20 忍び込む者
マリアとの模擬戦を終えて。
幾つか手応えのある動きが出来たとオルガは拳を握る。
やはり弐式と参式を主軸としたコンビネーション。
小技の応酬で相手の姿勢を崩してからの壱式と言う流れがオルガにとっての理想だ。
基本の技を如何にスムーズに連携させられるか。
相手を如何に嵌めるか。
これからはより一層戦闘の組み立てにも気を遣う必要がある。元々スラム街で生き延びるためにオルガは頭を使って戦ってきた。
それは強力な技を覚えても変わる事は無いのだと思うと可笑しさを覚えた。
笑いだしこそはしないが、自分の変わらなさに自嘲はしたくなる。
マリアを部屋に放り込んで――同室が全員退学したので一人部屋だ――オルガは大浴場で入浴する。
今日は散々身体を冷やしたので熱いお湯が染み渡る様だった。
しっかりと身体を温めて、自室に戻ると。
「お疲れさまです。オルガ様。こちらタオルどうぞ」
「え? はい。ありがとうございます」
自然に渡されたタオルで髪の毛の水気を取る。
着替えを洗濯籠に放り込むとすかさず。
「ではこちら、洗濯物に出してきますね」
「すみません、よろしくお願いしま――じゃない! 何してるんですかヒルダさん!」
『うわあ! 全然気づかなかった! 何時の間に!?』
余りに自然に生活の中に入り込んできたのでオルガも一瞬気付かずに流してしまった。
しれっとした顔でオルガの部屋に入り込んでいたのは灰色の髪をしたメイド、ヒルダである。
マリアも今更の様に驚いているが、ヒルダが入室してから今までここに居た筈である。どうして気付けない。
いや、よくよく考えてみれば前々からマリアはヒルダに対してだけは妙に感覚が鈍かった。
何か理由があるのだろうか。
「何、とは見ての通りオルガ様のお世話ですが」
「いや、待って下さい……そもそもその時点で色々とおかしいですから……」
ヒルダは言うまでも無いが、ウェンディの使用人である。
更に言うならば、恐らくは護衛だろうとオルガは踏んでいた。
聖剣を持つ聖騎士を護衛にするなんて、考えただけでウェンディと言う人物の素性が垣間見えるので深くは考えない様にしている。
ヒルダが聖剣を持っているの何てマリアの勘違い、と己に言い聞かせておく。
そんな彼女が意味も無くオルガの元へ来るなどあり得ない。
「何か用でもあったんですか?」
「……ええ。そうですね。実は私、オルガ様に懸想しておりまして」
『オルガ! 騙されちゃダメよ! 絶対嘘だから!』
断言するな。もしかしたら可能性があるかもしれないだろうとオルガは反論したい。が、残念ながらオルガも同意見だった。
絶対嘘だ。悲しい事に。そこまでの接点がない。
それ故に、マリアについても彼女には明かせていないのだから。
「そう言う冗談は良いですから」
「冗談ではありませんのに……」
「これ以上続けるならウェンディ呼んできますよ?」
流石に主に命じられたらヒルダも帰るだろうと思っていると仕方ないとばかりにヒルダは溜息を吐いた。
「実はその、お嬢様の事なのです」
「だと思いました」
オルガとしては他に理由が思いつかない。傍から見ていてもヒルダの最優先はウェンディだという事は一目瞭然だ。
「先程の言葉もそう大げさな物では無く、お嬢様がオルガ様に懸想される可能性がほんの僅かにありまして」
「……はあ」
『オルガ。ちょっと残念に思ってる?』
ほんの僅かと言うところに引っかかっただけである。
オルガも自分が女子の誰もが惚れる様な魅力溢れる男子ではないという事を(十年越し位に)理解してはいたが。
改めて面と向かって口にされると複雑な気分であった。
「万一オルガ様がお嬢様の思わせぶりな態度にクラっと来てしまったらどうしようかと不安になりまして」
「多分それ、杞憂だと思います」
まずウェンディの思わせぶりな態度と言うのが今一想像できない。寧ろそうなったらド直球で言ってきそうだ。
万一、そんな物があったとしても……クラっとは来ないだろうとオルガは思う。
「しかしオルガ様」
「はい」
「聞くところによればオルガ様は大変女性に対して免疫が無いとか」
『不味いわね。オルガの最大の弱点がバレてるわ』
「情報源イオですね?」
「情報源は秘密です」
唇の前に指を立ててヒルダは誤魔化そうとしているが、オルガは既に犯人が分かっていた。
少し前に妙に機嫌のいい時があった……あの時に買収されたのかとオルガは心の中で悪態を吐く。
人の情報を売って得た金で食べる飯は美味いか? と今度言ってやろうと決めた。
「そんなオルガ様ですので……万一の可能性があります」
「いや……無いですって」
ウェンディに対しては、どちらかと言うと妹分的な感じと言うか。或いはペット的な感じと言うか。
頼もしい仲間であると同時に愛でる対象であるというか。
……愛想の良い猟犬?
どれもこれも当人に聞かれたら怒られそうな事をオルガは考える。
「万一の可能性があります」
「いや、ですから」
無い、と言おうとするとヒルダが一歩前に詰めてくる。
「あります」
「その」
更に一歩。
思わず後退るオルガを追い詰める様に更に一歩。
気が付けばオルガは壁際に追い込まれていた。
「あります」
間近で、妙に目力のある瞳に見つめ――もとい睨まれながらそう言われると、オルガも頷くしかない。
「……万一くらいはあるかもしれません」
『オルガ弱いわあ』
だったらお前、ヒルダさんの目、正面から見てみろよとオルガは言いたい。アレは……ちょっと狂信的な目だった。
「ですので私はオルガ様からお嬢様の貞操を守らないといけません」
何故だかヒルダの中で自分の警戒度が上がっている事にオルガは少し凹む。
「はあ……それで何をするって言うんです?」
「はい。オルガ様には女性に対する免疫を付けて貰おうかと思いまして」
『あら。丁度良かったわねオルガ。改善のいい機会よ』
特に困っていないんですけど。と言うオルガの心の中のぼやきは誰にも届かなかった。
「……それで何をするつもりなんですか」
「簡単です。しばらく私がオルガ様の身の回りをお世話いたします」
とある理由からヒルダとマリアはとても相性が悪い。