28 鬼祷術
眼前に生じた火球をヒルダは受け流す。
「転輪」
彼女が手にした剣がその呼びかけに応じて敵の攻撃を己の周囲で旋回させる。
先ほどから数発、保管庫の屋根の上に立つことで直撃を避けていた。ただ、ヒルダが到達する前に直撃した分はどうしようもない。
保管庫には既に大穴が開けられていた。
それだけの威力の攻撃をたった一瞬で己の攻撃の制御を奪われた事に、相手は気の抜けたような拍手を送った。
「やあこれは驚いた。汎用の術式とは言え、こうもあっさり奪われてしまうとは。ここには半人前と落伍者しかいないって聞いてたんだけどな」
ふざけた様な口調だが、ヒルダは相手のその言葉に眉を顰めた。
確かに、この聖騎士養成学院には未だ聖騎士と認められない雛たちと、それを育てるために前線から離れて久しい教官しかいない。
だが、そんな内情を外部が――魔族が知っているはずはないのだ。
「貴様。何者だ」
瞳を眇めてヒルダは相手を睨む。銀色の髪に、紅い瞳。場違いなシルクハットと燕尾服。
魔族の文化と人の文化は大きく違う。その上でこんな格好をしているというのはそれだけで一つの異常だ。
相手の特徴――長い耳。即ち長耳種。
「美しいお嬢さんに名を聞かれたのならば答えぬわけには参りますまい」
気取った仕草で帽子を取り一礼。斬りかかりたい所だったが隙が無い。
「私の名前はイルマ。ただのしがない手品師だ」
そのふざけた名乗りにヒルダは目を見開く。
「イルマ……! 都落としのイルマか!」
「懐かしい話だ。ここ百年程は中々都市一つ滅ぼすなんて真似は出来ないのだけどね。何しろ君達がすぐに邪魔しに来るから」
「戯言を」
都落としのイルマ。或いは単独軍勢。コレクター。幾つかの異名を持つ古き魔族。
少なくとも二百年は前から存在している。
翻って――二百年間誰も撃ち果たせなかった存在という事である。
「そういう君は……神剣使いだね。会うのは五十年振りくらいだ。初めて見る顔だね」
気さくに話しかけてくる相手だが、油断は出来ない。
そして同時に、こうも容易く学院に侵入できた理由も納得できてしまった。
学院に限らず――大きな都市は何れもある程度以上の魔獣、魔族の侵入を妨げる結界が張られている。
専用の聖剣が一振り、各都市に存在しているのだ。都市結界と呼ばれる物である。
嘗て、イルマはその守りをすり抜けて一つの都市を一人で滅ぼした。
如何なる手段かは生存者がいなかったため不明。
だが、イルマにはその結界を無力化する術があるというのは分かり切っている事だった。
故に、理解は出来ずとも納得は出来た。
それから都市結界も改良されていたが――残念ながらイルマには意味が無かった様だ。
「貴様ほどの大物と出会えるとは。正直予想外です」
「こちらもね。ちょっと雛たちの学び舎を突いてみようと思ったら思わぬ相手だ。ここは退いた方が良さそうかな」
「私がみすみす逃がすとでも? 貴様には聞きたい事があります。例えば……フェザール姉妹の事とか」
魔族の情報を得ることは特に困難だ。何しろ人間相手と違い諜報活動が碌に出来ない。
魔族の中に人が潜り込むことはほぼ不可能。
彼らの些細な日常を知る事さえ命懸けだ。
だからこうして終わってから分かる事が多い。
一年足らずで二度。学院への攻撃が無関係とは思えない。そう思ってのカマ掛けにイルマはあっさりと乗ってきた。
「ああ。彼女たちも君の仕業か。参ったね。アレでも二人揃っていればとても使い勝手のいい娘たちだったと言うのに」
顎に手を当ててそんな風にぼやく相手にヒルダは斬りかかった。
しかしその剣は空を切る。
「うん。まあ元々私の役目は水先案内人。道を作る事だ。目的は果たしたのだから素直に帰るとしよう」
何時の間にか背後に回り込んでいたイルマにヒルダは驚愕する。目にもとまらぬスピード……などと言う次元ではない。
「まさか、瞬間移動……?」
「ああ。失敗だ。まさか一目で見破られるなんて」
鬼祷術。長耳種が持つ異能。イルマが持つそれは瞬間移動という事になるらしい。
なるほど通りで。結界はあくまでその領域の通過を妨げる物。その内側に最初から入り込まれては侵入を防ぐどころではない。
少なくとも本人の言を信じるのならば、だが。
「さて、種の割れたマジシャンは大人しく退散するとしよう……尤も、頼まれた仕事はしていくけどね」
そう言いながら指を鳴らす。
ヒルダが振り向きざまに斬りかかる――が、その瞬間には数十メートル離れた地点に既に移動していた。
それだけではない。周囲に一斉に生じた無数の気配。
イルマが自身の鬼祷術で呼び出した大量の配下。オルガ達が魔獣もどきと呼んだ存在が学院内に大量に投下された。
先ほどまでも継続的に呼び出していたのだが、更なる追加だ。加えてその内の幾つかの影が保管庫の中に入り込んでいった。
それを囮に逃げようというのだろう。
「それじゃあお嬢さん。さようなら」
イルマの目論見としては、これでヒルダは学院の守りを優先する筈だった。
そう言ってイルマは片手を上げて立ち去ろうとし――。
「逃がさない。そう言ったぞ都落とし」
ヒルダは一瞬の逡巡の後、そう決断した。
準聖騎士とも呼べる三年が保管庫へ到達している。その彼らならば魔獣の第二波も食い止められるだろう。
ならば都市結界をすり抜けられるイルマは、ここで仕留めるべきだと。
彼女の剣を。世界に九本しか存在しない神剣を掲げた。
「御身の力をここに……ヴィラルド・モルメイケンプ!」
「ええ……ここでそれ呼んじゃう?」
イルマが半ば呆れた様にぼやく。
ヒルダの切った特級聖騎士の切り札。その顕現を見て、脱兎のごとく逃げ出す。連続的な瞬間移動。
しかし距離に制限があるのか。はたまた別の理由か。まるでヒルダが追い付けると思えるかのような距離の取り方で逃げだした。
「逃がすか!」
巨大な影をその身に纏いながらヒルダは宙を駆けてその後を追った。
◆ ◆ ◆
「……何だ?」
全身を叩く様な感覚。圧力と言い換えてもいい。周囲の魔獣もどきも一瞬動きを止めた。
『ふぐう!? 何かとんでもない霊力の波動来た! 気持ち悪!』
マリアが悲鳴のような声を挙げる。そこはかとなく姿が薄くなっているような気がする。
「霊力?」
『聖剣とかそう言う次元じゃないわね。どう考えても人の物じゃない……神様でも出て来たのかしら』
「んな訳あるか」
そんな意味の分からない物がどうして今、と思わないでもないがそれどころではない。
少なくとも霊力だというのならば魔族ではない。
漸く数の減ってきた魔獣もどきを倒すのに忙しい。
オルガの鏡面・波紋斬りが最後の一体を切り伏せた。
周囲に敵の影は無い。それを確認した途端にオルガは膝をついて荒い息を吐く。
「一先ず終わったか……?」
「っぽいな。あーしんどかった」
イオがその隣に座り込む。ウェンディも地面に大の字に倒れ込んでエレナも剣を支えにどうにか立っているような有様だ。
「うむ……流石に私も疲れたぞ」
「私もです。流石にこの数は」
総勢千匹を超えるであろう小型魔獣級の相手との連戦。それはオルガ達の体力を奪うには十分な物だった。
聖騎士でさえ肩で息をしている。ちょっと意外に思って見ると言い訳するように口を開いた。
「私は魔獣との戦闘向きじゃないんですよ」
確かに透明化する特殊能力は魔獣よりも人向けだろうが……。
兎に角五体満足で居るオルガ達はまだ良い方だ。
真っ先に会敵していた二年も少なからず消耗しているが、それ以上に一年の第二防衛線が酷い。
ズタズタに引き裂かれて、無事な人間を数える方が早そうな惨状だった。
そんな状態で地面に寝転がっていたウェンディが嫌そうな顔をして身体を起こした。
「ウェンディ。どうしたよ?」
「うむ。悪いニュースととても悪いニュース。どっちから聞きたい?」
「……じゃあ急ぎの方から頼む」
「うむ。悪いニュースからだな。敵だ」
シンプルだった。オルガ達は立ち上がって剣を構える。
「で、もう一つは?」
「うむ。さっきよりも数が多い」
その言葉と同時。候補生たちが構築する防衛線に先ほどの倍近い数の魔獣もどきが襲い掛かった。
強いか弱いかで言うと……近年だと十本の指に入る位は強い。でも逃げるね……




