29 戦線崩壊
戦線の崩壊は一瞬だった。
追加で投入されてきた魔獣もどきの群れ。
前方では上級生たちが数を減じさせたであろうそれさえ、一年生には耐えきれない圧力だった。
第二防衛線は完全に瓦解している。もはや組織的な防衛は不可能だ。
そして遠からず、第三防衛線ーー即ち最終防衛線も同じ末路を辿る。
崩れた防衛線から流れて来た魔獣もどきによって圧力が一気に増す。
「くそっ……霊力が」
もう数は数えていない。小型魔獣程度の相手に今更遅れを取るような事はないが、数が数だ。
霊力消費を抑えられるようになったとはいえ、限度というものがある。そしてオルガが切伏せた数はその限度を超えていた。
「な、情けないぞオルガ! 私はまだまだ行けるぞー!」
そうウェンディが強がるが、彼女の支援も先程から精度が甘くなっているのは目に見えて明らかだった。
水弾も水の圧縮が甘いのか。敵に命中しても突進を押しとどめる程の威力が出ていない。
そしてオルガ達がそこまで疲弊しているという事は、他の小隊も同じである。
隣の小隊が魔獣もどきの圧力に屈して後退を始めた。それを皮切りに、戦線が崩壊していく。どこもかしこも限界。
秩序だった後退ではなく、ただ混沌とした無秩序な敗走。
ある者は背後の校舎へ走り。
ある者は逆に流れに逆らって二学年のいる防衛線に走り。
どちらにしても、一本のラインであった最終防衛線はまたたく間に崩壊していく。
不味いとオルガは焦る。
前に抜けようとしている連中はともかく、背を向けて逃げ惑っている連中は魔獣もどきの追撃をマトモに受けてしまう。
「私が前に出ます! 皆さんは先に撤退を!」
それを支えなくてはと、疲労した身体に鞭打とうとしーー。
「よし、エレナ! 撤退するぞ!」
「はい!」
オルガがなにか言うよりも早く、イオが撤退の号令を下した。
「待てイオ! あの人だけじゃ手が足りない! 誰かが殿を勤めないとーー」
「アホオルガ! オレらにだってそんな余裕ねえっての! このままだとこっちが孤立する!」
イオはそう言うとへばっているウェンディを抱えあげて顔を顰める。
「……お前太った?」
「イオめ……後で覚えているのだ……」
抵抗する気力もないのか。ウェンディはされるがままだ。
そしてそれはオルガも同じ。
尽きかけた霊力ではマトモに肉体強化も維持できない。
余力を残していたエレナの方が膂力が強い。
「あら……意外とオルガさん貧弱と言うか……弱々しいと言うか……これなら私でも行けるのでは」
『何がいけるのかしら……』
そう言いながらちょっとエレナは顔を赤くした。何を想像したのだろうか。
ろくな抵抗が出来ないオルガを肩に担いで走り出す。まさか切りつけてその拘束から逃げ出すわけにもいかず。
「イオさん。どちらに逃げます?」
「校舎は無理だろうな……」
大勢が逃げこもうとして、入り口が渋滞を起こしている。
人が集まっているので魔獣もどきが集まっている。
つまりは、酷い有様だった。あそこに飛び込んでいけば嫌でも巻き込まれる。
オルガもウェンディも。二人ならばあそこに飛び込んでいくだろう。
人を助けるという点に置いて。今の状況を見捨てられるような人間ではないことはイオもエレナも十分に承知している。
例え一人だけであってもそこに突っ込んでいくだろうと。
だから見捨てるのは自分たちだと。そう前々から考えていた。
二人とも、仲間とその他大勢ならば仲間を取る。
例えオルガとウェンディの人助けコンビが死地に飛び込もうとしても。自分たちが止める。
不幸中の幸いか。二人とも疲弊していて無理やり連れ出すのには苦労しなかった。
「……演習場の方に逃げよう。あそこなら障害物も多いし、隠れる場所もある」
イオはそう判断を下した。いざとなれば森の木々を盾に魔獣を撃退することも出来る。
少なくとも何もない校庭やらで迎え撃つよりは百倍マシだ。
「運が良ければ、二年や三年が魔獣もどきを撃退して助けに来てくれるかもしれないしな」
その場合、救助は後回しになるだろうが仕方ない。
校舎にいれば救助も早いだろうが、その中に入り込めるまで生き延びられるかが疑問だ。
兎に角この場から離れる。数時間後の生存率よりも、今この場での生存率を高めなければ全滅してしまう。
「分かり、ました!」
振り向きざまに追いつきてきた魔獣もどきを一体切り伏せる。片手がオルガで塞がっていながらも淀みのない動きだ。
と言うか、だんだんとイオが遅れてきたので魔獣もどきに追いつかれ始めた。
「うぇ、ウェンディ! ホント、お前太っただろ!」
「成長期だ!」
やかましく言い合っているが、それでイオの速度は上がらない。
<ウェルトルブ>の性質上、彼女は肉体強化の恩恵を受けられない。そのせいでエレナよりも足が遅い。
「しかた、ありませんね!」
そう言うとエレナは口に<オンダルシア>を咥える。そのまま一気に加速するとウェンディをおんぶしているイオ毎、二人を肩に担いで走り出した。
「おお、すげえぞエレナ!」
エレナ単独よりは速度は落ちるが、それでもまだイオが自分の足で走るよりも早い。
「ひおふぁん、うひほおねはいしまふ」
「イオ。後ろから二体!」
小脇に抱えられた情けない状態のままオルガが警告を促す。
現状マトモに聖剣を振るえるのはイオだけだ。
エレナも聞き取りにくい声で後ろをイオに任せた。
「おうよ! <ウェルトルブ>!」
彼女もそれなりに溜め込んだ霊力を消費していたが、時間経過で取り戻せるという利点がある。
迎撃の輝きは魔獣もどきを数体まとめて吹き飛ばしーーその閃光でこちらに誰かいるということを他の魔獣もどきに知らしめてしまった。
校舎の方へ向かいかけていた魔獣もどきの数体が、視線をこちらに向けたのが暗闇の中でも分かった。
「あ」
「イオ……お前」
「やってしまったのだ」
「いや、オレのせいじゃねえって絶対! っていうか迎撃したら誰だってこうなってただろ!」
「ひひもほでうるはいでふほ!」
追手を増やしたイオにオルガとウェンディが同情の様な視線を向ける。耳元で騒がれたエレナは思いっきり顔を顰めた。
そんな大道芸人の様な格好で、四人は演習場へと逃げ込んで行った。
エレナのパワフルさがまた一つ……
聖剣無しでもオルガとほぼ互角のゴリラです。




