下ろす。弐式、朧・陽炎斬り。
真っ直ぐに突き落とされた霊力の刃は相手の頭部の表面を削って、砕けた。
予想外に硬い手応えにオルガは顔を顰める。この手応え。波紋斬りでも一撃ではたりないかもしれないと。
再度の攻防を終えて、オルガたちは常のフォーメーションに戻る。
オルガとエレナが前衛。ウェンディが中衛。イオが後衛。幾度と無く魔獣を葬ってきた基本の陣形。
「硬いぞ」
「その様ですね」
そんなやり取りを聞いているのか居ないのか。
じっと六本腕はイオに視線を向けている。それを遮るようにオルガが一歩前に出ると。
三つの頭部が一斉にオルガの方を向いた。その急激な反応にオルガの方が驚く。
「オ」
その口から声らしきものが漏れた。
「オオオオオオオオオ!」
咆哮。その叫びに呼応するように六本腕の姿にも変化があった。背中から新たに何かが生えてくる。
四本の棒状の物。その正体を一瞬測りかね。すぐに分かった。
「剣、だと?」
その一本が一気に引き抜かれる。剣だ。背中から生えた腕の一本が引き抜いた剣。
魔獣が剣なんて使えるのかという疑問。とても知性など欠片も見えないが、魔族なのかと言う疑問の再燃。
その握りから黒いモヤの様な物が刀身にまとわりついていく。
だがそれ以上に驚いたのはその刀身から炎が溢れ出したことだ。
「んな!」
「オルガ! 伏せるのだ!」
刀身の振りに合わせて放たれた炎の刃。
咄嗟に迎え撃とうとし、しかしそのための手段が何も無いことに気づいたオルガを動かしたのは背後からのウェンディの声。
言われるがままに伏せたオルガの頭上をウェンディが操る水球が通過していく。
炎の刃との激突。一瞬で蒸発していく水。その道連れとするように小さくなっていく炎の刃。
『気をつけてオルガ。あの炎は操られてるわけじゃない。本当にただの炎を飛ばしているだけ』
「だったらウェンディのみたいに自由自在ってわけじゃないな」
『そうね。その代わり、捌式でもあれは消せない。だってただの炎だから』
つまりあの剣は炎を操るのではなく炎を生み出す特殊能力を持っているということだろう。
だがその能力の詳細よりも問題なのは。
その異能を持つ剣という武器がとても馴染みがあるものということだ。
「聖剣、だと?」
イオの困惑したような声。聖剣はこれまで自分たちの味方だった。
候補生と競い合うことはあっても、積極的に命を奪おうとしてくる敵ではなかった。
その前提が崩れた。その衝撃は大きい。
二本目の柄が引き抜かれる。それもやはり剣。モヤがまとわりつく。
やはり背中の一本の腕によって無造作に振るわれたその剣は一見すれば何も見えない。
だが無意味な素振りのハズがない。
その直感に突き動かされてオルガは身体を投げ出した。
耳元を、何かが過ぎ去ったような感覚がした。
『霊力……ううん。魔力による衝撃波みたいなものね。とても雑に言うなら、陽炎斬りの劣化劣化コピー。十分に固められていないから拡散しているけど……』
込められた魔力の総量が違う。多少の効率の悪さは量でカバーしているということか。
だがしかし。聖剣だというのならば何故霊力でないのか。そのあたりがちぐはぐだ。
魔獣由来の魔力で動いているというのはおかしな感じである。
陣形の真ん中に叩き込まれたそれによってイオが吹き飛ばされる。余波だけでも体重の軽い彼女には結構な負担だったようだ。
「あの剣。数打ちです! 衝撃を打ち出してくる衝撃剣とか言う!」
「まんまじゃねえか! 後オレのよりも使い勝手良さそう!」
イオが愚痴っている間に更に三本目。まず間違いなく、これも聖剣であろう。やはりモヤが。
「どうなっているのだ! 魔獣が聖剣を使うなど……」
困惑しているのはウェンディだけではない。相手の正体を測りかねて、皆混乱している。
その混乱に拍車を掛けるように、六本腕が分身した。
「んな!?」
「これは!」
「幻だ!」
咄嗟にオルガが叫ぶ。飛燕・木霊斬りと同じ。魔力で編まれた幻像。ただその精度が段違いだ。
オルガの様に何となくレベルではなく、視覚に強烈に訴えかけてくる。
そして困ったことに幻であってもその刃の驚異度は変わらない。
厄介だ。オルガは相手の能力を見て焦りを募らせる。
「本体は一つ! 能力は本体以外無し! だけど攻撃はあるぞ気をつけろ!」
「結局本物みたいなもんじゃねえか!」
聖剣の能力は再現できていないようだが、ただ斬られるだけでも普通は重傷なのだ。
この中でそれを気にしないで居られるのはエレナだけである。
「聖剣<オンダルシア>よ!」
誓句を捧げて、エレナが聖刃化を果たす。致命傷ですら無効化する、規格外の能力。
痛みに泣いていた少女は、仲間を守るときにはその能力をためらいなく使うのだ。
浅からぬ斬撃が前に出たエレナに一斉に叩き込まれた。
その反撃として振るわれた刃が幻を消し飛ばす。
「なるほどな!」
それを見てウェンディが水弾を生み出す。威力ではなく数を重視。彼女が制御可能な最小サイズで、広範囲へ扇状に放つ。
貫かれた幻が次々と消えていく。あれだけの精緻な幻。耐久性との両立は難しかったということか。
なら、とオルガも戦法を切り替える。朧・陽炎斬りの刃を伸ばして、幻を貫いていく。その中で貫けなかった六本腕が一体。
「こいつが本体か!」
それを聞いたエレナが飛び出す。幻の攻撃をひきつけながら、腐敗の刃を本体へ叩き込もうとする。
そこに一瞬遅れてオルガも後を追う。
六本腕がさらなる剣を引き抜こうとする。それを見てもエレナはひるまない。
例えどんな聖剣であろうと、頭部を潰されても再生できる<オンダルシア>がある以上、相打ちはエレナの勝ちだ。
引き抜かれた剣はエレナにも見覚えがあった。モヤに包まれていても分かる。
その能力も知っていた。だからこそ前に出た。その能力ならば、自分の方が早いと。そう判断した。
オルガはその剣を知っていた。
その剣の表層上の能力だけではなく。その剣の本質的な能力を知っていた。
だから叫んだ。
「避けろエレナ!」
叫びながらも自分の身体を動かす。体内をめぐる霊力を最大まで回し。脚力をオルガの限界以上に強化する。
例えここで足が潰れたとしても構わない。そんなものはまだ取り返しが着く。
「<ノルベルト>だ!」
まさかの再登場。ご存じの通り、エレナの天敵です。